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生田悦子の死因は?若い頃に淡谷のり子とものまねで?本名は?
生田悦子さんの死因はなんだったのでしょうか。生田悦子さんが死去した時の状況や死因、若い頃の生田悦子や女優としての活躍や淡谷のり子さんとものまね王座でのやりとりなど気になることはたくさんあります。生田悦子さんに関する死去報道をまとめてみてみます。
生田悦子のプロフィール
生田悦子(いくた・えつこ)さんは、福岡県出身の1947年4月8日生まれです。
本名は、村田悦子(むらた・えつこ)さんと言います。
高校生だった1963年に準ミス平凡に選ばれて、1966年に松竹に入社しました。
趣味はマージャン・パチンコです。
生田悦子の生い立ち
生田悦子さんの父親は歯科医でした。
生田悦子さんは、母親は18歳の時に出産した子供でした。
生田悦子さんの両親は、時々、激しい夫婦喧嘩をしていたということで、喧嘩をすると母親は東京に遊びに行ってしまい、幼い生田悦子さんは一人で博多駅に置いてきぼりになったこともあるそうです。
生田悦子さんが7歳の時に両親が離婚して、生田悦子さんは母方の祖父母に引き取られたということですが、両親が離婚してからの生田悦子さんはそれまで明るかった生田悦子さんとは比べものにならないくらい引きこもりがちになってしまったそうです。
学校でいじめられていたことも祖父母には秘密にしていたということでした。
生田悦子さんが中学校の頃に、家を出て行っていたお母さんが帰ってきて、高級クラブを始めたそうです。生田悦子さんは、セーラー服でお母さんのお店を手伝ったということです。
生田悦子さんはモデルになってからも、自分は風呂なしのアパートに住んで母親に仕送りをしていたということです。
生田悦子の若い頃
1966年11月に映画「命果てる日まで」で女優デビューしました。
若い頃の生田悦子さんの評判は?
若い頃の生田悦子さんの評判は「爽やか」「美人の基本形」「綺麗な人」「上品」などと、かなり好感度が高い評判が多かったようです。
しかし、見た目の評判の良さとは反対に、性格は悪そうと言われていました。
これはドラマ「あかんたれ」での悪女役の影響や、きりっとした雰囲気が周りからみると冷たい印象を与えていたからなのかもしれません。
実際の生田悦子さんの性格は、さばさばした性格だったようです。
若い頃の画像
生田悦子の良いOL
1981年4月から1983年9月まで放送されたバラエティー番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で、良いOL役を演じて好評を得ました。
「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で共演した松居直美さん、小柳みゆきさんと3人で結成したユニット「よせなべトリオ」では、「大きな恋の物語」を歌いヒットしました。
淡谷のり子と「ものまね王座」
生田悦子さんは「ものまね王座」の審査員として活躍していました。
生田悦子は欽ドンのヨシヤマさんよりも、ものまね王座の審査員席で淡谷のり子に解説をされていた姿が印象的だった。
— 静脈瘤 (@varix23) July 17, 2018
生田悦子さんは「ものまね王座決定戦」で審査員として淡谷のり子さんの耳元でひそひそ話をしている姿が印象に残っている人が多いようです。
ほかにも、生田悦子さんは「ものまね王座」の審査員として、機械音痴の淡谷のり子さんの代わりに採点機械を操作する姿も印象的だったり、一部では、同門の松居直美さんにはやたらと採点が甘かったのではないかとか、淡谷のり子先生の採点を操っていたのではないかという噂もあったりします。
生田悦子の特技は指編み
1999年と2008年には「生田悦子のオシャレ指編み」という編み物の本を出版しました。
生田悦子さんは幼稚園の頃から編み物が得意だったということで、つらい時にも、編み物が支えになっていたようです。
編み物の講師の資格も持っています。
女優・生田悦子
女優・生田悦子としては、ドラマは1973年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」や1979年「草燃える」、1978年ドラマ「白い巨塔」などに出演しました。
【女優・生田悦子】NHK大河ドラマ「国盗り物語」
女優・生田悦子さんは、NHK大河ドラマ「国盗り物語」では創作上の皇族である香子内親王という皇女役で出演しました。
【女優・生田悦子】NHK大河ドラマ「草燃える」
女優・生田悦子さんは、大河ドラマ『草燃える』の建礼門院役で出演しました。
【女優・生田悦子】ドラマ「白い巨塔」
女優・生田悦子さんは、ドラマ「白い巨塔」では、主人公の田宮二郎さん演じる財前五郎の妻・財前杏子役を熱演しました。
生田悦子の結婚
2005年4月6日、58歳になる2日前に、現在の夫であるアパレル会社社長の村田陽一さんと結婚しました。
生田悦子さんは2006年12月に更年期うつの闘病生活を告白したことがありましたが、数年前に完治していました。
更年期うつの時には、旦那さんの支えが大きかったということを告白しています。
村田陽一さんは、顔はサッカー元日本代表の監督・岡田武史さんに似ているそうです。
村田陽一さんは人の悪口を言わない人柄だということで、生田悦子さんは、村田陽一さんの人柄に惹かれて結婚を決めたようです。
【生田悦子の死因】虚血性心不全
生田悦子さんは、2018年7月15日に、虚血性心不全のために、東京都内の病院で亡くなりました。
生田悦子さんの所属事務所によると、生田悦子さんは、入院や通院治療を必要とするような持病はありませんでした。
亡くなる前日の7月14日には夫と夕食を食べに外出したりするなど普通の様子だったということです。
7月15日の午前に、夫が生田悦子さんを起こしても起きないということで異変に気付いて、救急車を呼び蘇生措置が施された状態で病院に搬送されましたが、7月15日の午後に、死亡が確認されました。
亡くなった時の生田悦子さんは、安らかな顔で眠るような様子だったということでした。
生田悦子さんは、健康に問題はありませんでしたが、亡くなる前の時期には、厳しい暑さのせいもあって「無理せずに家にいる」と、外出せずに家で過ごすことが多かったということでした。
仕事でも、長期ロケのドラマや身体に負担のかかる仕事は避けて、短時間で活動できる講演活動などを中心にしていたということでした。
生田悦子さんの生前の最後の仕事は、2018年4月25日に放送された「徹子の部屋」への出演だったということでした。
【生田悦子死去】葬儀は家族葬
生田悦子さんの葬儀・告別式は、7月22日、東京・西五反田の桐ヶ谷斎場で家族葬として、近親者や知人ら約30人が焼香に訪れました。
出棺の前には穏やかな顔で永遠の眠りについた生田悦子さんの周りに、花や故人の好きだったたばこが供えられました。
初婚だった生田さんと再婚して丸13年の夫で実業家、村田陽一さん(70)は喪主あいさつで「たくさんの人から慕われ、会食の席では進んで片付けもするなど、気配りもできる心の優しい女性でした」と号泣。「『恥はかいても義理を欠くな』という彼女の信条を私の信条として生きていきます」と誓った。
https://www.sanspo.com/geino/news/20180723/geo18072305020005-n1.html生田悦子の死去報道 まとめ
生田悦子さんは、幼少期のつらい生い立ちを乗り越えて、モデルデビューしました。
その後は、女優や歌手「ものまね王座」の審査員や「生田悦子のオシャレ指編み」の本を出版したりして活躍しました。
2005年4月6日に、アパレル会社社長の村田陽一さんと結婚しました。
生田悦子さんは、2018年7月15日に、虚血性心不全のために、東京都内の病院で亡くなりました。
前日には、夫・村田陽一さんと夕食を食べに外出していました。
亡くなった時の生田悦子さんは、安らかな顔で眠るような様子だったということでした。
生田悦子さんの葬儀・告別式は、7月22日、東京・西五反田の桐ヶ谷斎場で家族葬として、近親者や知人ら約30人が焼香に訪れました。
生田悦子さんのご冥福をお祈りします。
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