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三船敏郎の出演ドラマやプロフィール総まとめ!娘の結婚には猛反対?

「世界のミフネ」として日本のみならず海外からも注目されていた名俳優、三船敏郎。晩年の三船敏郎は内縁の妻との間に娘が生まれたり、プロダクションの分裂があったりとスキャンダルも多くありました。三船敏郎のデビューから晩年までのエピソードをまとめています。

三船敏郎ってどんな俳優?

三船敏郎さんは1920年4月1日生まれの俳優さんです。俳優、映画監督、映画プロデューサーとして活躍し、1997年に亡くなりました。生前は多くの作品に出演し、日本だけではなく世界中にファンがいる名俳優です。
三船敏郎さんさんの生まれは中国ですが、ご両親とも日本人のため、三船敏郎さんも日本人です。お父さんは秋田県出身ですが満州に渡り事業を始めました。三船敏郎さんが5歳の時に「スター写真館」を始め、三船敏郎さんも手伝っていたようです。この手伝いによって得た知識や技術が、後の彼に大きな影響を与えます。
戦争真っ只中の1940年、三船敏郎さんも兵役に就きます。家業の写真屋を手伝っていた経験から、航空写真を扱う舞台の偵察員となりました。また終戦前の1945年には特攻隊の基地に配属となり、出撃する隊員の遺影を撮る仕事を任されていたようです。ここでの経験は相当辛かったようで、後にこの経験を語る際に涙を流していたというエピソードがあります。
戦後、三船敏郎さんは映画撮影の仕事に就くため撮影助手採用に応募しますが、間違いが起こり、俳優採用の面接を受ける事になりました。これは三船敏郎さんが望むものではなかったため、彼も面接では反抗的な態度を取りました。当然面接は不合格となるのですが、映画監督の黒澤明などの目に留まり、合格となります。

三船敏郎の妻はどんな人?離婚歴あり?

三船敏郎さんは1950年に東宝の同期だった女優、吉峰幸子さんを妻にします。子宝にも恵まれ、1962年には三船敏郎さん自身でプロダクションを設立、「三船プロダクション」は次々と成功を収め、規模もおおきくなります。
しかしこの成功の裏で、妻・吉峰幸子さんとの間には溝ができていました。三船敏郎さんは自身の三船プロダクションに所属していた女優、喜多川美佳さんとの浮気に走ってしまいます。喜多川美佳さんは三船敏郎さんより28歳も年下でした。

三船敏郎は浮気していた?娘・三船美佳の母親は誰?

三船敏郎さんには吉峰幸子さんという妻がいましたが、一方で年下女優の喜多川美佳さんと浮気もしていました。これはただの噂ではなく事実で、二人の間には娘ができてしまいます。その娘がタレントとして活動している三船美佳さんです。
三船美佳さんは、三船敏郎さん62歳の時の子供です。まるでお爺さんと孫のような年齢差ですね。
浮気相手と間に娘・三船美佳が生まれましたが、三船敏郎さんは妻と離婚はしませんでした。これは三船敏郎さんが浮気のみの関係を続けたかったからではなく、妻の吉峰幸子さんが離婚に応じなかったからです。

三船敏郎は娘・三船美佳以外にも子供はいる?

三船敏郎さんいは娘の三船美佳さん以外にも長男の三船史郎さん、次男の三船武志さんがいます。長男、次男は本妻との間に生まれた子供です。三船美佳さんにとっては異母兄にあたります。
三船敏郎さんの子供のうち娘の三船美佳さんはタレント活動などでよくテレビに出ていますが、三船史郎さん、三船武志さんはあまり見かけません。ただ長男の三船史郎さんについては、過去に幾つかの作品に出演された情報が残っています。
長男の三船史郎さんの出演作品は、「その人は女教師」、「二人だけの朝」、「ホーク/B計画」、「雨あがる」、「バルトの楽園」、「蜩ノ記」です。数は多くなく、三船プロダクション代表取締役社長としての活動がメインとなっているようです。次男の三船武志さんについては芸能活動の情報がなく、一般人のようです。ですが三船プロダクションに関わっている可能性はあります。

三船敏郎の娘・三船美佳の若すぎる結婚

三船敏郎さんの3人の子供のうち一番メディアでの露出が多いのは、娘のの三船美佳さんです。三船美佳さんは16歳の誕生日に24歳年上の高橋ジョージと結婚した事で世間を騒がせました。娘の若すぎる結婚について、父親の三船敏郎さんは何を思ったのでしょうか。
晩年になってできた娘ですから、相当可愛がっていたのではと思われますが、三船美佳さんの結婚についての三船敏郎さんのコメントはあまり見かけません。また娘婿となる高橋ジョージさんも、交際から結婚に至るまで三船敏郎さんには会った事がないと発言しています。三船美佳さんが結婚したのは、三船敏郎さんが亡くなった翌年の1998年です。晩年は闘病していた三船敏郎さんですから、症状によってはそれどころではなかった可能性もあります。
分かるぎる結婚で世間を騒がせた三船美佳さんですが、2016年に離婚しています。

三船敏郎の出演作品まとめ

三船敏郎さんは多くの作品に出演されています。1947年に映画「銀嶺の果て」でデビューしました。主な出演作品は「醉いどれ天使」、「羅生門」、「七人の侍」、「宮本武蔵」、「蜘蛛巣城」、「無法松の一生」、「隠し砦の三悪人」、「日本誕生」、「用心棒」、「椿三十郎」、「赤ひげ」などで、どれも高い評価を得ている作品です。
三船敏郎さんは元々俳優ではなく、撮影側に回る事を希望していました。そのため、映画出演のオファーがきても初めは乗り気でなかったというエピソードがあります。
ですが最終的には俳優としてここまで高く評価される事となりました。人生は何が転機になるか分からないものですね。

三船敏郎は海外でも人気?

三船敏郎さんの出演作品は日本国内の作品だけではありません。「価値ある男」、「太平洋の地獄」、「ミッドウェイ」、「1941」、「将軍 SHOGUN」など、海外の作品にも出演されています。
三船敏郎さんは海外の映画監督からも高い評価を得ている俳優です。「スター・ウォーズ」シリーズを監督したジョージ・ルーカスは1977年製作の「スター・ウォーズ」にてオビ=ワン・ケノービ役を、1983年の「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」ではアナキン・スカイウォーカーの役で再びオファーを出しました。どちらも断られる結果となりましたが、アナキンの顔を三船敏郎に似せるようメイク担当者に指示を出したというエピソードがあります。よほど三船敏郎さんに惚れ込んでいたのですね。
「1941」の監督スティーヴン・スピルバーグとは、映画の撮影が終わった後もプライベートで親交があったようです。三船敏郎さんが亡くなった際には弔電を打っています。

三船敏郎は妻と離婚し浮気相手と再婚したがっていた?

俳優として輝かしい活躍をした三船敏郎さんですが、プライベートではスキャンダルが多くありました。また酒癖の悪さもあったようで、妻の吉峰幸さんは心を痛めていたという話も残っています。
特に喜多川美佳との浮気は一番のスキャンダルでした。加えて自身で設立した三船プロダクションに内紛が起こり、結果分裂縮小となってしまいます。
三船敏郎さんは何度か妻・吉峰幸子さんとの離婚裁判を起こしています。しかし妻の吉峰幸子さん側は離婚に応じませんでした。結果、娘の三船美佳さんは父親に認知されないまま育つ事になります。

三船敏郎の最期を看取ったのは本妻?それとも浮気相手?

離婚はしませんでしたが、三船敏郎さんと本妻吉峰幸子さんの仲は当時は冷え切っていたようで、公の場には本妻ではなく、浮気相手となる喜多川美佳さんを妻として連れている事もありました。
プロダクションの内紛や一連のスキャンダルによる疲労もあったのか、1992年、三船敏郎さんは心筋梗塞で倒れてしまいます。それをきっかけに、三船敏郎さんは喜多川美佳さんから関係を解消されました。
内縁の妻から関係を解消された三船敏郎さんの看病を希望したのは、本妻の吉峰幸子さんでした。三船敏郎さんは妻の元へと戻り、以降は円満な夫婦関係を築く事ができました。1995年に妻が死去し、その2年後に三船敏郎さんも亡くなりました。

世界のミフネはやはり大スターだった

三船敏郎さんは海外でも人気の俳優で、2000年、2014年の「キネマ旬報」の人気投票で日本男優の1位に選ばれています。また、海外の多くの俳優や映画監督が、好きな日本人俳優として三船敏郎さんの名前をあげています。
三船敏郎さんは「世界のミフネ」とも呼ばれています。亡くなった時には日本だけではなく、海外のメディアもトップニュースとして訃報を伝えました。
そして2016年、三船敏郎さんはついにハリウッド殿堂入りを果たします。晩年は黄金期のようなヒット作には恵まれず、スキャンダルばかりが流れていましたが、世界のミフネがスターだった事に変わりはありません。もう彼の新しい作品を見る事ができない事が非常に残念です。