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大原麗子の死因は病気?渡瀬恒彦や森進一が元旦那?高倉健は?

昭和の大女優「大原麗子」さんの死因は病気だったことをご存知でしょうか。さらに元夫は俳優の渡瀬恒彦さんだったことでも有名です。大原麗子さんの生涯をたどるとともに、死因となった病気についてや元夫・渡瀬恒彦さんとの離婚原因などについてご紹介します。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【プロフィール】

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大原麗子(オオハラレイコ)さんは、1946年11月13日東京・文京区に生まれました。実家は老舗和菓子屋を営んでいます。本名は飯塚麗子(イイヅカレイコ)で、女優デビューする時に「大原麗子」の芸名で芸能界入りしました。

芸能界デビューのきっかけはスカウト

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芸能界デビューのきっかけはスカウトされたことでした。当時、東京放映の社長であった大野直氏にスカウトされ、女優として活動することを決心しました。大原麗子さんが女優を目指したきっかけは、母親の存在がありました。
老舗和菓子屋を営む父親は、幼い頃より大原麗子さんに暴力を振るう人でした。大原麗子さんが8歳の時に両親は離婚、大原麗子さんは母親に引き取られ、女でひとつで育てられました。大原麗子さんは、母親に恩返しをして楽をさせたいと思い、スカウトを受け芸能界の世界に入りました。

NHKドラマ「幸福試験」で女優デビュー

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大原麗子さんが本格的に女優デビューしたのは、1964年に放送されたNHKドラマ「幸福試験」でした。しかし、2年前に公開された東宝映画「夢で逢いましょう」で端役として出演しているので、女優デビューはこちらの映画だという主張もあります。いずれにしても、大原麗子さんは10代で女優としてデビューを飾りました。

映画「孤独の賭け」で映画デビュー

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1965年公開の映画「孤独の賭け」に出演したことで、本格的に映画女優として活躍するきっかけを掴みました。この映画以降、高倉健さん主演の映画「網走番外地」シリーズや、梅宮辰夫さん主演の映画「夜の青春」シリーズなど数多くの映画に出演しました。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【日本人的美人像で人気】

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1971年25歳の時、契約していた東映との契約が切れたことを機に、渡辺プロダクションに移籍、映画中心だった大原麗子さんですがこれ以降、テレビドラマにも数多く出演しました。映画ではホステスなどの妖艶な演技が光りましたが、テレビドラマでは「しっとりした日本的美人像」を前面に押し出した役柄を数多く演じました。

和服姿でバラエティやCMに出演

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1980年から約10年放送されたCM「サントリーレッド」では、「すこし愛して、ながーく愛して」のセリフが人気となりました。またバラエティ番組にも意欲的に出演、「ダウンタウンDX」ではうさぎの着ぐるみを着たり、「SMAP×SMAP」内のコーナー「BISTRO SMAP」では第1回目のゲストとして出演するなど、幅広い年齢層に親しまれる存在でした。

大原麗子の元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【死因は病気?】

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大原麗子さんは2009年8月3日、63歳の若さでこの世を去りました。大原麗子さんの死因についてご紹介します。

「ギラン・バレー症候群」を発病

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大原麗子さんは29歳だった1975年「ギラン・バレー症候群」を発症します。この病気は「急性・多発性の根神経炎」のひとつで、運動神経に障害が起こり四肢に力が入らなくなってしまう病気です。当初は病気と闘いながら女優として活躍、一度は完治しましたが53歳になった1999年「ギラン・バレー症候群」を再発、芸能活動を休止しました。

乳がんを併発

47歳になった1993年、大原麗子さんは乳がんも併発します。同年には乳がんの手術を受けました。6年後の1999年、左目の二重まぶたの整形手術をしますが、手術は失敗に終わります。手術失敗によりまぶたが腫れ上がってしまい、主演で出演予定だった映画「天城越え」を降板することになりました。また同年には「ギラン・バレー症候群」が再発、これらの理由で大原麗子さんは芸能活動休止を余儀なくされました。

晩年はリハビリに専念

芸能活動を休止した大原麗子さんでしたが、女優として復帰することを諦めてはいませんでした。自宅でリハビリや筋力トレーニングを行い、現場復帰を目指していました。表舞台から遠ざかっていましたが、俳優仲間には電話でドラマの感想などをよく話していました。

原麗子の死因は病気?【元旦那は渡瀬恒彦・森進一?①】

元夫①渡瀬恒彦

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1973年から1978年(当時27歳から32歳)、大原麗子さんは俳優の渡瀬恒彦さんと結婚していました。渡瀬恒彦さんとは1970年公開の映画「三匹の牝蜂」などで共演したことがきっかけでした。

離婚の原因は子供?

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渡瀬恒彦さんと大原麗子さんが離婚したきっかけは何だったのでしょうか。事の発端は、渡瀬恒彦さんが京都に生活の場を移し、一緒に暮らすことを提案したことがそもそも離婚する原因だったようです。京都の撮影所で仕事をする機会が多かった渡瀬恒彦さん、東京のテレビ局での仕事が多かった大原麗子さんと双方の意見の食い違いが事の発端だったようです。
また大原麗子さんは、渡瀬恒彦さんとの結婚後、妊娠しますが「子宮外妊娠」であったため泣く泣く手術をして子供を下ろさなくてはなりませんでした。これらのことが原因で、結婚生活5年で2人の夫婦生活は終わりを迎えます。

大原麗子の死因は病気?【元旦那は渡瀬恒彦・森進一?②】

元夫②森進一

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1980年から1984年(34歳から38歳)、大原麗子さんは歌手の森進一さんと結婚していました。

離婚の原因は再び子供?

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大原麗子さんは森進一さんとの結婚生活の間に子供を授かります。しかし、仕事を優先させたかった大原麗子さんは森進一さんに黙って中絶してしまいます。森進一さんは子供を望んでいたこともあり、大原麗子さんは「(私と)離婚して他の女性と子供を作ってください」と森進一さんに頼み込み、1年後の1984年に離婚しました。
大原麗子さんは森進一さんとの結婚前に「ギラン・バレー症候群」を発症していました。森進一さんの子供を妊娠、そして離婚以降は子供を授かることはありませんでした。渡瀬恒彦さん、森進一さんとの離婚の原因は、大原麗子さんを家庭に入れようとしたことや、子供が授からなかったことなどが原因でした。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【高倉健との関係】

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大原麗子さんと高倉健さんは、俳優仲間として切磋琢磨する間柄である一方、特別な存在でした。大原麗子さんと高倉健さんの関係についてご紹介します。

高倉健は兄のような存在

高倉健さとの初共演は、大原麗子さんが18歳で出演した映画「網走番外地」シリーズでした。高倉健さんは15歳も歳が離れており、大原麗子さんにとって尊敬する兄のように慕っていました。また、同映画で共演している時に、高倉健さんが大原麗子さんの家系を調べたところ、赤穂藩主の浅野内匠頭の子孫であることがわかりました。

高倉健からの粋なプレゼント

大原麗子さんは40歳になった1986年、自宅を新築した時に高倉健さんから新しい電話番号をプレゼントされました。電話番号の下4ケタが「0015(レイコ)」であることや、高倉健さんから刻印入りの万年筆をプレゼントされるなど、長年に渡り交流があったことが伺えます。

遺品から高倉健への想いが

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46歳の時に出演したNHKドラマ「チロルの挽歌」では、高倉健さんの妻役として出演、同ドラマでギャラクシー賞を受賞しました。大原麗子さん自身も「生涯の代表作」と自負するなどお気に入りの作品となりました。さらに、大原麗子さんの死後、遺品を整理していると高倉健さんと共演した「チロルの挽歌」のDVDや高倉健さんの記事をまとめたスクラップが発見、スクラップには大原麗子さんの直筆で「好きです。尊敬しています」と書き記されていました。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【性格はわがままだった?】

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大原麗子さんはどんな性格だったのでしょうか。当時の撮影スタッフなどの証言から大原麗子さんの性格についてご紹介します。

男っぽい性格だった?

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大原麗子さんは「躁鬱的(気分が高まる時と鬱屈した状態が繰り返される状態)」な性格だったようで、「躁鬱的」な状態になると饒舌になったそうです。また演技に貪欲で、役に対する研究を怠らなかったことでも有名です。しかし一方で脚本家や演出家、監督などにも意見をよく言うので、一時は出演オファーがなくなったこともあるようです。
1984年に森進一さんと離婚した時に会見で大原麗子さんは「家に男が2人いた」などと語っています。当時の日本はしとやかな性格の女性が好まれる世の中であったため、意見を主張する大原麗子さんのような性格の女性は、敬遠されてしまうことがしばしばありました。

わがままな性格?

「躁鬱的」な性格や、役に対して妥協しない面などから「大原麗子はわがままな性格」だと言われています。しかし、演者の多くはこどわりを持った性格の人が多いため大原麗子さんだけがわがままな性格とは言えないでしょう。現在活躍する女優や俳優の中にも、こだわりを持った人は多いため、大原麗子さんだけがわがままな性格だったとは言えません。それだけ、役に対するこだわりが強かったことがわかります。

女優として生涯貫いた大原麗子

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気性の激しかった性格が伺える大原麗子さんですが、病気療養中はファンのために復帰することを決意してリハビリなどに励んでいました。表舞台に出るからには、毅然とした態度で復帰することが望ましいと女優魂を見せていました。大原麗子さんは最後まで女優「大原麗子」を貫きました。

「しっかり病気を治して、容姿も心も完全に女優に変身して復帰したい。いえ、必ず復帰するわ。そうね復帰はどんな形がいいかしら。やっぱりテレビドラマよね。山田太一先生が脚本を書いてくれると嬉しいんだけどな。それまでは、たとえ目の前に1億円積まれてもお断り。だって大切なファンを裏切ってしまうことになるでしょうから」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E9%BA%97%E5%AD%90

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【壮絶な晩年期】

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大原麗子さんの晩年期についてご紹介します。大原麗子さんは1999年「ギラン・バレー症候群」が再発したため、芸能活動を休止してリハビリに励んでしました。また子供に恵まれなかった大原麗子さんですが、実の弟の子供(甥)を可愛がり月に1~2度は食事に連れて行っていたそうです。子供や伴侶がいない大原麗子さんは、晩年は3億円の豪邸にひとりで過ごすなど寂しい生活を送っていました。

精神を病んでいたと俳優仲間が明かす!?

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元女優で大原麗子さんとも共演したことがある鹿沼絵里さんは、大原麗子さんの晩年期を「精神に支障をきたしていた」と明かしています。鹿沼絵里さんは大原麗子さんと食事に行った際、スプーンが上手く握れず号泣したことを明かしています。

鹿沼は、最後に食事した日のことを鮮明に覚えている。ギランバレー症候群の再発だと口にしていたが、それ以上に自律神経に支障を来しているように見えた。 「スプーンがうまく握れず、テーブルに水たまりができるほど泣きっぱなしなんです。女優の“涙のスイッチ”とは違う号泣ぶりでした」

https://www.asagei.com/excerpt/40681

発見を遅れて帰らぬ人に

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2009年8月6日、連絡が取れずに不審に思っていた実弟が警察に通報、急いで自宅に向かいますが大原麗子さんは既に亡くなっていました。携帯電話を取ろうとした状態で発見され、発見が早ければ助かった可能性もありました。大原麗子さんの元マネージャーは、俳優たちとの交流があった一方、ほとんど自宅でひとり過ごしていたことが多かったため、孤独な生活をしていたことを明かしています。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【お別れ会には豪華な顔ぶれ】

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大原麗子さんが亡くなった当時、ワイドショーなどで大きく報じられました。そして、俳優仲間たちが発起人となりお別れの会も開かれました。お別れ会にはそうそうたるメンバーが集まったことでも話題となりました。

「お別れ会」発起人は森光子や浅丘ルリ子

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2009年8月23日、大原麗子さんが亡くなってからわずか20日後に東京・青山葬儀所で「お別れ会」が行われました。発起人や女優の森光子さんや浅丘ルリ子さんでした。その他、多くの俳優・女優が集まり、多くの俳優仲間に大原麗子さんが慕われていたことが伺えました。弔辞を読んだ浅丘ルリ子さんは「浅丘が骨折した大原を見舞いに訪れると、大原が早く会いに来てほしかったと抱きついて怒りながら号泣していたこと」を明かしています。

元旦那の渡瀬恒彦や森進一も参加

お別れの会には元夫の渡瀬恒彦さんや森進一さんも参列したことで話題となりました。2人と離婚した理由は、子供などが原因だったことや、離婚後も交流があったことなどからお別れ会に参列したと考えられます。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【現在も人気のある映画は?】

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昭和の大女優として活躍した大原麗子さんが出演した作品は、現在でも多くの人に愛されています。現在も人気のある作品5つをご紹介します。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【現在も人気作品①】

居酒屋兆治

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1983年公開の映画「居酒屋兆治」は、現在も人気のある映画作品です。主人公であり居酒屋「兆治」の店主である「藤野英治」を演じる高倉健さんの相手役であり、元恋人の「さよ」を大原麗子さんが演じました。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【現在も人気作品②】

喜劇急行列車

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1967年公開の映画「喜劇急行列車」も現在も人気がある作品のひとつです。国鉄(現在のJR)のベテラン車掌「青木吾一(演:渥美清)」が急行列車内で巻き起こす珍道中映画です。大原麗子さんは食堂車のウェイトレスを演じました。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【現在も人気作品③】

男はつらいよ寅次郎真実一路

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1984年公開の映画「男はつらいよ寅次郎真実一路」にマドンナ「ふじ子」役で出演しました。「男はつらいよ」シリーズは現在も人気のある作品で、テレビでもたびたび放送されるなど現在も幅広い層に愛されています。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【現在も人気作品④】

男はつらいよ噂の寅次郎

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1978年に公開された映画「男はつらいよ噂の寅次郎」では、マドンナ役ではありませんでしたが存在感を見せつけた作品です。同映画出演の6年後、先述した映画「男はつらいよ寅次郎真実一路」ではマドンナ役として出演するなど、着実に女優として成長していました。

大原麗子の死因は病気?元旦那は渡瀬恒彦・森進一?【現在も人気作品⑤】

柳生一族の陰謀

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1978年公開の映画「柳生一族の陰謀」は、現在も人気のある作品です。大原麗子さんは「出雲の阿国」を演じました。萬屋錦之助や千葉真一など時代劇俳優が数多く出演した映画で、現在も時代劇ファンに愛されています。

大原麗子の死因は病気!元旦那は渡瀬恒彦・森進一だった

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大原麗子さんは日本人的美人像で昭和を代表する大女優として活躍しました。しかし一方で「ギラン・バレー症候群」を発病して、晩年は闘病生活を送っていました。俳優・渡瀬恒彦さんや歌手・森進一さんと結婚、妊娠しますが女優としての活動を優先するために中絶、離婚した過去がありました。
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多くの映画やテレビドラマ、バラエティ番組に出演して現在も多くの人に愛される存在ですが、晩年は孤独に闘病生活を送っていました。大原麗子さんは最後まで「女優・大原麗子」を貫いた偉大な女優だったと言えるでしょう。当時を知らない人も、大原麗子さんの出演作品を振り返ってみませんか。