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安藤昇の身長は?映画や名言も!刺青がある?花形敬や安部譲二との関係は?

やくざの組長から俳優に転身したことが有名な安藤昇さんは2015年享年89歳で死去しました。数々の映画や著書、名言の残しました。安藤昇の身長は?代表作は?今回は安藤昇の身長やプロフィールから、著書や映画、名言などをまとめてみました!

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんのプロフィール

安藤昇さんは、1926年5月24日生まれで東京都新宿区出身で、主に映画に出演していた俳優さんです。俳優以外にも、歌手や小説家、プロデューサーとしても活躍されました。惜しまれつつ2015年12月16日、89歳でこの世を去りました。安藤昇さんは、俳優としては珍しい「元ヤクザ」という経歴を持っていたことが、当時とても話題となりました。
安藤昇さんはとても荒れた少年期を送り、18歳の時に少年院に収監されています。1945年に特攻隊に志願して訓練を受けていましたが、2ヶ月後に終戦をむかえたため除隊しています。1952年に東京都渋谷を拠点に「安藤組」を結成しました。安藤組の全盛期には、1000人ほどの組員がいたそうです。
作家の安部譲二さんは、中学生のころから安藤組に出入りしていたことは有名な話です。安藤組は1958年6月11日に、実業家の横井英樹さん(ホテルニュージャパンの社長)を襲撃し、その当時組長だった安藤昇さんは恐喝容疑で逮捕されました。刑務所から出所後、組員たちの相次ぐ訃報を知った安藤昇さんは、安藤組を解散しました。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんの経歴

安藤昇さんは1964年に「安藤組」解散後、俳優に転身しました。元ヤクザという変わった経歴をお持ちの安藤昇さん、身長はさほど高くないですが、その経歴から多くのヤクザ映画に出演して話題になりました。俳優のほかにも、歌手としてレコードを何枚か発売しています。自身の映画の主題歌なども歌っていましたが、歌手としての評価はあまり高くなかったため、あまり話題にならなかったようです。
俳優に転身した後も暴力団との交流は続いていて、暴力団関係者の襲名の際には安藤昇さんも賭場に出席していたため、後日逮捕されてしまいました。1979年に出演した映画を最後に俳優を休業しました。その後は、Vシネマに数回出演した程度で、主にVシネマのプロデューサーや、文筆活動をメインに活動されていたようです。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんの出演映画

安藤昇さんは、1965年に自らの自叙伝を映画化した「血の掟」で俳優デビューしました。この映画で自身「安藤昇」役を演じ話題になり、ヒット作品となりました。このことがきっかけで、松竹を専属契約を結び、俳優の道を進むことになります。1967年の「懲役十八年」という映画を最後に、東映に移籍しました。
1967年に東映に移籍してからは、2002年までの俳優人生を東映との契約のみで送りました。多くの「ヤクザ映画」に出演し、自ら組長を務めた「安藤組」をもとにした映画には、本人役で何度も出演しています。1979年の「総長の首」が最後の映画出演になり、その後は東映ビデオやVシネマにも出演していました。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんの著書

安藤昇さんは1968年から、本の執筆活動にも力を入れていました。もともと本を読むことがお好きで、文章力も素晴らしかったので、俳優業よりも本の執筆の方が向いているとも言われていました。1968年12月20日に双葉社から「激動血ぬられた半生」で作家としてデビューし、一冊目の本を発売しました。
2015年に死去されるまでに数えきれないほどの本を執筆しています。本の多くは自身の経験をもとにした、ヤクザの世界を描いたものがほとんどです。2015年12月17日に青志社から発売された「男の品位」という本が安藤昇さんの遺作になりました。ヤクザの世界を知ってみたいという方は、一度安藤昇さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんの葬儀

安藤昇さんは肺炎のため、2015年12月16日に89歳でお亡くなりになりました。元ヤクザで俳優の安藤昇さんのお葬儀は一体どんな方々が参列されたのでしょうか。公開されている葬儀は、2月28日に青山葬儀所で「お別れ会」が行われたと記されています。
葬儀の参列者には、菅原文太さん、梅宮辰夫さん、北島三郎さんなどの大物芸能人が多く見られました。その他にも、映画のプロデューサーなどが葬儀に参列したそうです。葬儀では皆で激動の人生を歩んだ故人をしのんだそうです。この葬儀(お別れ会)には、ファンを含め約700人が参列しました。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんと花形敬さんの関係とは?

花形敬さんは、安藤組の組長「安藤昇さん」に最も可愛がられた人物として有名な人です。前科7犯逮捕歴22回という逮捕歴を持っています。花形敬さんは日本の有名なヤクザであり、安藤組の大幹部として安藤昇さんと共に安藤組を盛り上げました。花形敬さんは、安藤昇さんが服役中の1963年に暴力団との抗争で33歳という若さでこの世を去りました。
花形敬さんは若くしてこの世を去りましたが、花形敬さんの激動の人生は多くの著書のモデルにもなりました。安藤昇さんが俳優として出演した「安藤組」をモチーフにした映画にも、もちろん安藤組の重要人物として花形敬さんが描かれています。花形敬さんは、良くも悪くもヤクザの世界ではとても有名な人物のようです。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんと安部譲二さんの関係とは?

安部譲二さんは本名「安部直也さん」と言い、1937年5月17日生まれ、東京都品川区出身のO型です。安部譲二さんは主に小説家として活躍されていましたが、ほかにも漫画原作者やタレントとしても活躍していました。16歳の若さで安藤昇さんが率いる「安藤組」に入り、本格的に暴力団の組員になったそうです。
安部譲二さんは、幼いころから父の転勤で海外と日本を行き来する生活を送っていました。若いころはボクサーや悪徳プロレスラーとして活躍していた経験もありながら、1961年には「日本航空」に入社した経歴をお持ちです。安部譲二さんが完全にヤクザから足を洗ったのは、1981年だと言われています。その後、刑務所収監中の体験をまとめた著書がベストセラーになりました。安部譲二さんの著書は映画化され、人気作家としての地位を築きました。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんの名言とは?

特攻隊出身の安藤昇さんは多くの名言を残されていて、人生の困難に立ち向かう人たちに勇気と希望を与えたと言われています。安藤昇さんの名言に「果報は寝たふりをして待て」があります。寝て待っても、追いかけてもダメな時は、寝たふりをして待つというのは、人生の達人にしか言えないことだそうです。ほかにも多くの名言が存在し、波乱万丈の人生を送った安藤昇さんだからこそ言える言葉が「名言」と呼ばれているのかもしれません。

【安藤昇の身長は?代表映画や名言は?刺青は?】安藤昇さんの伝説

元ヤクザの俳優安藤昇さんは、その肩書き通り多くの伝説を残しています。ヤクザの組長時代の伝説を上げたらキリがないのであえて触れませんが、俳優になってからの芸能界の伝説をいくつかご紹介します。ひとつめの伝説は、映画界の大スター「三船敏郎さん」。一緒に飲みに行くことになった安藤昇さんは、酔って安藤昇さんの顔にビンタしてきた三船敏郎さんを、何度も殴り続けて半殺し状態にしてしまったそうです。
安藤組は人気スターの興業も行っていました。多くの大物芸能人の公演を手掛けていたものの、石原裕次郎さんだけは多忙を理由に断ったそうです。これがきっかけで、安藤組から石原裕次郎さんへの「嫌がらせ」が始まり、結果的に石原裕次郎さんが安藤昇さんに詫びをいれにいったそうです。石原裕次郎さんに詫びをいれさせるなんて、「伝説」以外なにものでもありません。

まとめ

「元ヤクザ」という珍しい経歴をお持ちの安藤昇さん。ヤクザ時代の伝説もかなりのものですが、俳優になってからの伝説にも驚きです!現在はコンプライアンスなどがうるさくなって、安藤昇さんのような俳優さんはいませんが、元ヤクザだからこそ演じられる役があり、元ヤクザだからこそ書ける著書があるのではないかと思いました。