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夏木陽介の死因は?恋人と結婚していた?若い頃から現在まで総まとめ
夏木陽介さんの死因はなんだったのでしょうか。夏木陽介さんが、死去した時の状況や死因、恋人がいたのか結婚はしていたのか、若い頃から現在までの出演作や家族など気になることがたくさんあります。夏木陽介さんの現在までの死去報道をまとめてみてみましょう。
夏木陽介のプロフィール
夏木陽介(なつき・ようすけ)さんは、東京都出身の1936年2月27日生まれです。
夏木陽介さんは、本名は阿久沢有(あくざわ・たもつ)さんと言います。
夏木陽介の恋人・結婚
夏木陽介さんは、生涯、独身を貫き、結婚はしませんでした。
夏木陽介さんに恋人がいたのか気になるところですが、どうなのでしょうか。
夏木陽介さんは、星由里子さんと恋人関係の役をすることが多く恋人同士だったのではないかと噂になりました。
実際がどうだったのかはわかりませんが、星由里子さんと共演した映画やドラマをみてみましょう。
星由里子さんと映画「忠臣蔵」で恋人関係
夏木陽介さんは、映画「忠臣蔵」の岡野金右衛門役で、星由里子さんと恋人を演じました。
「三大怪獣 地球最大の決戦」での共演
夏木陽介さんと星由里子さんは、映画「三大怪獣 地球最大の決戦」で共演しました。
夏木陽介の若い頃
夏木陽介さんは、1958年に東宝に入社し、映画デビューしました。
代表作は、テレビドラマ「青春とはなんだ」の熱血教師役や、ドラマ「Gメン’75」の小田切警視役、ドラマ「荒野の用心棒」などにも出演しました。
若い頃の夏木陽介さん、加山雄三さん、佐藤允さん
夏木陽介さんと加山雄三さんは、仲が悪かったという噂もありますが、実際はどうだったのでしょうか。
佐藤允さんのインタビューがあるので、インタビューから2人の関係をみてみましょう。
司会「東宝映画にとっては昭和35年の加山雄三さんのデビューは大きな出来事でこれ以降主演者の流れが少し変わるんですよね」 佐藤「加山雄三君は出てきてすぐ主役でしょ。当時ケンカしたりしましたね」 司会「どんなことで?」 佐藤「いやー、たいした事じゃないですよ。態度が生意気とかなんとか。そんなようなことで。くだらない事が原因でした」 司会「その後夏木陽介さんと3人でよく共演なさったんですよね」 佐藤「そうですね。2枚目同士は仲が悪いもんですが、僕はこんな(顔)だから加山君とも仲良くやってたし、夏木君とも仲良かった。加山君と夏木君は仲悪かったですけどね」
http://www.j-kinema.com/satomakoto.htm若い頃の夏木陽介さん
「夏木プロダクション」の設立
1982年からは、個人事務所「夏木プロダクション」を設立し、賀来千香子さんや、西村和彦さんとうう俳優さん達も育成しました。
【夏木陽介の出演作】ドラマ「青春とはなんだ」
1965年10月24日~1966年11月20日の学園ドラマ「青春とはなんだ」で熱血教師・野々村浩介を演じました。
原作は、石原慎太郎さんで、青春ドラマシリーズの第1弾です。
閉鎖的な田舎町の森山高校に教師として赴任してきたアメリカ帰りの野々村浩介が、古い因習や弊害などに体当たりで挑んでいくドラマです。
【夏木陽介の出演作】ドラマ「Gメン’75」
1975年5月にスタートしたドラマ「Gメン’75」では、スーツ姿のダンディーな小田切警視役を演じました。
ドラマのオープニングは、陽炎がのぼる滑走路を横一列で歩く「Gメン’75」のメンバー達、「ハードボイルドGメン’75 熱い心を強い意志で包んだ男たち」のナレーションが流れる強烈なインパクトでした。
個人的な感情を捨てて非情な捜査に命を懸けるハードボイルドな刑事たちは、警視庁から独立した特別潜入捜査班という立場で、警察内部の腐敗を暴くことも多い内容でした。
【夏木陽介の出演作】ドラマ「荒野の用心棒」
ドラマ「荒野の用心棒」では、鉄砲を扱う秋月左馬之介を演じました。
ドラマ「荒野の用心棒」の時代は徳川末期に、3人の男たちが凶暴な敵から庶民を守る用心棒として活躍する姿を描いたドラマです。
3人の男たちは、爆弾を扱う速見雷蔵役の竜雷太さん、剣の達人の谺鬼十郎役の渡哲也さん、そして鉄砲を扱う秋月左馬之介役の夏木陽介さんです。
夏木陽介のパリ・ダカール・ラリー
夏木陽介さんは、自動車好きでも知られていて、過去にはトヨタ2000GTなど高級車やスポーツカーを多く所有していました。1985年1986年にパリ-ダカール・ラリーにドライバーとして出場しました。
1987年~1993年には、パリ・ダカール・ラリーの「チーム三菱・シチズン夏木」の監督を務め、篠塚建次郎さんや増岡浩さんを起用した結果、好成績を収めました。
夏木陽介の闘病生活
夏木陽介さんは、2009年に軽い脳梗塞を起こし、2010年には左腎臓にステージⅢのがんが見つかって摘出しました。
2018年8月9日まではブログで近況を伝えていました。
2018年10月2日、肺炎のために入院し、約2週間後に退院しました。
その後、11月25日、リハビリ中にストレッチなどをしていた時に体に力が入らなくなり、床に崩れ落ちました。
翌日の11月26日に再び入院し、病院で精密検査を受けた結果、11月29日には、胸椎にがんが発見されました。
入院中には食事も普通にとることができていて、見舞客には冗談を飛ばして会話をするなど元気な様子だったということでしたが、12月27日に集中治療室に入ってからは、そのまま意識が戻ることはなく、この時には、がんと思われる影が脳にまでできていました。
2019年1月9日に集中治療室を出て個室に移り、1月14日午前10時46分に家族に看取られて死去しました。
【夏木陽介の死去】腎細胞がん
夏木陽介さんは、2019年1月14日に腎細胞がんのために東京都内の病院で死去しました。
2010年から闘病生活を始め、最後には、脳までがんが転移しました。
夏木陽介さんの死去の知らせは、2019年1月19日に、夏木陽介さんの公式ブログを通じて、東北芸術工科大学教授で作家の山川健一さんが友人代表として追悼文を掲載する形で発表されました。
葬儀の喪主は弟の博(ひろし)さんで、近親者で行いました。
夏木陽介さんと一緒に老人ホームに入る予定だった黒柳徹子さん
黒柳徹子さんが、「老人ホーム」というエッセイの中で夏木陽介さんに対する特別な思いを書かれていました。
黒柳徹子さんがドラマに出始めた30歳くらいの頃に、山岡久乃さんと池内淳子さんと3人で一緒に老
人ホームに入ろうという話に決まったということでした。
そして、黒柳徹子さんが35歳くらいの時に、夏木陽介さんと仕事が一緒になり、老人ホームに入る計画を話すと計画に参加したいということだったということでした。
黒柳徹子さんが他の2人に相談するという話をしているうちに、山岡久乃さんが病気になって、入院する事になり、そのまま死去してしまったということでした。
それから10年くらいたった頃、池内淳子さんも突然死去してしまったということでした。
そんなときに、夏木陽介さんに逢い、黒柳徹子さんと夏木陽介さん2人で老人ホームに入るのもねという話をしたということでした。
結局、黒柳徹子さんが「老人ホーム」に一緒に入ろうと約束した3人は死去してしまったということを書かれていました。
夏木陽介の死去報道 まとめ
夏木陽介さんは、2009年に軽い脳梗塞を起こし、2010年には左腎臓にステージⅢのがんが見つかって摘出しました。
2018年11月29日には、胸椎にがんが発見され、12月27日に集中治療室に入ってからは意識が戻ることはなく、がんが脳にまで転移していました。
2019年1月9日には集中治療室を出て個室に移り、1月14日午前10時46分に家族に看取られて死去しました。
夏木陽介さんのご冥福をお祈りします。
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