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りりィの死因は?死亡日時や遺作情報も!結婚して息子もいた?

2018.05.17

突然の急死で日本中を驚かせたりりィさん。りりィさんの死因や死亡日時、遺作となった作品まで詳しく解説していきます。また、結婚や子供など、私生活についての情報もまとめ。死因・死亡日時・遺作以外の情報についても紹介していきます。

  1. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】プロフィール
  2. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】顔写真・画像
  3. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】デビューはいつ?
  4. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】大ヒットソング「私は泣いています」
  5. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】「私は泣いています」の歌詞に注目
  6. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】映画代表作・遺作はある?
  7. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】ドラマ代表作
  8. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】結婚はしてる?
  9. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】子供や親戚は?
  10. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】死因と死亡日時について
  11. 【りりィの死因・死亡日時・遺作情報まとめ】永遠の美しき歌姫
シンガーソングライターや女優として活動していたりりィさん。1952年2月17日生まれで、出身地は福岡県福岡市。アルファーエージェンシーに所属していました。本名は鎌田小恵子(かまたさえこ)さんと言うそうです。りりィさんは、日本の女性シンガーソングライターの先駆けとも呼ばれるくらい、新しい時代を切り開いた伝説の歌姫でもあります。
こちらがデビュー当時のりりィさんの画像になります。画像を見て分かる通り、かなりの美人さんですね!デビュー当時の画像は少ないものの、どれもりりィさんの美しさが伺える画像ばかりです。絵画から出てきたような整ったお顔が素敵です!
こちらの画像は、2000年代頃のりりィさんの画像となっています。若い時とはまた違った美しさ、そして色気が、画像から滲み出ています。穏やかで品のよさそうな雰囲気もとても素敵ですね。
福岡県福岡市天神で生まれたりりィさんは、小学3年生の頃に東京へやってきました。ちなみにりりィさんの父親は米空軍にいたとされ、りりィさんが生まれる前に亡くなったと言われています。そのため、りりィさんはハーフ。くっきりとしたホリの深いお顔は、父親譲りであったと考えられますね。
そして、りりィさんが高校生の頃、女手ひとつで育ててくれた母親が他界。その後、高校には行かずスナックで弾き語りの仕事を始めます。りりィという名前もその頃に付けられたものであると語られています。細々と音楽活動を続ける中で、りりィさんに転機が訪れます。
1972年2月5日、「たまねぎ」というアルバムで見事メジャーデビューを果たすのです。当時も今も珍しいベースの弾き語りをメインに、抜群の歌唱力と楽曲のセンスを見せつけました。その溢れ出る才能に注目が集まったとされています。
1974年の大ヒットソング「私は泣いています」は、85万枚の売り上げを果たしました。不況の時代にこれほど大ヒットした曲は少ないことでしょう。20代前半であるにも関わらず、その染み入るようなハスキーボイスがたちまち人気となりました。
しかし、当時のりりィさんは、「私は泣いています」を歌うことが苦痛だったと話しています。「私は泣いています」が大ヒット曲である以上、どの番組やメディアでも求められてしまうのは仕方のないことですよね。他に歌いたい曲があっても、まずはこの曲を歌わなければお客さんが満足してくれないという思いが自分自身を苦しめていたそうです。
メロディはもちろん、歌詞にも注目が集まった「私は泣いています」。ここからは、「私は泣いています」の歌詞や歌詞の意味について迫っていきます。
まず、さっそく冒頭で“私は泣いています”という歌詞が出てきます。その後、“あなたに逢えて 幸せだった”といった歌詞が。逢えてという過去形の表現が、幸せだったのは現在ではないことを指しています。どことなく別れを感じさせる部分ですね。
そして、2番では“あなたは言うの もう終りだと”という歌詞。その次の“まさかそれは嘘でしょう”という歌詞では、女性目線の気持ちが描写されています。別れを受け入れたくない女性側の気持ちが伝わってきますね。
一方的に冷められてしまったのか、男性側から愛は感じられません。“私は泣いています”は、悲しみに暮れる女性の姿が思い浮かぶ曲となっていますね。
多数の映画出演を果たしているりりィさん。その中でも特に有名な映画作品といえば、『湯を沸かすほどの熱い愛』ではないでしょうか。りりィさんは、主人公である宮沢りえさんの母親役を演じられました。あまり表情のある役どころではなかったそうですが、その無表情さから滲み出るなんとも言えないオーラが特徴的だったとされています。
その他にも、『リップヴァンクルの花嫁』や『エイプリルフールズ』、『モテキ』などに出演。歌手としてはもちろんのこと、女優としても才能を発揮していたそうです。
そんなりりィさんの遺作と言われているのが、『彼らが本気で編むときは、』です。ここでもりりィさんは、桐谷健太さんの母親役を演じられました。とても重要な役どころだったそうですが、見事に演じきられたとのことです。
映画だけでなく、ドラマでもその女優力を見せつけたりりィさん。代表作は『3年B組金八先生』や『救命病棟24時』、『半沢直樹』、『昼顔』などが挙げられます。どれもとても有名な作品ばかりですよね!
その他の作品では、ゲストとして登場されていることが多く、りりィさんにスポットライトが当たった作品も少なくありません。たくさんのドラマに出演されたという訳ではないのですが、その存在感とオーラで印象に残る役柄を演じられています。
1974年、りりィさんが24歳のときに1度目の結婚をされます。しかし、わずか1年で別居へと至り、別居が続いていた状態で7年間を過ごしたそうです。そして、1981年に離婚。離婚の理由は深く語られていませんが、多忙な中でのすれ違いが引き起こしたのではないかと推測されています。
その後1982年には2度目の結婚を果たします。それと同時に活動休止を発表され、子供も授かり、専業主婦の道を選んだそうです。
現在結婚しているかどうかの情報ですが、まだ結婚生活が続いているとの情報もあれば、子供が中学生になった頃に離婚したとの情報も出回っています。りりィさんの結婚に関しての詳しいことは分かっていないそうです。
1985年、2度目の旦那さんとの間に授かった長男の鎌田樹音(かまたじゅおん)さんが生まれます。現在、鎌田樹音さんはFUZZY CONTROLのボーカルを務めており、りりィさんと同じ歌手の道を進んでいます。
ちなみに、DREAMS COME TRUEの吉田美和さんの旦那さんということでも有名ですよね。りりィさんと吉田美和さんは嫁姑の間柄ですが、吉田さんはりりィさんのことをりりたんと呼ぶほど仲良しだったそうです。
2016年11月11日の早朝、りりィさんは肺がんのため他界。64歳でした。突然のことにマスコミやメディアも騒然、芸能界も悲しみの声で溢れました。
以前より肺がんで療養中だったりりィさん。かなり体調も良くなかったのではないかと言われていましたが、そのような素振りを見せることはありませんでした。葬儀は近親者による密葬で行われたとのことです。
時代を越えて愛されたりりィさんの歌や演技。早すぎる別れに、今もなおりりィさんを求める声で溢れているそうです。永遠の美しき歌姫としても名高いりりィさんは、これからも愛され続けていくことでしょう。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://www.instagram.com/p/BVYbtOIjofN/?taken-by=akira.1630.momo