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宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?騒動の真相まとめ!

女優として活躍中の宮沢りえさん。実はかつて貴花田(現・貴乃花親方)と結婚していました。しかし2か月で破局しています。これは宮沢りえさんの母親が原因だと言われていますが、どうなのでしょうか。今回は母親との関係を中心に、貴花田との騒動などについて紹介して行きます。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】基本プロフィール

今回紹介する宮沢りえさんは、ご存じの通り日本の女優です。生年月日は1973年4月6日で、出身地は東京都練馬区。血液型はB型で、身長は167cmです。事務所はエムツー企画に所属しています。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】母親は美人だった?

今回紹介する宮沢りえさんの母親である宮沢光子さんは、2014年に亡くなるまで宮沢りえさんが所属している「エム・ツー企画」の代表取締役を務めていました。
女優の加賀まりこさんと仲良しで、若い頃はよく一緒にいたとか。加賀まりこさんによると、宮沢光子さんはとても美しかったので、周りの男性にとって高嶺の花だったようです。また、オランダ人の父親によると顔は宮沢りえさんにそっくりで、特に目元が似ていたとか。若い頃にスカウトされ、CMに出演したそうです。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】オランダのハーフ!

おしとやかな日本美女を体現している宮沢りえさんですが、実は日本人の母親と、オランダ人の父親との間に生まれたハーフです。オランダ名もあって、子供の頃に雑誌のインタビューでオランダ名は「リー・マム」だと答えてました。「リー」はleeeとeが3つとのことです。
宮沢光子さんと父親であるオランダ人男性との馴れ初めですが、オランダ人の父親は船乗りで、宮沢光子さんが六本木でクラブホステスだった頃に、出会ったそうです。その後、宮沢りえさんが誕生しますが、宮沢光子さんは子供を自身の父親に預けて、宮沢りえさんの父親が住むオランダに移り住んでしまいます。
そのため宮沢りえさんは、祖父母や親せきの子供たちと一緒に育てられることになりました。この時、祖母に大切にしてもらったそうですが、対談番組で宮沢りえさんは子供時代を振り返り、宮沢光子さんと一緒に暮すことを夢みる少女だったと話しています。やはり子供は親と一緒にいたいと思うのが当然です。それなのに子供の頃から親と離れ離れになるなんて激動の人生です。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】母親が帰国しデビューへ

子供を預け、オランダで結婚生活をスタートさせた宮沢りえさんの父親と母親ですが、結婚生活はわずか4カ月で終わりを迎え、離婚することになります。離婚した原因ですが、オランダ人の父親の家族から反対があったようです。生まれたばかりの子供を預け、オランダに来たので、反対されたのではないかという噂です。離婚した宮沢光子さんは日本に帰国することになります。
夫と離婚し、日本に帰国した宮沢光子さんは、宮沢りえさんと久しぶりに対面することに。その時に、宮沢りえさんがとても可愛らしく、更に周囲のプッシュもあったため、宮沢光子さんは芸能界にデビューさせることにしました。ここからメディア、マスコミから“一卵性母子”と言われた宮沢光子さんの”宮沢りえプロデュース”が始まることになります。
宮沢光子さんは娘をデビューさせるため、芸能界の実力者が集まる東京・六本木の飲食店に出入りし、宮沢りえさんを芸能関係者に売り込んだそうです。そうした活動が功を奏して、1985年小学6年生の時に、明星食品「チャルメラ」のCMで芸能界デビューを果し、その後、雑誌「週刊セブンティーン」の表紙モデルとなりました。宮沢りえさんの芸能界デビューの裏には母親の必死の売り込みがあったようです。
宮沢りえさんが、ブレイクしたきっかけは1987年に放送された「三井のリハウス」のCMです。宮沢りえさんはこのCMで清楚なお嬢様である白鳥麗子”役を演じましたが、宮沢りえさんの美しさが大きな話題になると、人気に火が着き、トップアイドルの一人になりました。当時のCMを見るととても美しいです。CMに採用され、ブレイクしたのも納得です。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】写真集「SantaFa」が大ヒット

清楚なお嬢様役を演じて人気に火が着いた宮沢りえさんですが、ふんどし姿を納めた「ふんどしカレンダー」、そしてヌード写真を納めた写真集「Santa Fe、サンタフェ」を発表します。特に話題になった写真集「Santa Fe、サンタフェ」は写真界の巨匠・篠山紀信さんがカメラマンを務め、アメリカのニューメキシコ州サンタフェ市を舞台に、宮沢りえさんのヌードが納められた作品です。当時、若手人気アイドルのヌードということで、写真集は155万部を突破する大ベストセラーを記録し、社会現象を巻き起こしました。この売上は写真集で歴代No.1で、この記録は未だに破られていません。
しかしこの「ふんどしカレンダー」と写真集「Santa Fe、サンタフェ」は当然ながら宮沢りえさんの意思でリリースしたわけではなく、宮沢光子さんの意思で行われました。写真集「Santa Fe、サンタフェ」に関しては、「綺麗なお宝は若いうちに撮っておいたほうがいい」ということで、篠山紀信さんにヌードの撮影を打診したそうです。しかも宮沢りえさんに撮影のことを知らせたのはサンタフェ市に着いてからだったとか。たけしさんが、自分の娘を脱がせることを批判したそうですが、その通りだと思います。話題になりましたが、宮沢光子さんの暴走と言えます。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】母親が恋愛に干渉

宮沢光子さんの”宮沢りえプロデュース”は仕事にとどまらず、恋愛にも及びました。宮沢りえさんは1992年に若乃花と共に一時代を築きあげた力士・貴花田(現・貴乃花親方)と婚約しています。雑誌の対談や、ドキュメンタリー番組で、意気投合し、婚約に至ったようです。
その後、婚約会見を開き、仲むつまじい姿を披露しましたが、2人は2か月間離婚しています。貴乃花さんは会見で「連絡もとってないし、会ってもいない」「(彼女への)愛情がなくなりました」とコメントし、宮沢りえさんは「残念です」とコメントしています。
もちろんこれは宮沢光子さんの影響で、双方の母親同士が衝突し、離婚することになったようです。2014年に美川憲一さんがこの離婚の詳しい内情を明かしています。美川憲一さんによると「(宮沢光子さんに)頼まれて(婚約を)ぶっ壊したのよ、私が」とのことです。また以下のようにコメントしています。

「あなた本当にお嫁に行きたいの?と聞いたら“行きたい”と。でもあなたは背負っているものが多い。あなたは母一人子一人。お母さんがすごい犠牲になってきている。おかみさんになったらどうするの?ずっと(母の)面倒見なきゃいけないのよ」

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/10/05/kiji/K20141005009050740.html
美川憲一さんは宮沢りえさんに電話をしてと好きなだけでは結婚はできないと諭したそうです。宮沢りえさんは電話口の向こうで泣いていたとか。宮沢りえさんは離婚した貴乃花さんに「強い横綱になってください」とコメントしたそうです。当時、19歳でしたが、結婚を解消することになり、相当ショックだったのではないでしょうか。心が壊れてしまいそうです。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】一時期は芸能活動休止状態に

やはり宮沢光子さんの暴走は、宮沢りえさんに影響を与えたようで、1994年には宮沢りえさんが自ら手首を切る事件を起こっています。これは宮沢りえさん本人が「原因は母子げんか」と説明しています。更に芸能マスコミからも婚約解消、男性との交際、さらに拒食症の噂などから猛バッシングを受けてしまい、宮沢光子さんと共にアメリカ・サンディエゴへの移住を発表し、一時期は芸能活動休止状態になりました。
その後、宮沢りえさんは2000年頃に女優として本格復帰すると、宮沢光子さんは宮沢りえさんの自立を促すためかフランス・パリに移住。それで親子関係にある程度バランスが取れるようになったのか、宮沢りえさんは2002年の日刊スポーツのインタビューで「とにかく強い人。敬愛しています」とコメントしています。
しかしその後も、宮沢りえさんの恋愛への干渉は続いていたようで、市川海老蔵さんや、中田英寿さん、市川右近さんなどの男性と噂になりましたが、宮沢光子さんの反対にあって別れたと言われています。宮沢光子さんは自身が好きな相手とは無理やりでもくっつけようとしますが、そうではない相手とは強引に別れさせようとするようです。何でも関わろうとするなんてまるで人形扱いです。俗に言う「毒親」と言えるのではないでしょうか。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】妊娠を発表

恋愛にも干渉されてきた宮沢りえさんですが、2009年2月に妊娠6か月であることを発表します。お相手はハワイ在住の日本人実業家で、元プロサーファーの中津ひろゆきさんです。この時も宮沢光子さんが、滞在先のパリから飛んで帰ってきて、結婚に反対したそうですが、妊娠6カ月で堕胎するのは不可能ですし、結婚するしかありません。この発表は宮沢光子さんのことをよく知る中村勘三郎さんがアドバイスし、スポーツ紙上での“妊娠発表”に至ったと噂されています。この時は宮沢りえさんが母親に反旗を翻したようです。

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】2014年に他界

宮沢りえさんのプロデュースに人生をかけた宮沢光子さんですが、2014年に肝腫瘍の診断を受け、自宅療養することになります。宮沢りえさんが所属し、宮沢光子さんが代表取締役を務める事務所によると、宮沢光子さんは肝腫瘍の診断を受けると、自宅療養を選択したそうです。その後、2014年9月23日に息を引き取りました。宮沢光子さんに対して、宮沢りえさんは、以下のようにコメントしています。

「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」

http://www.sanspo.com/geino/news/20140925/oth14092505060001-n1.html

【宮沢りえの母が貴花田との破局原因を作った?】まとめ

毒親エピソードがたくさんあって、2009年に宮沢りえさんが妊娠した際には反対したという情報もありますが、パリから駆け付けて娘の妊娠を喜んでいたという情報もあります。更に2013年5月に舞台「おのれナポレオン」で心筋梗塞のため降板した天海祐希さんの代役を務めた際、報道陣の「りえさんの演技はいかかでしたか?」という問いかけに対して、宮沢光子さんが両手で大きく丸を作りOKサインを出していました。
また、2013年に宮沢りえさんはテレビ番組で、宮沢光子さんについて「菩薩みたいな感じ。当時は『言わせておけばいい、いつか分かるから』って言ってました。そういうことがあったから今の私がある」とコメントしています。
宮沢光子さんが暴走したことは確かだと思います。しかし毒親エピソードは少し盛られているところもあるようです。それに誰よりも宮沢りえさんのことを応援していたのも事実です。また宮沢りえさんが芸能界にデビューできたのは宮沢光子さんのおかげであることは事実です。小さい頃は保険の外交やホステスをして支えています。だからこそ宮沢りえさんは母親を肯定しているのではないでしょうか。
親が滅茶苦茶だと批判したくなりますが、批判せず肯定するなんてとても大人な対応です。宮沢りえさんは女性として人間として素晴らしいです。結婚しましたが、宮沢りえさんがこれからどんな活躍を見せてくれるのかとても楽しみです!