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ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?身長や年齢は?

プロレスのドリー・ファンク・ジュニアを紹介します。ドリー・ファンク・ジュニアは引退したのか、息子や身長や現在の年齢の情報は気になるところですよね。この記事では、引退・息子・身長・入場曲・得意技含むドリー・ファンク・ジュニアについて画像を交えて解説します。

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】プロフィール

引用:https://www.instagram.com/p/BllUW3GFg7w/?tagged=doryfunkjr
ドリー・ファンク・ジュニア(本名はDory Earnest Funk Jr.)の生年月日は1941年2月3日 、出身地はアメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリスです。ちなみに、ドリー・ファンク・ジュニアの身長は190センチで、現在の年齢は77歳になります。
引用:https://www.instagram.com/p/Bna6-1WAD5H/?taken-by=wrestlingstoretokyo

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】父・シニアを紹介!

プロレス一家で育ったドリー・ファンク・ジュニアにとって欠かせないのが父親のドリー・ファンク・シニア((本名はドランス・ウィルヘルム・ファンク)です。息子同様にプロレスラーだったドリー・ファンク・シニアは、1919年5月4日にアメリカ合衆国のインディアナ州ハモンドに生まれました。高校時代からインディアナ州選手権に3年連続優勝して実績を残したドリー・ファンク・シニアは1939年にプロレスデビューを飾ります。
現役時代のドリー・ファンク・シニアはノースアメリカン王座、NWA世界ジュニアヘビー級王座などのタイトルを獲得する活躍を見せます。体力の衰え始めた40代からはプロレスラーに加えてプロモーターの仕事もかねるようになり、息子であるドリー・ファンク・ジュニアに世界チャンピオンになる夢を託す形になりました。

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】デビューまでの経歴

有名レスラーだった父を持つ息子のドリー・ファンク・ジュニアですが、学生時代はウエスト・テキサス州立大でアメリカンボールで活躍しています。ちなみに、WWEの伝説的なプロレスラーで現在は俳優として活動するザ・ロックことドウェイン・ジョンソンも学生時代はアメリカンフットボールで活躍しています。

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】プロレスデビューへ!

アメフトを経たドリー・ファンク・ジュニアは1963年7月にテキサス州アマリロでプロレスラーデビューを飾ります。特にドリー・ファンク・ジュニアが名前をあげたのが父・シニアが勝てなかった宿敵でNWA世界ヘビー級王者ルー・テーズと試合でした。
ルー・テーズとの試合は60分時間切れの引き分けに終わり、ルールでルー・テーズが王座防衛に成功しますが、まだ駆け出しの若手プロレスラーだったドリー・ファンク・ジュニアは王者相手に善戦して注目を集めます。そんなドリー・ファンク・ジュニアは1969年2月11日にフロリダ州タンパで開催されたジン・キニスキー戦で勝利を収め、NWA世界ヘビー級王座のタイトルを獲得します。

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】1969年の初来日!

チャンピオンになったドリー・ファンク・ジュニアは全米ツアーを開始することになります。多忙なスケジュールをぬってドリー・ファンク・ジュニアは日本にも1969年に初めてプロレス興行にやってきます。特に名勝負として話題になったの大阪府立体育館で行われたNWA世界戦60分ノーフォール・マッチのアントニオ猪木との対戦です。日米を代表するスターの対戦が当時の観客を熱狂させました。ちなみに、ドリー・ファンク・ジュニアは初来日の時に他にもジャイアント馬場や坂口征二といったレスラーと対戦しています。

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】弟とタッグチームを結成!

ドリー・ファンク・ジュニアのプロレス人生で父・シニアとと共に欠かせない存在が弟のテリー・ファンクです。テリー・ファンク個人としても第51代NWA世界ヘビー級王者に輝くなどの実績を残しました。そんな兄ドリー・ファンク・ジュニアと弟テリー・ファンクによる兄弟によるタッグチームのザ・ファンクスを結成します。
ファンク兄弟の戦いで有名なのが1977年に開催された「世界オープンタッグ選手権」です。この中でもドリー&テリーのザ・ファンクス対ザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャーの試合は激しく血を流すなど伝説の死闘として語り草になっています。ファンク兄弟は1979年と1982年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」でも優勝を飾るなど一時代を築き上げます。
1963年7月のデビュー以降、個人としてもタッグチームのザ・ファンクスとしてもドリー・ファンク・ジュニアは輝かしい実績を残してきました。そんなドリー・ファンク・ジュニアも2008年3月1日に開催された全日本プロレス両国国技館大会にで引退時試合を行いプロレスラーとしての現役生活にピリオドを打っています。ちなみにドリー・ファンク・ジュニアはレスリング・スクール「ファンキング・ドージョー」していて、時折ですがリングに上がることもあります。
引用:https://pbs.twimg.com/media/CfESAIKUsAAwGrf.jpg

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】リングに上がったディンク君!

ドリー・ファンク・ジュニアにはディンク君という息子がいます。1981年のことでした、ザ・ファンクスは試合でロブレイを下します。そこにブルーザー・ブロディが乱入するとドリー・ファンク・ジュニアに襲いかかります。父を助けるため当時20才のプロレス素人だったディンク君に対して、ブルーザー・ブロディは必殺技のキングコングニー・ドロップを見舞い流血させるという事故が起こりました。

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】得意技は?

引用:https://pbs.twimg.com/media/DbwDDIgV0AEl3o4.jpg
プロレスラーには得意技がつきものです。例えばアメリカのWWEに挑戦している中邑真輔選手ならキンシャサという得意技が、新日本プロレスのオカダ・カズチカ選手ならレインメーカーという得意技、棚橋弘至選手ならハイフライフローという得意技があります。そうした中で、ドリー・ファンク・ジュニアの代表的な得意技はスピニング・トーホールドです。ちなみに、ドリー・ファンク・ジュニアに他にもダブルアーム・スープレックスやサイド・スープレックスなどの得意技があります。多彩な得意技をもつプロレスラーと言えます。

【ドリー・ファンク・ジュニアは引退した?息子がいる?現在・身長・年齢・画像は?】入場曲は?

引用:https://pbs.twimg.com/media/CqkmpkTVMAAl_4O.jpg
プロレスラーはそれぞれ入場曲を持ってリングに現れます。アントニオ猪木選手なら「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」という入場曲、ジャイアント馬場選手なら「王者の魂」、藤波辰爾選手なら「ドラゴン・スープレックス」という入場曲、長州力選手なら「パワーホール」という入場曲があります。そんな中でドリー・ファンク・ジュニアの入場曲として有名なのが「スピニング・トーホールド」です。プロレスラーの登場を彩る入場曲は試合への高揚感を高めてくれます。

まとめ

ドリー・ファンク・ジュニアは父親に父親のドリー・ファンク・シニア、弟のテリー・ファンクをもつプロレス一家に育ちました。ドリー・ファンク・ジュニアは伝説的なプロレスラーであったルー・テーズやアントニオ猪木選手との対戦など、数々の名勝負を演じて長年に渡ってプロレスファンから愛されてきました。
また、入場曲の「スピニング・トーホールド」で彼のことを思い出すプロレスファンも多いです。そんなドリー・ファンク・ジュニアは現役を引退していますが、自身が経営する道場のリングに上がるなどバイタリティあふれる姿を現在でも見せます。