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渥美清の死因は病気?寅さんの晩年の様子は?葬儀場所、お墓・神社の場所は?

2018.08.18

「寅さん」として多くの国民に愛されている渥美清さんの、病気による晩年の様子や死因についてなど調べてきました。また、晩年の様子や死因・病気についてなどと一緒に、渥美清さんの葬儀やお墓についても調べてきたので、寅さんをご紹介していきたいと思います。

  1. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清のプロフィール
  2. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清の代表作:「男はつらいよ」シリーズ
  3. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清は病気だった?死因は?
  4. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清の晩年の様子は?
  5. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清の葬儀は?
  6. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清のお墓って?
  7. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清のギャラはいくらぐらいだったの?
  8. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清が願掛けした神社が人気?
  9. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清の交友関係
  10. 【渥美清の死因・病気・晩年・ギャラ・葬儀・神社・映画】渥美清のまとめ
まずは寅さんこと渥美清さんの簡単なプロフィールからご紹介していきたいと思います。渥美清さんは1928年3月10日生まれで、1996年8月4日に68歳でお亡くなりになられました。身長は173㎝で、血液型はB型です。寅さんこと渥美清さんは東京府東京市下谷区車坂町に生まれ、幼い頃は病弱で様々な病気を患っていました。そのため学校は病欠しがちで、休んでいる日は1日中ラジオを聞き、落語などを聞いて過ごしたそうです。
1946年には新派の軽演劇の幕引きになり、大宮市日活館「阿部定一代記」で舞台初出演を果たします。中央大学商学部入学後は、船乗りを志して退学しましたが母親に猛反対されたため断念し、知り合いの伝手を頼って旅回りの演劇一座に入り喜劇俳優の道を歩むことになりました。
1956年にテレビデビューすると、1958年に寅さんでお馴染みの「おトラさん大繁盛」で映画デビューも果たします。その後、1963年の野村芳太郎監督の映画「拝啓天皇陛下様」で演じた役が評価され、俳優としての地位を確立させました。
1968年にテレビドラマ「男はつらいよ」が放送開始され、「男はつらいよ」の放送期間は1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間でした。脚本は山田洋次さんと森崎東さんが担当し、最終回では「ハブに噛まれて寅さんが死ぬ」と言う結末に視聴者からの抗議が殺到したそうです。そのお詫びという形で松竹で映画を制作したところ大ヒットし、これ以降はシリーズ化となって主演の「車寅次郎」役を27年間48作に渡って演じ続ける事になります。
当初は渥美清さんも「渥美清=寅さん」というイメージを避けるために色んな作品に出てみたりと模索していましたが、次第にそれも難しくなり1980年以降になると「男はつらいよ」以外の主演はなくなっていきました。1988年には紫綬褒章を受賞し、「男はつらいよ」関連で亡くなられた後に政府から国民栄誉賞が贈られました。
渥美清さんは1991年に肝臓癌が見つかり、1994年には肺への転移が確認されていました。シリーズの47作品目からは主治医からも出演は不可能だと言われていましたが何とか出演し、48作品目に出演できたのは奇跡だと言われたほどでした。
1996年6月に49作品目の映画化の件で話し合いが進められ、高知ロケを承諾していたのですが7月に体調が悪化し、手術をしたものの既に手遅れな状態だったそうです。そして1996年8月4日の午後5時10分に、東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院にてお亡くなりになられました。
晩年はかなり無理をしての映画出演だったそうです。42作品目以降は病気のことを配慮し立って演じるシーンは少なくされ、晩年は立っていることさえままならず撮影の合間は寅さんのトランクを椅子代わりにして座っていることが多かったそうです。
44作品目のころには、「スタッフに挨拶されて、それに笑顔で答えることさえ辛いんです。スタッフや見物の方への挨拶を省略していただきたい」と山田洋次さんに語っています。
しかしこの事情を知らない映画撮影の見物客は、渥美清さんにに声をかけてもまったく反応してもらえなかったことから「愛想が悪い」との理由で渥美清さんを批判することもあったそうです。
渥美清さんの葬儀についてですが、「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」という渥美清さんの遺言により、家族だけで密葬が行われました。遺体は東京都荒川区内の町屋斎場で荼毘に付され、撮影現場には6日の夕方に妻から打ち合わせに来たスタッフに告げられ、訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表されました。
そして8月13日には松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」が開かれ、山田洋次監督や無二の親友である早坂暁さんが弔辞を読み上げられました。世間では渥美清さんの死を寅さんの死とも捉え、そのように報道されたそうです。
渥美清さんのお墓は「源慶寺」というお寺にあるらしく、もちろん芸名の渥美清ではなく本名の「田所康雄」という名前でお墓に入っておられるようです。お墓参りに行かれているファンの方も多く見られるので、ファンの方は1度お墓参りに行かれるのも良いかもしれませんね。
渥美清さんのギャラに関してですが、ギャラはもちろん公表されてはいません。しかしギャラはこうだと書いてあるサイトもあり、そのサイトを参考にすると渥美清さんのギャラは「男はつらいよ」の1作品で5000万~8000万らしいです。
晩年は1年に1本と映画の本数は減りましたが、元々は1年で2本製作されていたのでギャラは年間で1億円を超えていたそうです。
渥美清さんが願掛けをしたされる神社があり、「小野照崎神社」という神社らしいです。渥美清さんがまだ売れていなかった頃に、友人から「何かを手に入れたかかったら何かを我慢しなければいけない」と言われ、渥美清さんは禁煙を思いつき「一生、煙草を吸いません。そのかわり仕事をください」とお願いしたところ仕事のオファーが来て、その後「男はつらいよ」で大スターへと駆け上がっていきました。
そういう逸話があるため、多くの若手芸人がこの神社を訪れ参拝をしているそうです。渥美清さんと同じように禁煙を誓い参拝する芸人が多く、その後レギュラー番組が決まったりイベントの出演が決まったりとご利益がすごいらしいです。仕事に悩んでいる方や出世したい方は、ぜひ1度参拝してみるのも良いかもしれません。
渥美清さんは役の寅さんとは対照的で、人との関りを避ける人物だったそうです。「男はつらいよ」のロケ先で、撮影協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことがない話はとても有名らしく、身辺にファンが近寄ることも嫌っていました。シリーズで長年一緒だった山田洋次監督や他の出演者でさえ、自宅や個人の連絡先を知らなかったそうです。
しかしそんな渥美清さんにも、20代の頃に銭湯で知り合い仲良くなった脚本家の「早坂暁」とは無二の親友だったそうです。渥美清さんの死後に見つかった晩年の手帳には、「…旅行に行こう。家族とギョウさんにも声かけて一緒に行こう…」と書いてあり、早坂暁さんの存在の大きさがよく分かる一文になっています。
渥美清さんの死因や病気について、晩年の様子や寅さんについてなど、渥美清さんの情報を詳しくご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?死後もなお寅さんとして愛される渥美清さんの偉大さがよく分かります。これからも渥美清さんと寅さんの存在が愛され続けてほしいですね。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://www.instagram.com/p/BZITAIcAtRP/?tagged=%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E6%B8%85