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Categoryお笑い芸人

カンニング竹山の相方の死因・お金・最後・漫才・いい話総まとめ!白血病?

カンニング竹山さんの相方・中島忠幸さんの死因やコンビ時代のエピソードについてまとめました。2006年に惜しまれつつも亡くなった中島さんの死因は何だったのか、現在もカンニングの名前を残して活動する竹山さんの相方想いのいい話などを交えてご紹介します。

【カンニング竹山の相方の死因・お金・最後・漫才・いい話総まとめ!】竹山隆範のプロフィール

カンニング竹山こと竹山隆範さんは、1971年4月2日生まれ、福岡県福岡市出身の現在47歳です。薔薇えげぃ番組のほか、コメンテーターとしても活動されています。
1990年に小学校の同級生だったケン坊田中さんとお笑いコンビを結成し、「ター坊ケン坊」の名前で福岡のオーディション番組「激辛!? お笑いめんたい子」で優勝し、福岡吉本の1期生として芸能活動を始めます。
ケン坊田中さんとのコンビを解散後、1992年に小・中学校の同級生だった中島忠幸さんとのコンビ「カンニング」を結成しますが、人気が出ず、事務所を転々とする日々を過ごしていました。
2000年代に入り、「エンタの神様」や「笑いの金メダル」などの出演をきっかけに、当時のお笑いブームに便乗する形で人気芸人の仲間入りを果たします。現在はテレビ・ラジオ・雑誌と幅広い分野で活躍されています。
元々、竹山さんの父親が会社を経営していた事から、竹山さん自身も小さい頃から裕福な家庭で過ごしていました。しかし、父親の会社の経営が傾き、父親が病死してしまった為、竹山さんには10億を超える借金が残ってしまったそうです。

【カンニング竹山の相方の死因・お金・最後・漫才・いい話総まとめ!】カンニング竹山の相方

竹山さんの相方・中島忠幸さんは1971年6月14日、福岡県福岡市生まれです。竹山さんとは小学校・中学校が同じで、幼馴染の関係になります。
中島さんは板前志望だった過去があり、地元の日本料理屋で修行を重ねますが、修行に嫌気が差した事や先輩のいじめもあって、1年ほどで店を辞めて上京します。上京後、竹山さんと偶然の再会を果たし、「カンニング」を結成する事になります。
芸人として活動する一方で、惣菜屋のアルバイトをしていた事でも知られています。中野にある「健康食品 わしや」で中島さんは副店長を務めるほどの腕前でした。

【カンニング竹山の相方の死因・お金・最後・漫才・いい話総まとめ!】カンニング中島の死因

お笑いブームによって芸人としての仕事も増えてきた2004年12月、中島さんが病気療養のため芸能活動を休止します。そして翌2005年1月には、中島さんが急性リンパ性白血病を患っている事を公表しました。中島さんは2006年12月21日、ウイルス性肺炎により、35歳の若さで亡くなりました。

白血病の発生率

中島さんの死因にもなった白血病は、芸能界においても夏目雅子さんや渡辺謙さん、本田美奈子さんなどが患っています。青年層では最も発生頻度の高いがんで、死亡率は事故死に次ぐ高さといわれています。

 わが国の白血病発生率は年々増加傾向にあり、2009年では年間人口10万人当り 6.3人 (男7.8人 、女4.9人)で、年間約7,900名が死亡しています。

https://www.jalsg.jp/leukemia/frequency.html

死亡率

白血病は男性の方が死亡率が高い傾向にあります。発症の原因の一つには喫煙が挙げられ、中島さんも病に倒れるまでは喫煙者だったため、死亡率も非喫煙者より高かったのでしょう。

急性白血病と慢性白血病の比は約4:1です。急性白血病の内、骨髄性とリンパ性の比は、 成人では約4:1、小児では逆に約1:4です。 わが国の年間白血病発生率が欧米の10万人当り7~8人に比較して低いのは、 慢性リンパ性白血病が極端に少ないためです。

https://www.jalsg.jp/leukemia/frequency.html

中島さんが患ったリンパ性の白血病は発生率が低く、成人の6~8割は完全寛解するものの、長期生存率は15~35%と低い病気です。

【カンニング竹山の相方の死因・お金・最後・漫才・いい話総まとめ!】カンニングの漫才

カンニングは主に漫才を中心に活動をしていました。ネタの基本的な流れとしては、竹山さんが売れない事の不満や自虐ネタを入れながら怒る「キレ芸」でボケて、中島さんがなだめる形でツッコむスタイルでした。
キレ芸漫才で人気を博したカンニングですが、「エンタの神様」では竹山さんがネタ中にズボンを脱いだ事でクレームが殺到してしまい、中島さんに説教される形で謝罪する出来事もありました。竹山さんの暴走によって中島さんがもの凄い勢いでキレて、竹山さんを黙らせる展開もありました。

【カンニング竹山の相方の死因・お金・最後・漫才・いい話総まとめ!】カンニングのいい話

中島さんが病気療養している間、中島さんがいつ戻ってきてもいい様に、竹山さんは「カンニング竹山」として活動を始めます。竹山さんはギャラを折半して、その分を中島さんの治療費に充てていたそうです。
「カンニング竹山」と名乗っている理由には、「コンビ解散をしなければ中島さんと折半できるシステム」になっている事から現在もコンビ名を付けたまま活動を行っているといわれています。
しかし、竹山さんはテレビ番組や自らのTwitterでギャラの折半に関する話はデマと否定しており、ネットで美談扱いされた事で、税務署から脱税の疑いがかけられたそうです。
芸名については、「自分が一人で活躍することによって、カンニングというコンビを忘れないでもらえる」、と発言したとされています。真偽について確かではないものも多いですが、竹山さんの中島さんに対する思いが強く感じられます。

【カンニング竹山の相方の死因・お金・最後・漫才・いい話総まとめ!】まとめ

中島さんが亡くなり10年以上が経った現在も、竹山さんはカンニングの名前を背負って活動を続けています。幼馴染でもある中島さんとの友情やコンビ愛など、語り尽くせない想いが詰まっているのでしょう。カンニング竹山さんの更なるご活躍に期待です。