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桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?ハーフなの?ピアノが得意?

生前はクレイジーのメンバーとして活躍した桜井センリさん。そんな桜井センリさんについて検索すると家族は?息子は?死因は孤独死?などがよく調べられているようです。そこで今回は家族構成、息子の有無、死因は孤独死なのかなど、桜井センリさんについて紹介します!

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】基本プロフィール

今回紹介する桜井センリ(さくらい センリ)さんは戦後の高度経済成長期に活躍した日本のミュージシャン、コメディアン、俳優で、クレイジーキャッツの元メンバーです。家族構成ですが、妹さんがいます。
公称は1930年3月20日生まれですが、正式には1926年3月20日の大正15年生まれです。同年12月生まれの植木等さんよりも早く生まれていて、実はクレイジーキャッツの最年長者。これはクレイジーキャッツの他のメンバーとバランスをとるためだったようです。その結果、旧制中学の後輩である石橋エータローさん、犬塚弘さんより年少ということになってしまいました。

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】ハーフ?

生まれがロンドンで、顔が濃く、名前が洋風なので、ハーフではないかという声もありますが、ハーフではありません。本名は桜井千里と言い、純日本人です。3歳まで、父親の赴任先であるロンドンに家族で住んでいましたが、イギリスかぶれの父親が外国でも通用する名前をということで、「桜井ヘンリー」と名づけました。日本に帰国後、千里と改名したそうです。
桜井センリさんに限らず、昔の芸能人は純日本人でもハーフに見える人が多いです。やはり堀が深く、顔が濃いのでハーフに見えるのではないでしょうか。ハーフのようでとてもカッコいいと思います。

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】クレイジーキャッツのメンバーとして活躍!

桜井センリさんはミュージシャンで、クレイジーキャッツでは主にピアノを担当していました。早稲田大学を中退し、ジャズピアニストとしての活動を始めます。いくつかのバンド活動を経て1952年にフランキー堺さんのジャズバンド&コミックバンド「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に加入し、ここで植木等さんと谷啓さんと出会いました。
その後、1年間活動した後、三木鶏郎さんの冗談工房を経て、1960年に植木等さんの紹介で、ジャズバンド「ハナ肇とクレイジーキャッツ」に参加することになります。これはメンバーの1人で、ピアノ担当の石橋エータローさんが結核の療養中だったためで、代役を務めることになりました。

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】石橋エータローさん復帰後もメンバーとして活動

石橋エータローさんが復帰した際に、植木等さんなどから脱退させるべきという声が挙ったそうですが、リーダーであるハナ肇さんが「せっかく仲間になったんだから」と他のメンバーを説得し、正式メンバーになりました。桜井センリさんはピアノ担当なので、石橋エータローさんが脱退する1971年まで、クレイジーキャッツは、ピアノ担当が2人という変則的な形をとり、「連弾」というスタイルを生かしたコントも行っています。
テレビ創世記には、クレイジーキャッツのメンバーと共に、フジテレビ系「おとなの漫画」日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」などの伝説の番組に出演。映画では「ニッポン無責任時代」「ニッポン無責任野郎」「クレージー作戦 先手必勝」などの作品に出演しました。前述した通り、石橋エータローさんとの連番コントなどピアノの腕や、軽妙洒脱なトークで存在感を発揮しました。

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】ピアノの腕前は?

桜井センリさんのピアノの腕前ですが、石橋エータローさんの大胆なスタイルに対して、桜井センリさんのスタイルは繊細です。桜井センリさんは演奏の感覚を忘れぬため、日課としてピアノを1時間演奏していたそうです。クラシック音楽やオペラについて詳しく、専門誌に原稿をよく寄せていました。
クレイジーキャッツの数あるヒット曲では、植木等さんや谷啓さんメインの楽曲がほとんどですが、桜井センリさんの歌声がしっかり聴けるナンバーに、メンバー全員が交代で歌う「悲しきわがこころ」や、植木等さんや谷啓さんと共にメイン・ヴォーカルを務めた「全国縦断追っかけのブルース」があります。どちらも素晴らしい曲で、クレイジーキャッツの曲らしく元気が出るので、ぜひ聴いてみてください!

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】「男はつらいよ」に出演

「男はつらいよ」にも出演しています。「男はつらいよ」は、渥美清さんが主演、山田洋次さんが原作・監督を務めた喜劇です。テキ屋稼業を生業の「フーテンの寅」こと車寅次郎が、全国各地を旅して、旅先で出会ったマドンナとの淡く切ない恋物語を描いています。
桜井センリさんは、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」など多くの作品に出演しています。
桜井センリさんが出演した「男はつらいよ」で特に印象に残っているのが、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」です。太地喜和子をマドンナ役に迎え、兵庫県を舞台に車寅次郎と美人芸者・ぼたんの恋模様を描いています。この作品で、桜井センリさんは観光課長役を演じました。
桜井センリさんは脇役ですが、いい味を出しています。作品の完成度も高く、出演作では一番ではないでしょうか。どの作品も素晴らしいですが、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」が特におすすめなので、ぜひご覧ください!

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】女形でブレイク

桜井センリさんと言えば女形で、ヒナ子さん、センリばあさんといったキャラクターを演じました。特にセンリばあさんは人気が高く、キンチョールのCM「ルーチョンキ」「あたしって駄目ねえ」という流行語を生み出し、NET(現・テレビ朝日)の公開コメディで「センリばあさんのクレージー大変記」が作られています。

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】2012年に死去

桜井センリさんは2012年に死去しました。警視庁牛込警察署によると、近所の住民が桜井センリさんの自宅のポストに新聞がたまり、窓が開きっぱなしになっていたことを不審に思い、警察に通報。駆けつけた署員が、自宅で倒れている桜井センリさんを発見し、死去を確認したそうです。

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】家族はおらず孤独死?

死因ですが事件性はないようです。死因になったのか分かりませんが、1996年には狭心症で入院し、出演予定だった舞台を降板しています。また死去した際に「孤独死」と報道されています。桜井センリさんは1967年に元・宝塚歌劇団員だった女性と結婚しましたが、離婚しています。
桜井センリさんについて検索すると、「息子」というワードが出てきますが、息子さんはいないようです。離婚後は母親と一緒に住んでいたそうですが、母親が死去してからは独り暮らしをしていたようで、死去する直前の家族は妹さんのみだったようです。また死去する直前に、電動車いすで買物に出かける姿が目撃されています。
孤独死というと悲しいイメージを抱きますが、自力で買い物に出掛けていますし、そこまで悲しい最後ではなかったのではないでしょうか。死去した時の年齢は86歳ですが、1人で暮らしで、家族に頼らず自力で買い物に行くなど最後まで桜井センリさんらしくパワフルだったと思います!

【桜井センリの死因は孤独死?息子、家族は?】まとめ

桜井センリさんのハーフ疑惑、ピアノの腕前、家族構成、息子の有無、死因について紹介してきましたが、いかがでしょうか。高度経済成長期の日本を元気づけ、最後まで元気に生きていて、素晴らしいと思います。クレイジーキャッツの作品は、家族で見られる面白いものばかりなので、ぜひご覧ください!