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三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?

男はつらいよや渡る世間は鬼ばかりで印象深い三崎千恵子さん。昭和の時代を駆け抜けた、誰もが認める大女優ですよね。 生涯現役で歩んできた三崎千恵子さんの死因や、その葬儀の様子が気になる方もいるでしょう。死因や葬儀の様子などを交えて詳しく紹介していきます。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんのプロフィール

【三崎千恵子(みさき ちえこ)】[歌手、女優][本名:宮阪 トシ][生年月日 1920年9月5日][出身地 東京府北豊島郡西巣鴨町、現:東京都豊島区]
三崎千恵子さんは、青果問屋を営む一家に生まれました。現在の東京都豊島区ということもあり、都会育ちの女の子でした。
初めて芸能界の空気に触れたのは、白木屋(現:東急百貨店)に入社したときに加入したコーラス部がきっかけです。コーラス部での活動をきっかけに、1939年に松竹芸能へ所属し、歌手として活動をはじめます。
ムーランルージュ新宿座などでの公演を経て、1954年には劇団民藝へと入団します。ここではじめて、新藤兼人監督の映画「どぶ」で銀幕デビューを果たしました。若い頃の三崎千恵子さんの演技が見られる貴重な映画といえます。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんといえば

三崎千恵子さんといえば、女優さんとしてのイメージが強いですよね。後述しますが、「渡る世間は鬼ばかり」のおばちゃん役(塚田咲枝役)がはまり役となるなど、お茶の間に大きな影響を与えた女優さんです。
年齢を感じさせないほどにはつらつとしていて、テレビを見ている皆が勇気づけられました。「渡る世間は鬼ばかり」では、三崎千恵子さんの出番を楽しみに待っていた方もいるようです。
また、森光子さんとも同い年であり、どちらも女優さんとしてかなりのキャリアを積まれていますよね。ともに激動の時代を駆け抜けた戦友のような感覚なのでしょう。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんの死因

元気に激動の時代を駆け抜けた三崎千恵子さんでしたが、2012年にその長い生涯を終えました。2012年2月13日の午後7時15分に、介護施設のある神奈川県鎌倉市の病院で息を引き取ったのです。
90歳で亡くなったとのことで、大往生といえるでしょう。がんなどの病気ではなく、老衰で亡くなったようです。
前日まで話しかけると答えてくれたそうです。苦しむことなく、安らかな最後だったということは、多くのファンを安堵させたことでしょう。
また、三崎千恵子さんは亡くなる直前に、ドキュメンンタリー映画「ムーランルージュの青春」に出演しておられました。立つこともままならない状態だったかもしれませんが、最後まで車椅子出演を果たしたその姿は、「最後まで女優だった」と死後に評されています。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんの葬儀

三崎千恵子さんの葬儀は、亡くなった神奈川県の藤沢市内で執り行われました。「男はつらいよ」や「渡る世間は鬼ばかり」に出演した演者たちが出席し、しめやかな葬儀でした。
葬儀の中で印象的だったのは、なんといっても倍賞千恵子さんの弔辞でした。「男はつらいよ」でヒロイン役を演じた倍賞さんは弔辞で、三崎千恵子さんへの感謝の気持ちや、撮影での思い出話を語りました。
撮影のときには、演者たちばかりでなくスタッフにも薬を配っていたという、三崎千恵子さんの心あたたまるエピソードも紹介されたとのこと。三崎千恵子さんのおかげで、演者たちやスタッフが元気に仕事をすることができたのだと、感謝の言葉は止まりませんでした。
また弔辞の最後に倍賞さんは、旅立つ三崎千恵子さんのために「忘れな草をあなたに」をアカペラで歌いました。叙情歌として知られるこの歌は、倍賞さんのヒット曲でもあります。
「いつまでも憶えていてほしいから」という歌詞は、長く時間をともにした三崎千恵子さんに向けた倍賞さんの言葉そのものだったのかもしれません。三崎千恵子さんが「渡る世間は鬼ばかり」や「男はつらいよ」によって与えた影響や思い出は、これからも語り継がれることとなるでしょう。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんとムーランルージュ

若い頃の三崎千恵子さんが芸能の道に入り、ここまで著名な存在となったきっかけは、やはりムーランルージュ新宿座といえます。前述した通りに、車椅子姿ながらもムーランルージュのドキュメンタリー映画に出演するなど、三崎千恵子さんの中でとても印象の深い場所であることがわかります。
森繁久彌さんや由利徹さんも所属していた伝説の劇団ですが、三崎千恵子さんが若い頃のムーランルージュは、経済事情はいつも火の車だったとのこと。若い頃は質屋に通ったり、三越でアルバイトをするなどして、劇団員のお給料を払っていたそうです。
ちなみに、三崎千恵子の旦那さんともここで出会い、戦後は二人で劇団を盛りたてました。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんの旦那はどんな人?

そんな三崎千恵子さんの夫は、俳優の宮阪将嘉(みやさか まさよし)さんです。大正元年10月30日生まれで、平成9年に亡くなりました。
夫とは死別してしまったということになる三崎千恵子さんですが、その後も精力的に活動を続けていました。夫が見守ってくれている、という想いもあったのかもしれませんね。
三崎千恵子さんの夫で長野県出身の宮阪さんは、三井章正の芸名でムーランルージュに入団します。その後はムーランルージュの座長としても活躍し、テレビや演劇の世界で人気を博しました。
三崎千恵子さんと劇団を切り盛りしていた、かつてのムーランルージュの座長の立場でもあった夫。テレビドラマで映画にもなった「事件記者」シリーズの村田部長刑事役で好演をし、人気役者となりました。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんの子供はどんな人?

三崎千恵子さんには、子供が一人いると言われています。三崎千恵子さんの葬儀の際にも喪主として出席をしていますし、亡くなる最期の時まで付き添っていた、というコメントもあります。
しかしながら、詳しい情報が公開されていないことから、女優や芸能人ではなく一般の方であるとの推察が最も有力です。あくまで推測の枠を出ませんが、ご両親ともに役者として精力的に活動されていたことから、演技などのセンスがある方なのかもしれませんね。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんと「渡る世間は鬼ばかり」

三崎千恵子さんといえば、「渡る世間は鬼ばかり」での「おたふく」という小料理屋の女将役がはまり役でした。1990年~1994年の4年間に渡って、好演を見せてくれました。「渡る世間は鬼ばかり」は、三崎千恵子さんの代表作の一つといえる作品ですよね。
「お咲さん」の愛称で知られた役で、お茶の間では楽しみにしていた人も多かったでしょう。最期には惜しまれつつも店をたたむという役柄でしたが、ベテランの存在感を放っていました。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さん出演の映画

三崎千恵子さんといえば、映画でも存在感あふれる演技を見せています。まだ白黒時代のものから、現代にいたるまで、様々な映画に長いあいだ出演していました。
初めての銀幕デビューは、1954年の「どぶ」でした。まだ白黒だった時代から、三崎千恵子さんは映画の世界に足を踏み入れたのです。
また強く記憶に残っているのは、「男はつらいよ」の名演でしょう。今思えば、日本を代表する伝説の映画ですが、この頃にはもう、すでに女優としてベテランの粋に到達していました。
遺作となった「ムーランルージュの青春」に出演したときには、すでに90歳を間近に控えているなど、その熱量と意気込みは他を圧倒するものといえるでしょう。

【三崎千恵子の死因や葬儀の様子は?現在夫や子供は何してる?】三崎千恵子さんの若い頃

三崎千恵子さんのデビューは1954年と、まだまだ撮影技術が発展途上の時代でした。ですから、若い頃の写真は残っていないのが現状です。
写真をここにお見せすることは出来ないのですが、映画「ムーランルージュの青春」で、若い頃の三崎千恵子さんの面影を追うことが出来ます。若い頃も、今と変わらずはつらつとした演技をしていたことでしょう。
激動の時代を駆け抜けて、見るものに勇気とインパクトを与えてくれた三崎千恵子さん。天国で、安らかに眠ることを祈ります。