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マイティ井上(プロレス)の現在!画像は?妻や子供は?猪木?都城?

数々の必殺技をもつプロレス選手・マイティ井上。現在、妻や子供はいるのでしょうか?また、画像はあるのでしょうか?今回はプロレス選手・マイティ井上について、都城市においての現在の様子や当時の画像、必殺技、テーマ曲、アントニオ猪木とのエピソードについてご紹介します。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上のプロフィール

マイティ井上は、1967年から2010年まで活躍したプロレスラーです。まずはプロフィールをご紹介します。
[生年月日 1949年4月12日][出身地 大阪府大阪市福島区][身長 175cm][体重 105㎏]
マイティ井上は、大阪学院大学高等学校に通い柔道をしてきました。その後、国際プロレスに入り、1967年7月21日に名古屋市金山体育館で行われた仙台強戦でデビューしました。リングネームの「マイティ井上」は、新人時代にコーチをしていた「マイティ鈴木」に由来しています。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上は外国語が堪能

マイティ井上は、ヨーロッパの遠征経験や、所属していた国際プロレスにヨーロッパ出身の外国人選手が多く所属していたことから外国語が堪能なプロレス選手としても有名で、外国人プロレスラーのサポート係も担当していました。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上の必殺技は?

マイティ井上の現役時代の必殺技は、対戦相手が仰向けに横たわったところに助走をつけながら前転宙返りをし、背面を浴びせていく「サマーソルトドロップ」があります。この必殺技は、他に使い手のない必殺技で、この必殺技=マイティ井上といわれるくらいの代表する必殺技です。
他の必殺技は、肩からクロスチョップのような形で2連発ぶつかっていき、サマーソルト・ドロップでフィニッシュを決める「フライングショルダーアタック」、シュミット式バックブリーカーの要領で相手を抱え上げ、自ら片膝を立てて相手の腹部を膝に打ち付ける「ストマックブロック」、相手の片足を抱えながら高速急角度で落とす「バックドロップ」、回転エビ固め、逆さ押さえ込み、一瞬でフライング・ヘッドシザースから丸め込む「丸め込み技」、胸板への「チョップ」などがあります。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上のテーマ曲は?

プロフィールには、入場時に会場を盛り上げるために流すテーマ曲があります。マイティ井上のテーマ曲は、国際プロレス時代は「フリーライド・サーファー」で全日本プロレス時代は「Speed Trap」でした。
まずは、テーマ曲である「フリーライド・サーファー」です。このテーマ曲「フリーライド・サーファー」は、パブロ・クルーズによる楽曲で2枚目のアルバム「ライフライン」に収録されています。
こちらがテーマ曲の「Speed Trap」です。試合にむけて気持ちが高まるようなテーマ曲ですね。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上の「ミッキー・イノウエ」時代

マイティ井上は、1970年8月から「ミッキー・イノウエ」のリングネームとして活躍し、1971年3月2日に東京で行われた日本プロレスとの興行戦争のために一時帰国し、ビル・ミラーと闘った後、またヨーロッパ遠征に出発しました。帰国したのは1972年のことで、得意技のサマーソルト・ドロップで人気を博し、人気プロレスラーのラッシャー木村、サンダー杉山、グレート草津らに次ぐエース候補として期待されました。
1973年2月27日には、ホセ・クィンテロを相手に自身初の金網デスマッチを行い、1974年にはスーパースター・ビリー・グラハムから勝利を勝ち取り、IWA世界ヘビー級王座を獲得しています。マイティ井上はそれまで、2度グラハムから敗れているので3度目の正直での戴冠となりました。
そして、見事25歳にして先輩の木村、草津を追い抜いて国際プロレスのエースとなりました。国際プロレスの中ではどんなタイプの選手が相手でもいい試合ができる万能選手だったようです。
マイティ井上のエース時代は、1975年4月10日にマッドドッグ・バションに敗れ王座から転落するまで続きました。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上が引退

1981年に国際プロレスが崩壊した後にマイティ井上は、原、菅原伸義、冬木弘道と共に全日本プロレスに移籍しました。全日本プロレスでの第一戦はミル・マスカラスが保持していたIWA世界ヘビー級王座への挑戦試合で、その後、全日本プロレスに少ないジュニアヘビー級選手のポジションを補うために、体重を110㎏から105㎏に落として、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座、アジアタッグ王座を獲得しました。
しかし、1997年4月に内臓疾患が発覚したために長期欠場を余儀なくされ、1998年に現役を引退しました。同年8月からはレフェリーに転身し、慣れないレフェリングに試合をしている当事者よりも目立ってしまうことが多かったようです。
そして、マイティ井上は、2009年12月31日付でレフェリー契約が満了となりノアを退団し、2010年5月22日に、ノア主催の後楽園ホール大会「マイティ井上レフェリー引退記念興行」のレフェリーを最後に引退しました。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上はアントニオ猪木が嫌い?

マイティ井上は、新日本プロレスのアントニオ猪木を極端に嫌っていたというエピソードがあります。マイティ井上がなぜアントニオ猪木が嫌いなのかというと「アントニオ猪木の自分だけ良ければいいという強引なやり方が嫌い」と語っています。マイティ井上とアントニオ猪木の間に何があったのでしょうか。
マイティ井上は、IWA世界王座を獲得したりAWA世界王者バーン・ガニアとダブルタイトル戦で引き分けるほどの実績があったにもかかわらず、新日本プロレスのヤマハ・ブラザーズと対戦したときにギブアップ負けさせられたとしていて、これもアントニオ猪木の強引さによるものだと感じたそうです。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上には妻や子供がいる?

マイティ井上は、1980年に当時女優をしていてた西尾三枝子さんと結婚しましたが、1年で離婚しました。子供はいなかったようで、西尾三枝子さんはマイティ井上と離婚した後に芸能界を失踪したというエピソードがあります。その後、西尾三枝子さんはスナックをオープンさせてママとして働いたといいます。
マイティ井上の元奥さんである西尾三枝子さんは、失踪した理由について、暴漢に襲われ身の危険を感じて東京を離れたと語っています。西尾三枝子さんには息子さんがいますが、マイティ井上の子供ではなく、次に結婚した俳優の松井誠さんとの子供であるようです。

現在、妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上は現在都城在住

マイティ井上は現在都城市に住んでいるようです。都城市に住んでいるマイティ井上は、現在は得にやることもなく、暇をもてあましているそうです。2011年にインタビューされた際、都城市では火山灰の恐れがあるので、頻繁に外にも出られない状態だと語っていました。
マイティ井上が都城市に移り住んだのは2010年ころのことで、よくプロレスのテレビを見ながらすごしているということです。都城市に住んでからもプロレス愛は健在のようですね。引退してからも国プロでの事や全日本プロレスでの事、ノアでの事、そして海外武者修行などのことをみんなに話したいと語っていました。

現在妻や子供はいる?画像は?プロレスラー・マイティ井上の現在は?

プロレスラー、レフェリーとして活躍したマイティ井上。引退後は、トークイベントなどを開催しているようです。現役時代の面白い話を聴けるといいですね。