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【追記アリ】木村進の現在!息子や娘がいる?死亡した?事故?劇団?

2019.05.23

【追記】2019年5月19日、木村進さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りします。//かつて、吉本新喜劇の人気俳優・木村進の現在は何をしているのでしょうか。結婚相手(嫁)や娘・息子についてご紹介します。木村進さんのプロフィールや人気だったギャグ、結婚相手(嫁)、娘・息子情報、そして現在の状況について調べてみました。

  1. 吉本新喜劇の元座長 木村進の現在は?息子・娘がいる?
  2. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【プロフィール】
  3. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【吉本新喜劇でブレイク】
  4. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【ギャグ集】
  5. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【間寛平との関係】
  6. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【吉本新喜劇を退団した理由は?】
  7. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【結婚相手(嫁)は誰?】
  8. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【木村進劇団を立ち上げ】
  9. 木村進の現在は?息子や娘がいる?【100円ショップを開業】
  10. 吉本新喜劇の元座長 木村進の現在は?息子・娘がいる?【まとめ】
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吉本新喜劇の座長として、1970年代から1980年代に大活躍した木村進さんは、死亡説が流れています。事故で死亡したという噂や、吉本新喜劇を引退して劇団を立ち上げたなど姿を消した後の消息が謎の多い芸人です。結婚したという情報もあり、結婚相手(嫁)は誰なのかもご紹介します。
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木村進(きむらすすむ)さんは1950年7月29日(現在68歳)、福岡県福岡市に生まれました。地元の高校を中退後、父親の劇団「淡海劇団」に入門「博多小淡海」と名乗り劇団俳優としてデビューします。しかし、劇団俳優として有名だった父親がいたことや、父の重圧に耐えかねて19歳の時に吉本興業へ父親の許しを得ずに所属してしまいます。
父親は松竹新喜楽座の座長に就任していた時期もあり、父親への反発でライバルだった吉本興業に入った経緯がありました。幼い頃から劇団俳優としての下積みがあったため、吉本興業での下積み生活はわずかで終わり、吉本新喜劇に20代前半で初舞台を踏みます。

父親は喜劇役者「博多淡海」

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木村進さんの父親は、喜劇役者として活躍した「2代目・博多淡海(本名:木村平三郎)」でした。祖父であり初代・博多淡海は伝統喜劇である「博多にわか」の素人役者でしたが、プロ役者に転じています。木村進さんの父親は、松竹芸能にも所属しており、東京進出も果たすなど、博多出身の役者として地元では有名でした。
木村進さんが無断で吉本興業に転籍したことで、しばらくは絶縁状態になってしまいます。後に木村進さんが父親に土下座したことで親子関係は修復しますが、木村進さんは長きに渡り父親を頼ることができない状態にありました。
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木村進さんは吉本興業に転籍後、わずかな下積み時代を経て吉本新喜劇に出演します。若い役者でありながら、芸事を修行して素質があった木村進さんは20代前半からすぐに頭角を現しました。

23歳で座長に就任

木村進さんは、わずか23歳で吉本新喜劇の座長に就任します。現在の吉本新喜劇でも異例の出来事でした。後に紹介する間寛平さんとの名コンビも人気となりました。

おばあさん役&ギャグが人気

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吉本新喜劇では座長であるとともに、主役級の役者として人気を博しました。オカマキャラやおばあさんキャラ、そしてギャグが人気で吉本新喜劇にはなくてはならない存在になっていきます。
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ここでは木村進さんのギャグを4つご紹介します。

ギャグ集①「イーッヒッヒッヒッヒッ…」

にやけた独特の笑い声。特に相手を威嚇する時や相手をどっきりで驚かす時に用いられる。

ギャグ集②「おや、こんなところに水たまりが…」

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おばあさん役での持ちネタ。ありもしない水たまりを飛び越える仕草をする。

ギャグ集③「聞いてください、婦人会の皆さん」

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同じくおばあさん役のネタ。その場で持ち上がっている事件の内容によく似た身の上話を切々と語る。関係者が「あなたはひょっとして○○さんでは?」(例えば、「お母さんでは?」)と尋ねると「いえ、赤の他人です」と言って落とす。 バリエーションとして、犯人や悪役が捕まってその場で糾弾されていると「待って下さい!お待ち下さい!」と突然登場し、彼の身の上話を切々と語りながら「この子をお許し下さい・・・」などと泣き崩れる。関係者が「あなた、この人のお母さんですね?」と尋ねると、「赤の他人です」と言う。

ギャグ集④「許ーるさんっ!」

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自分がコケにされたり、誰かに悪さされたりした時に声を押し殺して吐くセリフ。

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木村進さんを語る上で、間寛平さんは欠かせません。間寛平さんと木村進さんは1歳違いと年も近かったこともあり、吉本新喜劇では息の合ったコンビが人気でした。

間寛平とコンビを組んでブレイク

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当時コメディアン「船場太郎」と木村進さんは、吉本新喜劇の2枚目役者として人気でしたが、間寛平さんと老夫婦役を演じたりして、笑いの渦を巻き起こしました。木村進さんは父親譲りのおばあさん役が当たり役で、間寛平さんのギャグを交えたコントが大人気でした。

現在も親交を深める良きライバル

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木村進さんが吉本新喜劇を退団も親交は続き、木村進さんが大変な時もプライベートで手助けをしたこともありました。吉本新喜劇では年が近いこともあり、仲良くなりますが、同時によきライバルとして互いを高め合う存在でした。
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木村進さんは1980年中盤、吉本新喜劇を退団しています。原因は事故や死亡したなどさまざまな憶測が飛び交っていますが、真相を探ってみました。

人気絶頂期は月60本もレギュラー番組が!?

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吉本新喜劇で人気者になった木村進さんは、1970年代から1980年前半に人気絶頂期を迎えます。関西のテレビでは見ない日はないと言われるほど、木村進さんは毎日テレビ番組に出演していました。多い時には、月に60本もの番組に出演しており寝る間も惜しんでテレビや舞台に出演していました。

多忙により脳内出血で倒れる

1985年以降、吉本新喜劇のマンネリ化が問題化されており、木村進さんは吉本興業の要請もあり父親の跡を継ぐことを決意します。1987年に「3代目・博多淡海」を襲名、翌年には襲名披露公演を全国で行いました。最終公演を行うため故郷・福岡県福岡市に戻っていました。そんな時、脳内出血で倒れ重体に陥りました。原因は多忙だったことや酒の量が多かったことでした。
木村進さんは一命は取り留めたものの、左半身に重い障害が残り歩行が困難になってしまいます。木村進さんは泣く泣く吉本新喜劇を退団、吉本興業も退社することになります。一時は松竹芸能に移籍する話も持ち上がりましたが自然消滅してしまいます。また、私生活でさまざまなトラブルが起こり、木村進さんは襲名した「3代目・博多淡海」を自ら返上することになりました。

交通事故で死亡したのは別人?

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木村進さんは現在も存命ですが、交通事故で死亡したという情報があります。この情報の元をたどると、別人であることがわかりました。
2010年11月、東京都足立区で会社員・木村進さんが自称キックボクシング会長・柴泉彰治容疑者にミニバイクではねられ、死亡する事故が起きました。柴泉容疑者はひき逃げした上、救護しなかったとして逮捕されています。
この事故の死亡者の名前が「木村進」だったことから、喜劇役者・木村進さんと混同されてしまい「喜劇俳優・木村進が事故で死亡」という情報が流れた可能性があります。
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木村進さんは結婚した経歴があります。結婚相手(嫁)は誰だったのでしょうか。

結婚相手(嫁)は日活ポルノ女優「風間舞子」

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木村進さんの結婚相手(嫁)は、日活ポルノ女優として活躍した風間舞子さんです。木村進さんと結婚相手(嫁)風間舞子さんが結婚したのはいつか、出会ったきっかけなどはわかりませんでした。結婚相手(嫁)風間舞子さんは、長崎県出身であることがわかっているため、同じ九州出身ということもあって意気投合して結婚した可能性があります。

吉本新喜劇退団後に離婚

木村進さんと結婚相手(嫁)風間舞子さんは、木村進さんが吉本興業を退社する前後に離婚しています。木村進さんが脳内出血で倒れ、左半身不随になったことで自暴自棄になり、夫婦関係も悪化したことが原因でした。その後も結婚しましたが、離婚してしまいました。2度目の結婚相手についてはわかりませんでした。

ひとり娘がいる!息子の噂の真相は?

木村進さんにはひとり娘がいます。のちに吉本新喜劇に所属することになる「木村優」さんです。息子がいるという噂がありますが、木村進さんには息子はいません。木村優さんが結婚して初孫(男の子)が生まれていることがわかりました。
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木村進さんは吉本興業退社後、「木村進劇団」を立ち上げます。自身のように障害に苦しむ人たちを慰問するため、障害者施設を中心に回る活動をしていました。しかし、公演中に骨折したことで、劇団の活動を休止しています。
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木村進さんは大阪で100円ショップ「木村進の店 多売来屋(たばこや)」を1990年代後半まで営んでいました。その後、経営から退き別の会社が経営を引き継ぎました。現在もお店は残っており、大阪100円ショップの元祖と言われています。
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木村進さんは博多の劇団俳優の息子として生まれ、劇団俳優を目指しますが父親の重圧から逃げるように吉本興業に入ります。その後、20代で新喜劇に出演、23歳で座長になるなど、瞬く間に頭角を現しました。間寛平さんとのコンビが人気となり、吉本新喜劇にはなくてはならない存在へとなっていきます。
人気絶頂期には、月に60本もレギュラー番組を持つほどでしたが、披露と酒の飲み過ぎが原因で脳内出血で倒れてしまいます。再起を図りますが左半身付随になり、吉本興業を去ることになります。
吉本興業退社後は「木村進劇団」を立ち上げて障害者施設を慰問したり、100円ショップを開業したりと障害が残る体になっても精力的に活動しました。現在はほぼ芸能活動を休止しており、余生を過ごしています。木村進さんは波乱の人生を送っていたことがわかりました。