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岡田祐介の妻は誰?生い立ちは?若い頃は?映画プロデューサー・実業家?

東映グループの会長である岡田裕介さんは、若い頃俳優として活躍していたことをご存知でしょうか。岡田裕介さんの生い立ちや妻の情報などを紹介、若い頃出演したドラマや映画などご紹介します。さらに、妻の生い立ちなどについて迫ってみました。

東映会長・岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ちは?

引用:https://images.unsplash.com/photo-1518298029706-560c6e24adc7?ixlib=rb-0.3.5&ixid=eyJhcHBfaWQiOjEyMDd9&s=2db47e3d0827c9233d05ec6003925785&auto=format&fit=crop&w=1489&q=80
映画制作会社「東映株式会社」の現会長の岡田裕介さんは、かつて東映の映画俳優として活躍していた過去があります。その後、映画プロデューサーや実業家など華麗な経歴の持ち主です。岡田裕介さんについてご紹介します。

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ち【プロフィール】

引用:https://twitter.com/MatsuiTo/status/973203002759630848
岡田裕介(おかだゆうすけ)さんは1949年5月27日生まれの69歳です。京都府京都市生まれですが、東京都立日比谷高校を卒業、その後、慶応技術大学に進学・卒業しています。

父親は元・東映社長

引用:https://twitter.com/eiga353535/status/572379256707133442
岡田裕介さんの父親は、東映映画の名誉会長まで務めた岡田茂さんです。岡田茂さんは「日本映画界のドン」と言われ、戦後日本の娯楽産業を創ったひとりとしても有名です。

妹はコメンテーター・教授の高木美也子

岡田裕也さんの妹は生命倫理学者、コメンテーター、そして日本大学総合科学研究所の教授「高木美也子」さんです。高木美也子さんも京都府京都市生まれですが、青山学院中学・高校・大学を卒業しています。

はとこは声優・ナレーターの政宗一成

声優・ナレーターとして活躍する「政宗一成」さんは、岡田裕介さんにとってはとこにあたります。岡田裕介さんの父親と、政宗一成さんの母親がいとこ同士です。

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ち【映画俳優として活躍】画像付

引用:https://images.unsplash.com/photo-1515634928627-2a4e0dae3ddf?ixlib=rb-0.3.5&ixid=eyJhcHBfaWQiOjEyMDd9&s=f340ab96386db668a416cef52f28f08f&auto=format&fit=crop&w=1350&q=80
岡田裕介さんはスカウトされ、俳優としてデビューしました。俳優として出演した主な作品をご紹介します。

ドラマ「レモンスカッシュ4対4」で俳優デビュー(画像付)

引用:https://twitter.com/shinya_bokudake/status/999060318952210432
1969年10月から11月まで放送、NETテレビ(現:テレビ朝日)ドラマ「レモンスカッシュ4対4」で岡田裕介さんさんは俳優としてデビューしました。ふたつの家族の興隆を描いたホームドラマです。

映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」で映画俳優デビュー(画像付)

引用:https://twitter.com/_30776506271/status/716141809664024577
1970年8月公開の東映映画「赤ずきんちゃんに気をつけて」で映画俳優デビューを果たしています。岡田裕介さんは「日比谷高生の庄司薫」を演じていますが、映画撮影当時、既に岡田裕介さんは高校を卒業していました。

東映映画以外の映画「初めての旅」などにも出演

1971年1月公開の映画「初めての旅」は、東京映画が制作、東宝が配給した映画です。岡田裕介さんの父・岡田茂さんは、既に東映映画の社長に就任していましたが、特に気にせずにひとりの俳優として活躍していました。

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ち【映画プロデューサーへ転身】

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1975年3月公開の映画「吶喊(とっかん)」では、主演兼プロデューサーとして映画に携わりました。超が付くほどの低予算による戦争時代の時代劇として制作されましたが、岡田裕介さんは困難な中、映画を作り上げました。これ以降、岡田裕介さんは映画プロデューサーとして映画に関わっていくようになります。

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ち【実業家の顔も持つ】

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1988年(当時39歳)で東映映画に入社、2年後には撮影所「東京撮影」の所長に就任しています。東映映画の社員として会社に尽力する傍ら、岡田裕介さんは2001年シネマコンプレックス(通称シネコン)を運営する「ティ・ジョイ」社長に就任しました。映画関連の事業を立ち上げたり、実業家としても活躍しています。

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ち【妻は誰?】

引用:https://images.unsplash.com/photo-1492661654951-85b172b2feb3?ixlib=rb-0.3.5&ixid=eyJhcHBfaWQiOjEyMDd9&s=255940d3309dfedd9cf65b18e29ddf7a&auto=format&fit=crop&w=1403&q=80
岡田裕介さんは既婚者ですが、奥さんについての情報がほとんどありません。俳優・映画プロデューサーとして活躍していた頃か、または東映に入社後に結婚したかどうかもわかりませんでした。しかし、10代から映画に携わっていた岡田裕介さんは、奥さんも何かしら映画に関わっていた人と考えるのは普通でしょう。

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ち【岡田裕介が死去?死因は?】

引用:https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/DI_IMG_5783_TP_V1.jpg
岡田裕介さんが死去したという情報がネットにあります。死因は何だったのでしょうか。

死去したのは父・岡田茂

岡田裕介さんは現在もご健在です。2014年に東映グループの会長に就任しています。亡くなったのは、岡田裕介さんの父であり、東映グループの名誉会長だった岡田茂さんでした。

亡くなった死因は?

岡田茂さんは2011年5月9日に死去、死因は加齢による肺炎で、2009年頃から足が弱り、また視力も低下していたとのことです。享年87歳でした。「日本映画界のドン」岡田茂さんが亡くなったことは芸能ニュースなどで大きく報じられました。その時に息子である岡田裕介さんの名前も上がったことで、混同した人が岡田裕介さんが亡くなったと勘違いしたと考えられます。

俳優・北大路欣也や松平健らから供花が届く

岡田裕介さんの父・岡田茂さんが亡くなったと聞き、俳優の北大路欣也さんや松平健さんなどからは供花が届くなど、多くの映画関係者に惜しまれつつ天国に旅立ちました。

終戦直後から60年以上にわたって映画界に君臨した「ミスター東映」が逝った。20年近く秘書として仕えた同社顧問の樋口保氏(70)によると、4月に肺炎を起こして入院。この日早朝、彰子夫人(85)、長男で東映社長の岡田裕介氏(61)、長女でコメンテーターとして活躍する高木美也子さん(59)、次女の大黒晴江さん(54)ら家族にみとられて眠るように息をひきとった。正午すぎに杉並区の自宅に無言の帰宅をすると、北大路欣也(68)や松平健(57)らから供花が届いた。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/10/kiji/K20110510000789400.html

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ち【現在は東映映画の会長】

引用:https://images.unsplash.com/photo-1424223022789-26fd8f34bba2?ixlib=rb-0.3.5&s=1e27ad4e06cf352daed3a3b010770306&auto=format&fit=crop&w=1350&q=80
岡田裕介さんは2014年4月に東映グループ会長に就任しました。しかし、直後に東映映画など映画界を支えてきた俳優が相次ぎ亡くなったことで、コメントを寄せていますが、どれも悲痛な言葉で別れを惜しみました。ここにその一文をご紹介します。

 菅原さんの訃報を受け、東映代表取締役グループ会長・岡田裕介氏は「また一本の矢が折れました。心からお悔やみ申し上げます。我が東映は、一丸となり折れない三本目の矢となる決意です」とコメントを発表した。

https://www.oricon.co.jp/news/2045294/full/

俳優・菅原文太さん死去に対するコメント(2014年12月)

高倉健さん死去の報を受け、岡田裕介・東映グループ会長は18日、「映画界として、そして私個人としての支柱を失いました。映画も私も、終わりかもしれません。残念というよりも、一番恐ろしい日がきた、という思いです」とのコメントを発表した

https://www.sankei.com/entertainments/news/141118/ent1411180015-n1.html

俳優・高倉健さん死去に対するコメント(2014年11月)

岡田会長は「寂しい思いですね。高倉健さん、菅原文太さんに続き、1世代下のスターまでお亡くなりになったのかと…。どう言ったら、いいのかね…悲しいと言うより、時代が終わったのかな」と口にした。「スターというより、本当の意味での役者さんだったんじゃないかな。上手な人ですよ…とにかく、何をやっても。個人的にも、ざっくばらんで、気を使わなくても済む人。これをやってくれよと言ったら「嫌だ」と言われたり「これだったらやるよ」と言われたり。「天国の大罪」の時は一番、一生懸命やってくれたし、テレビ(ドラマ)の時代劇も、いっぱいやってくれた。やくざシリーズが終わった後も、我々は、ずっと付き合っていました。」

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1769615.html

俳優・松方弘樹さん死去に対するコメント(2017年1月)

岡田裕介の妻は?若い頃や生い立ちまとめ

引用:https://images.unsplash.com/photo-1512790182412-b19e6d62bc39?ixlib=rb-0.3.5&ixid=eyJhcHBfaWQiOjEyMDd9&s=287c28051f750029681e5d0cf0b7d722&auto=format&fit=crop&w=1489&q=80
岡田裕介さんは高校卒業後、スカウトを経て俳優として活躍、その後は映画プロデューサーとして数多くの映画に携わりました。その後、東映映画に入社、現在は東映グループの会長・実業家として日本映画を支えています。岡田裕介さんの死亡説は、父・岡田茂さんと混同されたことが原因であることがわかりました。岡田裕介さんが、どのようなカタチで映画界に携わっていくのか注目が集まります。