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野田秀樹の現在は?妻は藤田陽子?大竹しのぶや宮沢りえとも関係があった?

舞台演出家の野田秀樹さんは現在62歳。妻は25歳下の藤田陽子さんです。妻の藤田陽子さんの3人目の子供は息子です。代表作では宮沢りえや大竹しのぶといった大物女優とも関わりました。この女優たちとの関係は?現在劇団のメンバーをオーディション中の野田秀樹さんをご紹介!

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】野田秀樹さんとは

引用:https://pbs.twimg.com/media/DiijWApU8AAWuvN.jpg
野田秀樹さんは現在63歳。東京大学在学中から演劇活動を始め、教養学部学生としての豊富な語彙力を活かし、戯曲や脚本を執筆するようになりました。34歳の時に、過労から右目を失明しましたが、元気で明るい笑顔からは、失明している様子は伺えません。創造力豊かな大物舞台演出家として、野田秀樹さんは有名になり、それと共に大竹しのぶさんや宮沢りえさんとの交流もあったと言われます。海外でもその舞台の美しさで称賛される野田秀樹さんをご紹介!

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】野田秀樹さんプロフィール

引用:https://www.instagram.com/p/BrL-MWUAedD/
■生年月日|1955年12月20日(63歳) ■出身地|長崎県西彼杵郡崎戸町(現在:西海市崎戸町) ■学歴|1974年東京教育大学附属駒場高等学校卒業     1976年東京大学教養学部文科一類に合格 ■職業|俳優、劇作家、演出家     多摩美術大学教授 東京芸術劇場芸術監督

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】【夢の遊眠社】の活躍

引用:https://www.instagram.com/p/BczqSYKDXUn/
■1972年|高校2年生の時に処女戯曲『アイと死をみつめて』を発表。大学入学後は演劇研究会に所属。 ■1976年|東京大学演劇研究会を母体に劇団【夢の遊眠社】を結成。 ■1981年|東京大学法学部を中退。 野田秀樹さんは、17歳で既に戯曲を完成させています。それだけ才能が備わっている人だったのでしょう。

【海外での劇団活動へーニューヨークとエディンバラ】

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■1983年|『野獣降臨(のけものきたりて)』上演ー【第27回岸田国士戯曲賞】を受賞。 ■1987年|【エディンバラ国際芸術祭】に劇団【夢の遊眠社】が招待を受けるー『野獣降臨』を上演。
引用:https://www.instagram.com/p/BrpnsK8Fi8F/
野田秀樹さんは、この際のカーテンコールは、駒場小劇場での『怪盗乱魔』初演及び、『贋作 桜の森の満開の下』の京都・南座の公演と同様、印象に残るものの一つだったと語りました。

劇団【夢の遊眠社】解散へー1992年

引用:https://www.instagram.com/p/Brk8HJbj7Nx/
それまでの作風は「言葉遊び」の要素が強かったため、【エディンバラ国際芸術祭】の上演をきっかけに、単なる「言葉遊び」だけでなく、更なる「物語の構築重視」へと作風を変えることを痛感したそうです。 ■1988年|劇団【夢の遊眠社】が【ニューヨーク国際芸術祭】に参加ー『彗星の使者』を上演。 ■1990年|劇団【夢の遊眠社】が【エディンバラ国際芸術祭】に参加ー『半神』を上演。 ■1992年|劇団【夢の遊眠社】が『ゼンダ城の虜――苔むす僕らが嬰児の夜』を上演 この1992年公演が【劇団夢の遊眠社】最後の舞台でした。その後、劇団を解散しましたが、1976年の創立から解散までの16年間、公演回数は 43回、総ステージ数 1,205回、総観客動員数は812,790名 にまでも上りました。

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】現在新たな俳優をオーディション中!

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野田秀樹さんは、劇団を解散後、1年間ロンドン留学で学びます。これは【文化庁芸術家在外研修制度】による推薦で した。野田秀樹さんは、台詞の分析を中心とするロンドン演劇界でも、「体の動きを重視する」【フィジカルシアター|physical theatre】において、【テアトル・ド・コンプリシテ(演出家サイモン・マクバーニー主宰)】のワークショップに参加し、研鑽を積みました。

帰国後【NODA MAP】設立(1993)

引用:https://www.instagram.com/p/BqKexbZDRBw/
「ワークショップ」とは、ある主題を参加者たちが話し合い、実際に体験を重ねて作品を創り上げる形の「体験型学習講座」です。野田秀樹さんは、ロンドンでの体験を基に、設立した新たな劇団【演劇企画制作会社野田地図(NODA MAP)】では、劇団の枠に囚われない、豊かな発想の人材を随時オーディションしています。オーディションで得た少人数の俳優たちによる番外公演も積極的に上演。現在も【NODA MAP】ではオーディションを受け付けており、オーディションを通過した役者たちは、野田秀樹さん独自のワークショップに参加し、新たな演劇を創出する役割を担います。

「若い人に開かれた劇場創出のために12月中にオーディションを」

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2008年、【東京芸術劇場芸術監督】に就任した野田秀樹さんは、「気軽に観劇に来れる劇場創り、海外に開かれた劇場であること、地方との連携で新たな人材と作品を創る劇場であること」を理想に掲げました。今年12月、20~30名のメンバーオーディションを行い、「良い役者が集まって、単発で終わらないワークショップ、話し合いをもっと重ねられる場と時間を持つことを目指しています」と語っています。「若い人たちがそうして集まり、皆意気投合すればそれぞれの才能は一瞬で花咲く。それを期待しています」と述べる野田秀樹さんです。

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】大竹しのぶとの関係

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野田秀樹さんは、長崎県出身であり、九州男児によく見られる独特の魅力があります。そこで、自ら脚本及び演出した舞台にも俳優として活躍します。その魅力には、多くの女性が惹き付けられて来ました。恋多き男性には恋多き女性が注目するものなのでしょう。まず1986年に【劇団夢の遊眠社】所属の女優竹下明子さんと結婚しました。しかし、翌年の1987年に離婚しています。

大竹しのぶの熱心な接近

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1992年、舞台【真夏の夜の夢】で野田秀樹さんは、大竹しのぶさんと知り合います。当時、大竹しのぶさんはまだ明石家さんまさんの妻でしたが、それには構わず、野田秀樹さんの魅力を逃すまいと、猛烈なアタック開始。当然、もう明石家さんまさんとは即行離婚です。見た目のおっとり加減とは正反対の、恋に燃える女性が大竹しのぶさんです。そこから5年間、野田秀樹さんを自宅に連れ込み、同棲を始めます。明石家さんまさんは「魔性の女性」のような大竹しのぶさんに呆れ果てたそうです。

野田秀樹さんとの事実婚はなし

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大竹しのぶさんは、実に熱情的な女性で、おっとりしているように見えて、舞台や歌といったパフォーマンスの際には激しく燃え盛る心のうちを表現します。野田秀樹さんは連れ子の IMALU ちゃんと過ごした時期が幸せだったと後に語りました。二人は結婚するのでは、と言われていましたが、大竹しのぶさんには離婚したテレビ演出家の間にも息子がいました。さすがに父親が3人も異なる子供ができては、と周囲が猛反対。そこで二人の関係は徐々に疎遠となり、同棲は解消となったそうです。

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】宮沢りえを抜擢

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野田秀樹さんは、歌舞伎役者の故【十八代目| 中村勘三郎】さん(2012年57歳逝去)の親友でした。その中村勘三郎さんとは、大竹しのぶさんや宮沢りえさんも仲良くお酒を飲む仲でした。しかし宮沢りえさんは、中村勘三郎さんに好江さんという妻がいるにも関わらず、恋に落ちてしまいます。そして、1994年に中村勘三郎さんの定宿だった京都市内のホテルで“自殺未遂”騒動を起こします。
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それ以後、宮沢りえさんは30㎏も激痩せします。これには中村勘三郎さんが宮沢りえさんとの【不倫騒動】で騒がれたため、妻・好江さんの「気持ちを汲んだ」との理由で、りえさんを飲み会から外した大竹しのぶさんが原因と言われています。

舞台【ハイパー】(2009)で妊娠中の宮沢りえさんを抜擢した野田秀樹さん

引用:https://www.instagram.com/p/BrM5TqMgU-E/
2009年、野田秀樹さんは自らの劇団【NODA・MAP】プロデュースによる舞台【ハイパー】に、松たか子さんと、離婚協議中の夫との子供を身籠っていた宮沢りえさんを抜擢しました。そこで、宮沢りえさんの体の状態を、松たか子さんと野田秀樹さんとで十分気遣いつつ、舞台は無事成功に至りました。この際の野田秀樹さんの優しさと配慮に、宮沢りえさんは大変感謝したそうです。
引用:https://www.instagram.com/p/Y2QTPkFLQ7/
そこで、同じく野田秀樹さん演出の2013年公演【おのれナポレオン】で、天海祐希さんが軽度の心筋梗塞で倒れた際、宮沢りえさんは代役を頼まれ、二日で台詞を暗記、舞台の続行が見事に叶いました。これは宮沢りえさんが、4年前の妊娠の際に気遣ってもらった野田秀樹さんへの心からの恩返しだったそうです。この舞台成功により、宮沢りえさんは「【大竹しのぶ二世】だ」と呼ばれるようになり、大竹しのぶさんとの冷戦状態が悪化しそうな様子です。

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】現在は子供が3人!

引用:https://www.instagram.com/p/BWFN-jEFz9k/
2005年12月(49歳時)に野田秀樹さんは、25歳年下の女優で且つ歌手の藤田陽子さん(画像右側)と出会い、再婚します。「歳の差スピード婚」と言われていますが、現在でもおしどり夫婦と評判だそうです。恋多き男性の野田秀樹さんにも、やっと落ち着いた家庭ができました。藤田陽子さんとの馴れ初めは、知人の紹介によるものだそうです。藤田陽子さんは、野田秀樹さんの会社【NODA・MAP】主宰のワークショップに参加をしていたとも言われています。

現在の嫁・藤田陽子さんは3人の子供を出産!

引用:https://www.instagram.com/p/BrpbiHgltFl/
アラフォー世代のモデルも務める藤田陽子さんは、2009年6月1日に最初の子供(女児)を出産。5年後の2014年にも二人目の女の子を出産しました。そして今年2018年6月14日には、3人目の子供を出産しましたが、この子供さんが、野田秀樹さんには初めての男の子です。そこで、感極まった野田秀樹さんは、次のようにコメントしています。
引用:https://www.instagram.com/p/BrpymPonGvl/

「長生きだけが 人生の目標になりました」 「まだまだ馬車馬のごとく 頑張ります」

https://sarattosokuhou.com/entame/noda-hideki/#3

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】代表作①【半神】1988

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野田秀樹さんは、1986年、【夢の遊眠社】時代に、漫画家:萩尾望都さんの珠玉の最高傑作と呼ばれる『半神』(はんしん)(1984年1月)を、原作者と共同脚本を製作し、戯曲化・舞台化しました。この舞台は、1988年、1990年と再演され、更に1999年、【NODA・MAP】により再演と、幾度か上演されました。上の画像は、乃木坂46・桜井玲香×注目の若手女優・藤間爽子がW主演した舞台『半神』が、2018年11日23日(金・祝)に、TBSチャンネル1でテレビ初独占放送された際のものです。

平成24年春の叙勲にて紫綬褒章を受章した萩尾望都さん

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2012年04月28日に、女性漫画家としては長谷川町子さんに次ぐ二人目の紫綬褒章を叙勲した、「少女漫画の母」と呼ばれる萩尾望都さんは、福岡県大牟田市出身です。手塚治虫さんの『新選組』に感動し、手塚治虫さんのアシスタント経験も経て独立し、1970年代の少女漫画界に『ポーの一族』で新鮮な風を送り込みました。その画法は「学園漫画・ロマコメ」中心のストーリーや睫毛の長い絵柄とは全く異なる斬新なタッチでした。

たった16ページの中に鋭いペンタッチで凝縮された人生を描く

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萩尾望都さんは「吸血鬼という畏怖の存在」に光を当て、また『トーマの心臓』ではドイツのギムナジウムでの少年たちの物語を描くなど、少女漫画界に改革をもたらしたのです。扱うテーマも SF や美術性、また哲学性・文学性を帯びたものであるため、常に発表する作品は、文化研究者や芸術家の注目の的となってきました。この『半神』は、ほんの16ページだけで、ある結合性双生児として生まれた少女の現実と心を描いています。

栄養分のアンバランスにより醜かった姉に訪れた人生の転機

引用:https://www.instagram.com/p/BnQkHO2HkTl/
結合性双生児として生まれたユージ―とユーシーは、腰の部分で繋がっていました。妹ユーシーは美しいが知的障害があり、赤ん坊のような言葉しか発しません。その姉ユージ―は大変聡明ですが、美貌と栄養分を全て妹に吸い取られ、ガリガリに醜く痩せています。二人が13歳になった時、ユージ―の体力が限界となりました。医師から「このままだと二人は長く生きられない。切り離せば、君だけは助かる」と言われたユージ―はやっと自由になれると思い、快諾します。
引用:https://www.instagram.com/p/Bnu74F1n20D/
そして手術は成功しますが、命が削られた妹はかつての自分のように瘦せ衰えて、やがて息絶えます。日々成長し、美しくなったユージ―は、ある日鏡に映った、かつての妹の美しかった姿を見出し、妹への愛情で涙をこぼし「お前を愛していたよ 心から愛してやまなかったよ お前を」と妹を偲ぶーという人生の宿命と現実をたった16ページに凝縮させた傑作です。

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】代表作②【おのれナポレオン】2013

引用:https://www.instagram.com/p/BWiH69RgoCz/
2013年4月6日(土)から、野田秀樹さん脚本及び主演、三谷幸喜さん演出で、『おのれナポレオン』が上演されました。これはナポレオンの死後20年後、ナポレオンを知る人物が舞台に次々と登場し、ナポレオンへの愛や憎しみ、ナポレオンの死因などを語っていくという舞台です。

天海祐希さんはナポレオンの元愛人【アルヴィ―ヌ】役

引用:https://www.instagram.com/p/BWrhIXzFJF5/
舞台に大輪の薔薇が咲き誇るほどの美しさを誇る、天海祐希さんは、ナポレオンの莫大な財産を相続したシャルル・モントロンの妻であり、ナポレオンの愛人でもあった【アルヴィ―ヌ】役として、開幕後10分後に登場します。彼女はモントロンと離婚、現在は男に貢いで貰いながら、パリで安酒場を経営している女性。最初のセリフは「ようこそ」だそうです。 この台詞一つだけでも、いかにも落ちぶれた安酒場のママっぽい、やさぐれた女の雰囲気が観客に迫ります。

フランスのコスチュームプレイに相応しい荘厳な台詞回し

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かつての皇帝の愛人だった落ちぶれた女性が語ることは、昔の輝かしい日々です。
引用:https://www.instagram.com/p/BrkKhkbFjAc/

「今の私は、陛下と2人だけで踊った、あのセントヘレナの思い出に寄り添って生きております! 楽しかったあの日々」 「パリの社交界にいた頃、セントヘレナで皇帝陛下にお仕えした日々、そして安酒場の女主人となった今我ながらなかなかの人生だと思いますわ。」

http://flawlessemiko.blog72.fc2.com/blog-entry-463.html
このような、華やかな18世紀フランスの社交界の話を持ち出す辺りも、時代劇(コスチューム・プレイ)だけの味わいが楽しめるのではないでしょうか。そういう意味で、天海祐希さんは千秋楽まで、自分がアルヴィ―ヌを演じたかったことと思います。しかし5月初旬、体調不良となり、「軽度の心筋梗塞」と診断を受け、数日安静にせねばなりませんでした。そこで宮沢りえさんに代役の白羽の矢が立てられ、無事舞台は千秋楽を迎えました。そこで天海祐希さんは落胆し、「アルヴィ―ヌを演じるのは私だけよ!」と苛立ちを隠せませんでした。

【野田秀樹の今現在!妻は藤田陽子で息子がいる?大竹しのぶや宮沢りえとの関係は?代表作まとめ!】代表作③【贋作・桜の森の満開の下】

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野田秀樹さんが脚色し演出、そして出演。また深津絵里さんや、天海祐希さんが男装して出演した【贋作・桜の森の満開の下】は、今年2018年9月1日 - 9月12日、まず【東京芸術劇場プレイハウス】で上演され、次には 9月28日 - 10月3日にライトアップされたエッフェル塔を傍に臨む【フランス・国立シャイヨー劇場】でも上演されました。日本文化をふんだんに盛り込んだ演出に、フランスの観客の人気をさらった、大変美しく、また不可思議な芸術作品です。
引用:https://www.instagram.com/p/BnwhKMqBep-/

原作は坂口安吾の短編小説ー「満開の森の下を通るのは怖ろしい」と物語られる説話ー

引用:https://www.instagram.com/p/BrpszD-lhK_/
『桜の森の満開の下』は戦後日本近代文学を開花させた、坂口 安吾(さかぐち あんご)さん(昭和30年1955年48歳で死去)の短編が原作です。それを更に脚色し、原作に寄り添いつつ新たな展開を見せるのが「贋作(がんさく)」です。この物語は、「満開の桜の木の下に 怪しの影が潜んでいる」ことをモチーフにしています。昔、ある山賊が通りがかった夫婦がいると、夫を殺しては妻を自分のものにして楽しんでいました。山賊が恐れるのは「桜の木」だけでした。「桜の木が散る時はゴーゴーと音がして怖ろしい」と思っていたのです。

新たに獲得した旅人の女は妖怪変化

引用:https://www.instagram.com/p/Bqn7NobDWfN/
ある時、通りかかった旅人を殺し、その妻をやはり自分のものにしますが、その女は夫を殺されても、山賊を恐れません。そして共に都に行くと「沢山の生首を持っておいで」と命令します。その生首を集めた女は、並べて喜んだり、眼をえぐるなど、猟奇的な遊戯にふけります。それに嫌気がさした山賊は、女を背負って、山に帰ります。

やはり桜が散る木の下には「妖しの気」が

引用:https://www.instagram.com/p/BgqPT20BSln/
山に帰ると桜の木は満開でした。山に戻れたことが嬉しかった山賊は、ついうっかりと桜の散る花吹雪の下を通ります。振り返ると、女は怖ろしい形相をした、全身紫色の老婆の鬼と化し、山賊の首を絞めつけてきます。山賊が必死で鬼の首を絞め上げ、我に返ると、そこには元の美しい女が吹雪の中、息絶えています。山賊が泣いて、女に触れようとすると、女は花びらとなって散っていきます。それをかき分けて探す山賊も、また徐々に体が消えていくーこのような夢のような物語です。

まとめ:「芸能や演劇を超えた世界の創出」がビジョンの野田秀樹さん!

引用:https://www.instagram.com/p/BpW2DctlBVO/
野田秀樹さんが脚本・演出及び自ら出演する舞台について、今後のビジョンは「舞台という狭い空間に囚われない世界」だと語っています。舞台だけだとその空間だけで話が終わってしまう。芝居だけを演っているんじゃない。「観客が舞台の外へと想いを馳せるようになった時を僕は目指しています」-その「言葉遊び」と呼ばれる演出や脚本には野田秀樹さんの才能が迸っています。これだけの感性を汲み取ってくれる観客やファンが今後も増えていくことでしょう。