【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】2018年で通算120本目の主演映画完成
長年、日本映画界で活躍してきた吉永小百合さん。もう日本を代表する名女優となりました。今年2018年、通算120本目の出演映画『北の桜守』が完成。若い頃と変わらない気品ある可愛らしさで人々を魅了し続けています。清純派女優、吉永小百合さんのファンは「サユリスト」と呼ばれ、時代の流行語にもなりました。そんな美人女優の吉永小百合さんのかわいい画像をご覧下さい。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】吉永小百合さんプロフィール
吉永小百合(よしながさゆり)さんの本名は「岡田 小百合」です。生年月日は1945年3月13日(現在73歳)ということで、ちょうど終戦の年(昭和20年)生まれです。出身は東京都渋谷区。身長は155cmと小柄です。血液型はO型。職業は「女優・歌手」で、数多くの映画やドラマで主演を務めました。
吉永小百合さんの中学校と高等学校
1・1960年(昭和35年・15歳時):渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。同時に日活撮影所に入社。
2・1961年(昭和36年・16歳時):- 私立精華学園女子高等学校(現在の 東海大学付属望洋[ぼうよう]高等学校)転入学。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】吉永小百合さんのデビューとテレビの普及
吉永小百合さんの芸能活動は大変早く、最初は『赤胴鈴之助』がデビュー作です。1957年(昭和32年・12歳時):渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビューしました。10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビューという順調な滑り出しです。
テレビでの女優活躍はまだ珍しかった時代
1959年(昭和34年・14歳時): 松竹映画『朝を呼ぶ口笛』では早々に映画デビューを果たしています。戦後の美少女として人気が高まった吉永小百合さん。映画界は、俳優や女優のテレビ出演にはあまり積極的ではありませんでした。テレビよりも映画の大スクリーンが格上だったのです。そのため、テレビで放映されるドラマはアメリカ物が多く、この傾向は1970年代初頭まで続きました。
『赤胴鈴之助』と一般家庭でのテレビ普及
日本におけるテレビは、1955年(昭和30年)4月1日より、ラジオ東京(現:TBSテレビ)がテレビ放送を開始しました。しかし一般家庭への普及は、今上天皇のご成婚中継が行われたことが大きなきっかけとなった1958年(昭和33年)からでした。吉永小百合さんのテレビドラマデビュー作は、その前年だったため、日本中が視聴したというわけではありませんでした。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】映画『キューポラのある街』で初主演:1962年
吉永小百合さんは、まだ高校時代の1962年(17歳時)、映画『キューポラのある街』で主演を務めました。そして『ブルーリボン賞』主演女優賞を受賞。21世紀になった2012年でも、17歳での『ブルーリボン賞』主演女優賞受賞は史上最年少記録です。
『ブルーリボン賞』とは
ブルーリボン賞とは、1950年(昭和25年)に創設された日本の映画賞で、当初は「東京映画記者会賞」の名称でスタートしました。現在は東京のスポーツ7紙の映画担当記者で構成された「東京映画記者会」とも呼ばれます。
『キューポラのある街』あらすじ
『キューポラのある街』は1961年(昭和36年)から撮影開始されました。舞台は埼玉県川口市。原作は児童文学作家である早船(はやふね)ちよさんの小説。この小説は1959年(昭和34年)から雑誌『母と子』に1年間連載され、昭和37年(1962年)に日本児童文学者協会賞を受賞した作品です。映画化された概要は次の通りです。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】レコードデビューとイタリア訪問:1962年
吉永小百合さんはまだ夢多き17歳で歌手デビュー、そして日活女優代表としてイタリア訪問も行っています。このような経験は、感受性豊かな十代の少女に多大な影響を与えたでしょう。
『いつでも夢を』で第4回日本レコード大賞受賞
吉永小百合さんは、その美しい声を活かし、1962年(17歳時)ビクターから『寒い朝』でレコードデビューしました。このレコードの売上は20万枚のヒット。また橋幸夫(はしゆきお)さんとのデュエットで『いつでも夢を』を歌い、このレコードはデビュー作を上回る30万枚の大ヒットとなりました。この曲により「第4回日本レコード大賞」を受賞。この頃から日活の清純派女優として活躍が始まりました。
『ミラノ国際見本市』に『日本映画見本市』のためイタリア渡航
また同年の3月31日からイタリアのミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」において、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、東宝社長が団長となり、他の映画会社各社代表女優らと共に、日活代表女優としてイタリアへと出発しています。当時はまだ海外渡航自由化が実現されておらず、吉永小百合さんには大変貴重な海外経験となりました。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】映画『伊豆の踊り子』1963年
『伊豆の踊り子』は故・川端康成氏が1926年(大正15年)、雑誌『文藝時代』1~2月号に発表した、自分の青春時代の思い出を綴った短編小説です。この小説は、古くは1933年(昭和8年)のサイレント映画を皮切りに、6回映画化されています。
原作者である川端康成氏がヒロイン:吉永小百合さんに会いにロケ地まで
吉永小百合さんが主演を務めた『伊豆の踊り子』は、1963年(昭和38年・18歳時)6月2日公開。カラー87分の作品です。この吉永小百合さんをヒロインにするに当たり、原作者である川端康成氏が山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ねたというエピソードがあります。これはわざわざ吉永小百合さんに会いたいためだったそうです。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】早稲田大学入学から卒業まで:1965年~1969年
吉永小百合さんは、俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退せざるを得ませんでした。しかし、「大学入学資格検定」(略称:「大検」)を受験し、早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認定されました。そしてちょうど20歳の春、早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学します。
多忙な女優業の中早稲田大学を次席で卒業
その後の学業成績は目覚ましく、24歳の春、早稲田大学を正規の4年間、留年もなく無事卒業。しかもその時の成績は次席(卒業生の中で2位)だったということから、大変賢明な女性であることが分かります。この卒業を機に日活と契約を更新、更に順調に女優業に専念するようになりました。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】ドラマ『夢千代日記』1981年~1984年
湯殿の女将を務める夢千代(ゆめちよ)を取り巻く人間模様を描いた三部作ドラマ『夢千代日記』も吉永小百合さん主演の代表作です。吉永小百合さんが36歳から39歳の作品です。あらすじは以下の通りです。
『夢千代日記』あらすじ
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】『キネマ旬報』で20世紀映画スター第2位:2000年
『キネマ旬報社』は1919年(大正8年)に雑誌『キネマ旬報』を創刊。映画情報や映像エンタテインメント関連の雑誌として、もう100年間もの間、映画ファンに愛されて来ました。「キネマ」と「シネマ」の違いは次の通りです。
「キネマ旬報」の由来
キネマトグラフ「kinematograph」の略で、シネマトグラフ(シネマ「cinema」)と同じく映画を意味する語。フランス語で映写機を意味するシネマトグラフ「cinématographe」が日本語で「死ね」を連想させることからキネマという言葉が生まれた説や、ドイツ語で映画を意味するキネマトグラフ「kinematograph」経由で日本に入ってきたからという説など様々に存在する。
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9Eフランス語はオシャレだからと愛用する日本人が多数いる中、映画に関しては「シネマ」が「死ね」を連想させるということから英語から「キネマ」になったというのは、映画ファンの情熱から来る強いこだわりを感じさせます。
キネマ旬報が選んだ「20世紀の映画スター」で2位に
『キネマ旬報』では映画評論も盛んですが、この雑誌での2000年(吉永小百合さん55歳)における映画スター人気投票「20世紀の映画スター・女優編」では日本女優の2位となりました。また同年「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」でも同じく第2位という結果を残しています。
【若い頃から美人で年齢知らずの吉永小百合:昔のかわいい画像!】原爆詩朗読:2002~2005年
吉永小百合さんはドラマ『夢千代日記』で、原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、原爆詩の朗読を始めました。2002年(57歳時)では、平和記念資料館(広島市)に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当しました。
原爆詩朗読による平和活動
翌年、2003年(平成15年)には、平和記念資料館でのナレーション及び、同じくボランティアで行った原爆詩の朗読などの平和活動が評価され、「第15回谷本清平和賞」を受賞しています。またその2年後の2005年(平成17年)、60歳になった吉永小百合さんは、 第56回NHK紅白歌合戦の途中、山梨県からの中継で原爆詩を朗読しています。
まとめ:歴史に残る名女優・吉永小百合さんの美しさ
若い時はその美しさと演技力が高く評価され、人生が熟して来ると、原爆詩の朗読など平和運動に献身するという女優の歩み方は、かのオードリー・ヘップバーンにも似ています。吉永小百合さんの美しさは、こうした平和運動で反映されるように、外面的なものではなく、内面から光り輝くものだと言えるのではないでしょうか。