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半グレ集団・怒羅権とは?リーダーの逮捕や馬場義明との関係も調べました
半グレ集団『怒羅権(ドラゴン)』とはどういった集団なのでしょうか?怒羅権の創設メンバーであった人物のインタビューを元に、怒羅権についての詳細を調べてみました。また、怒羅権リーダーの逮捕や馬場義明との関係についても迫っています!
怒羅権(ドラゴン)とは?
半グレ集団『怒羅権(ドラゴン)』をご存知でしょうか?
『怒羅権』は、『関東連合』と並び、日本の首都圏を拠点とした有名な半グレ集団です。
『怒羅権』のメンバーは、中国残留孤児の2世や3世から成り立っています。「日本人に対する怒り、団結、権利」を意味しており、暴力団に属さず、犯罪を繰り返す集団。刃傷暴行・拳銃所持・殺人・強盗・覚醒剤密輸・危険ドラッグ密売・みかじめ料徴集などの凶悪犯罪が多いとされています。
怒羅権の勢力
先ほども述べましたが、怒羅権のメンバーは『中国残留孤児』の2世、3世がメンバーです。
怒羅権は、東京都江東区、江戸川区を縄張りとしており、その中でも「葛西怒羅権」、「深川怒羅権」、「府中怒羅権」、「王子華魂」、「赤羽華龍」のようにいくつかの暴走グループがあります。
怒羅権は刃物を所持しており、他の暴走族からは「包丁軍団」とも呼ばれています。 今までにも数々の暴力事件、殺人事件等を起こしており、現在服役をしているメンバーも多いのです。
怒羅権・結成の経緯
怒羅権の成り立ちについては、謎に包まれた部分が多い中、怒羅権の創立メンバーであり、府中怒羅権の創設者でもある汪楠(ワンナン)氏が、フライデーのインタビューに答えています。
汪楠さんは、中国吉林省長春市生まれ。中国残留孤児の母に育てられ、13歳だった1986年に来日。ウェイトレスとして働いていた母と一緒に、東京・葛西のアパートに住み始めました。
当時、葛西には「常盤寮」という残留孤児の受け入れ施設があり、その寮の子供たちなど60人ほどの残留孤児ジュニアがいました。汪楠さんを含む彼らは近隣の葛西中学校に通っていました。
日本語がほとんど話せない汪楠さんたち残留孤児ジュニアは、中学校時代は相当イジメられたそうです。「中国人」「バカ」などの罵声を浴び、毎日不良から殴られる日々を過ごしていました。
そんな中、自衛のために彼らは徐々に固まって行動するようになります。そして、反抗心の強いジュニアたちは不良たちに仕返しをするようになり、それが怒羅権の始まりだと言われています。
怒羅権の創立メンバーは12人。当初はリーダーはおらず、他の不良集団のように壁に落書きをしていたそうです。しかし、「ドラゴン」と書きたくても日本語が不得手のために「トラコン」となってしまったそうな。そこで、漢字ならわかるということで「怒羅権」になったそうです。
怒羅権と警察と抗争
この時代は、「不良」が全盛期を迎えていた時期。そのため、怒羅権も暴走族のようにバイクを乗り回していたようです。しかし、お金もなかったため、バイクを盗むなどの窃盗、無免許運転などを繰り返します。
暴走族との争いを繰り返しているうちに、怒羅権は1989年に「浦安事件」を起こします。この事件は、怒羅権メンバー8人が浦安まで遠征をした帰りに、地元の暴走族に襲撃をされます。
暴走族50人を相手に、8人の怒羅権メンバーは刃物を振り回して乱闘を起こします。そして、メンバーが相手を1人刺し殺してしまうのです。
怒羅権メンバー8人に対し、50人もの暴走族が突然襲撃。怒羅権としては、正当防衛だったのでしょう。しかし、相手を刺し殺したメンバーは警察に逮捕されます。これが浦安事件です。この事件をキッカケに、怒羅権は警察への不信感も持つようになります。
そして、交番やパトカーを襲撃するようになってしまいます。火炎瓶を投げつけたり、火をつけたバイクを交番に突っ込ませたりと、かなり過激な襲撃を行っていたようです。
怒羅権とヤクザとの抗争
浦安事件から約1年後、真面目に働いていた先輩と焼き肉店にいた時のこと。偶然居合わせたヤクザと喧嘩になります。そして、その先輩はヤクザたちにもみくちゃにされ、圧死をしてしまうのです。このことがキッカケとなり、怒羅権はヤクザにも不信感を持つようになります。
ヤクザの組事務所を片っ端から襲撃していったという怒羅権。このヤクザとの抗争では、何人ものメンバーが亡くなってしまったそうです。
この頃の怒羅権はメンバー数は800人以上にも及び、王子や府中にも勢力を広げます。汪楠さんは、府中に住んでいた時期があり、その時に「府中怒羅権」を創設しています。
怒羅権のメンバーの中には、ヤクザになる人も出てきており、実際に汪楠さんも怒羅権を続けながらも住吉系の事務所に属していた時期があったと言います。
そういったヤクザになったメンバーを通じ、ヤクザからの仕事を請け負うようになった怒羅権。強盗、ドラッグ、殺人も、ヤクザを通じて怒羅権が仕事をしていたようで、現在もこの構図は変わっていないそうです。
怒羅権・初代総長の逮捕
怒羅権には逮捕者も多いのですが、初代総長である、佐々木秀夫(本名:張栄興・ジャン・ロンシン)も2019年4月28日に逮捕をされています。
ジャン・ロンシンの逮捕は、路上での暴行事件。初代総長ということは、フライデーのインタビューに答えた汪楠さんと同じ時期にメンバーであった12人のうちの1人ですね。創設時期から現在までも怒羅権におり、初代総長を務めていたほどの人物ですから、かなりの力を持っていたのでしょう。
汪楠氏のその後
一方で、汪楠さんは現在は怒羅権から足を洗っています。
実は、汪楠さんは過去に少年院にて2年間服役をしていました。その理由は、汪楠さんの財布を盗んだ組員の左腕を、日本刀で切り落としてしまったからです。切り落とされた相手は皮一枚で腕をプラプラさせたまま病院に担ぎ込まれたそうですので、かなり生々しい状況だったのでしょう。
汪楠さんは、少年院を出所後は違法ポーカーの店を仕切っていました。しかし、別の組織ともめてしまい、組は破門に。そして、怒羅権のメンバーと共にヤクザの事務所荒らしを始めます。夜のうちにヤクザの事務所に忍び込み、小切手や手形を窃盗。そして、翌日は手下が銀行からカネを引き出す行為を繰り返したそうです。
NPO「ほんにかえるプロジェクト」で活動
これにより、2000年に逮捕をされ、13年間服役をしていました。服役中は、多数の読書に没頭。この読書によって、抱えていた“怒り”が消えたそうです。
そして、出所後はNPO「ほんにかえるプロジェクト」にて活動を行っています。「ほんにかえるプロジェクト」では、受刑者に本を送る活動と共に、手紙でやりとりも行っています。これまでの人生が不本意ではなかったのか?との問いにも答えているようですよ。
怒羅権が分裂!?馬場義明との関係
怒羅権のメンバーの中でも、最も危ない人物とも言われたのが馬場義明です。
馬場義明は、2009年頃から8年間ほど怒羅権のリーダーを務めていました。馬場義明は、怒羅権に属しながらも住吉会系の組員でもあったのです。
この頃の怒羅権は詐欺行為を繰り返し、20億円もの資金を手に入れていました。そんな中、怒羅権のトップであった馬場義明を陥れて資金を横領しようという動きが出てしまいます。そのため、馬場義明は親しい人をも疑うほどの疑心暗鬼になっていたそうな。
そして、怒羅権のナンバー2を狙う拳銃襲撃未遂事件が起こります。この事件が起こった日に、馬場義明は出国をしており、その後も怒羅権の大事な話し合いにも参加していません。このことからも、ナンバー2を狙ったのは馬場義明と言われています。
しかし、ナンバー2だった人物は馬場義明とは同じ時期に何度も服役をし、大親友とも言えた間柄。そんな間柄でありながらも、命を狙うという行為を起こしたことは、怒羅権の中でもかなりの批判を買います。
馬場義明を支持する勢力と対抗する勢力とに分かれ、一時は怒羅権が分裂か?とも言われたほどです。しかし、馬場義明はその後に苗字も「大東」に変更し、“逃げた”とも言われてしまいます。そのため現在は、完全に怒羅権での権力はなくなってしまったようです。これで、怒羅権の分裂は免れたのでしょうか?
【怒羅権】まとめ
半グレ集団「怒羅権」についてご紹介しました。
日本の裏社会で活動を広げる怒羅権。現役のメンバーもいれば、現在は更生をして社会に貢献する元メンバーもいます。
怒羅権は、現在は蛇頭やチャイニーズマフィアとも密接な関係があり、国際的な犯罪も繰り広げています。今後も、日本の裏社会を牛耳る集団の1つであることは間違いないでしょう。