【西野カナの作詞法】プロフィール
西野カナ(にしのカナ)さんは、三重県松阪市出身の1989年3月18日生まれの歌手です。
本名は非公表です。
西野カナさんの作詞法が話題になっています。紅白歌合戦での様子を見ながら作詞法についてもみていきましょう。
【西野カナの作詞法】活動休止
西野カナさんは、2019年1月8日に、公式ホームページで無期限の活動休止を発表しました。
2月3日の横浜アリーナでの単独公演が、ラストライブとなります。
2018年には、10周年を迎えて、夢だった47都道府県ツアーを達成しています。
いつも応援してくれる皆さんへ
2008年にデビューしてから今まで、
音楽を通してたくさんの方に出会い、大好きな音楽に囲まれて、
最高の20代を過ごすことができました。
もうすぐ、ずっと楽しみにしていた30代。
旅行が好きなので、行きたい場所もまだまだありますし、やってみたいこともたくさんあります。
来月のライブを終えたら一度活動を休止して、期限を決めずに色々と挑戦したいと思っています。
とは言っても、やっぱり私は歌が好きで、これからもきっと毎日のように歌を口ずさんでいる気がします。
またいつか皆さんの前で歌える日が来るまで、日常の中で音楽を楽しみたいと思っています。
最後に、こんな私をいつも応援してくれる皆さんに心から感謝の気持ちを伝えたいです。
ありがとう
西野カナ
http://www.nishinokana.com/sp/info/archive/?502667【西野カナの作詞法】2018年紅白歌合戦
2018年12月31日「第69回NHK紅白歌合戦」に、「トリセツ」で出場しました。
ブルーを基調としたドレスは、ウエストがきゅっとしぼられていて、スカートがフワッと広がっているのでお姫様みたいで可愛いと人気でした。
【西野カナの作詞法】2017年紅白歌合戦
2017年12月31日「第68回NHK紅白歌合戦」に、「パッ」で出場しました。
【西野カナの作詞法】2016年紅白歌合戦
2016年12月31日「第67回NHK紅白歌合戦」に、「Dear Bride」で出場しました。
【西野カナの作詞法】2015年紅白歌合戦
2015年12月31日「第66回NHK紅白歌合戦」に、「トリセツ」で出場しました。
【西野カナの作詞法】2014年紅白歌合戦
2014年12月31日「第65回NHK紅白歌合戦」に、「Darling」で出場しました。
【西野カナの作詞法】2013年紅白歌合戦
2013年12月31日「第64回NHK紅白歌合戦」に、「さよなら」で出場しました。
【西野カナの作詞法】2012年紅白歌合戦
2012年12月31日「第63回NHK紅白歌合戦」に、「GO FOR IT!!」で出場しました。
【西野カナの作詞法】2011年紅白歌合戦
2011年12月31日「第62回NHK紅白歌合戦」に、「たとえ どんなに…」で出場しました。
【西野カナの作詞法】2010年紅白歌合戦
2010年12月31日「第61回NHK紅白歌合戦」に、「Best Friend」で出場しました。
【西野カナの作詞法】作詞法
西野カナさんは、デビュー以来、ほぼ全ての楽曲の作詞を行っています。
デビューするまでは全く作詞の経験がなかったという西野カナさんは、デビュー・シングル「I」の表題曲が初じめての作詞作品になりました。
「関ジャム 完全燃SHOW」
西野カナさんは、2018年11月25日放送の「関ジャム 完全燃SHOW」に出演しました。
「関ジャム 完全燃SHOW」の中の「女性の心を掴む共感ソング特集」という企画で、西野カナさんが自分の作詞法を語りました。
西野カナさんの作詞法をめぐっては、ネット上で賛否両論の意見が巻き起りました。
西野カナさんの作詞法
西野カナさんの作詞法は
「企画書を作り、作品のコンセプトや設定を決めます」
「企画が決まったら、コンセプトに合った詞を西野カナさん自身が書き出します」
「アンケートや友人に電話取材して、書き出した詞が共感できるものを確認し、違ったものは添削して、より共感できるものにブラッシュアップしていきます」
という作詞法でした。
『トリセツ』
西野カナさんは、「共感ソング」を多数持っていますが、なかでも2015年の『トリセツ』は有名です。
『トリセツ』が発売されると「女心がそのまま表れてる」「分かるけど男からしたら面倒くさい」などという大論争を巻き起こしています。
「関ジャム 完全燃SHOW」の中で『トリセツ』の時にも、5項目くらいのアンケートを作って、『あなたの取扱説明書を書いてください』と関係者や友人にアンケートを配ってから、意見をまとめて完成したと丁寧に解説しました。
この作詞法に対しての様々な賛否両論の意見があがりました。
『作詞というよりプロジェクト感が強い』とか『本人の体験談じゃないのか』、『あざとすぎて震える』、『共感性のために多かった回答を利用するのは、ウケだけを狙った産業音楽なのね』という批判的な声が殺到しました。
「マーケティングして詞を作るのはプロとして当たり前」という意見もありましたが、作詞法を明かしてしまったことは残念とする意見もありました。
すでにブログで『トリセツ』の歌詞について説明していた
ところが、すでに2015年8月28日のブログで、『トリセツ』について統計をとって制作したことを告白していました。
【西野カナの作詞法】経歴
三重高等学校を卒業した後で、名古屋市内の大学文学部を卒業しました。
話し言葉は伊勢弁(松阪弁)で、テレビやラジオ番組に出演する時にも松阪弁を交えて話します。
小学校5年生のときにはグアム、高校1年生のときにはロサンゼルスにホームステイをしました。
ロサンゼンスから帰国した後から、母親の知人に師事して民謡を習い始めました。
16歳の時に、角川映画とソニー・ミュージックアーティスツが共同開催したオーディション「スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックス」に母親が応募しました。
女優オーディションでしたが応募総数40000人の中から歌声が見出されました。
2006年にSME Recordsと契約を結びました。
高校3年間はデビューまでの準備期間として、津軽民謡を習ったりしながらボイストレーニングを行いました。
2007年には、デビューへの準備を進める一方で英文学を学ぶために大学に進学しました。
2008年2月20日には、シングル「I」でメジャーデビューしました。
【西野カナの作詞法】まとめ
いかがだったでしょうか。西野カナさんの作詞法には賛否両論がありますが、西野カナさんの歌が「共通ソング」として人気です。
西野カナさんは、無期限の活動中止を発表しました。
いつか西野カナさんが活動再会したという話を楽しみに待ちたいと思います。