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【仰天】俳優・勝新太郎の凄すぎる伝説エピソード集!ギャンブルに女に盛り沢山!

2018.04.04

勝新太郎さんをご存知でしょうか?映画「座頭市物語」シリーズが有名で、私生活では中村玉緒さんの夫であります。名俳優として数々の伝説を残してこられましたが、よからぬ伝説も数多く作られたようです。その勝新太郎さんのエピソードをまとめてみました。

  1. 伝説の男、勝新太郎
  2. 勝新太郎の歴史
  3. 俳優、勝新太郎
  4. 勝新太郎と中村玉緒
  5. 伝説の男の映画製作
  6. 勝新太郎伝説①
  7. 勝新太郎伝説②
  8. 晩年の勝新太郎
  9. 勝新太郎のギャンブル人生
  10. 生まれたときは違えど
引用: https://www.instagram.com/p/BefnDEuhcsx/?tagged=%E5%8B%9D%E6%96%B0%E5%A4%AA%E9%83%8E
今では故人となってしまった勝新太郎さん。しかし、勝新太郎さんの出演作品やとんでもない伝説は現在でも翳ることなく轟いています。勝新太郎さんの活躍を実際にみてきた世代の方にとっては、とても想い入れがある作品ばかりでしょう。そして、芸能界にガチで風穴を開けまくった豪快な人でもあります。中村玉緒さんがいながら、女に走り、ギャンブルにも勤しんだようです。そんな、豪快な生き方をした勝新太郎さんの歴史に触れてみましょう。
勝新太郎さんは長唄三味線方(長唄と呼ばれるジャンルの三味線音楽家)をやっていた杵屋勝東治さんとその妻の八重子さんの次男として誕生したようです。生誕の場所は母方の実家がある千葉県。生家は東京都江東区(当時は東京都深川区)で、兄に若山富三郎、幼馴染に宇津井健とのちのスターに囲まれながら育ったようです。
現在名で法制大学中学高等学校を中退しているようです。十代のころに長唄と三味線の師匠として、深川の芸者に稽古をつけていたそうです。三味線方のときの名前は杵屋勝丸。1954年にアメリカを巡業していたところ、撮影所で紹介されたジェームズ・ディーンに感化されて映画俳優への道を志すようになったようです。
23歳のときに大映京都撮影所と契約し、1954年の「花の白虎隊」で俳優デビューを果たしました。大映の社長は勝新太郎さんを気に入り、主要な役を与え続けましたが、人気は高くはなかったようです。同社の同世代の市川雷蔵さんや山本富士子さんなどが、そうそうに活躍する中での勝新太郎さんの不人気は、関係者から大いに不評を買っていたようです。しかし、1960年の「不知火検校」で野心的な悪僧を演じことにより評価が一変しました。
1961年に二代目中村鴈治朗の長女で同じ大映に在籍していた中村玉緒さんと婚約。この年の映画「悪名」が絶大な人気を集め、続く1962年の「座頭市物語」、「兵隊やくざ」で不動の人気を獲得した。このときの人気作はどれもシリーズ化されていて、特に「座頭市」シリーズはアジア各地でも上映されるほどの代表作になったのです。
1961年に婚約した勝新太郎さんと中村玉緒さんは「悪名」などで共演されていました。1962年に結婚することになり、その後の勝新太郎さんを支えることになりました。もともとは、勝新太郎さんが熱烈に求愛したそうです。その気持ちに打たれて中村玉緒さんも、愛に応えるようになったようです。結婚初夜はお姫様女優であった中村玉緒さんを扱いかねた勝新太郎さんが、ギャンブルの「チンチロリン」を教えて二人で楽しんだそうです。
結婚後、勝新太郎さんは女遊びやギャンブルなどと豪快に遊んでいると騒がれていたようですが、中村玉緒さんはそんな話はありませんでした。勝新太郎さんとしては、男を自分しか知らない中村玉緒さんが、かわいそうとも思っていたようです。しかし、中村玉緒さんは「生まれ変わってもあの人と一緒になりたい」と語るほど一途な愛を今もお持ちのようです。二人のこころはどのようなことがあっても離れることはないのでしょう。
勝新太郎さんは1967年に勝プロダクションを設立し、映画製作を行うようになりました。映画製作は大映出身の監督たちと時代劇の伝統を絶やさぬようこだわり抜いた作品を作り続け、若手の監督たちも取り込み「もえつきた地図」、「人斬り」などを製作・主演しました。この他にも、漫画や劇画の映画化を推し進め「子連れ狼」や「御用牙」などの作品を作り上げました。
テレビドラマ制作にも力を入れており、自身の弟子とした松平健さんを時代劇「暴れん坊将軍」に主演させて、スターとして鍛えあげました。1974年から1979年にかけて、「座頭市」をテレビドラマとして全100話製作したましたが、ことのときからプライベートの騒動が発生し始めるようになり、アヘン不法所持により書類送検されています。映画製作も徐々に赤字となり、1981年に12億の負債を残して倒産。1989年に再起を図ったのですが、撮影中の殺陣で死亡事故が発生し、映画製作の道を終えることになりました。
世に俳優として、映画製作者として大きな名を残した勝新太郎さんは、その後はプライベートな事件によって、世間を騒がせることとなります。1990年に勝新太郎さんはアメリカ合衆国ハワイ州のホノルル国際空港にて、下着にマリファナとコカインを入れていたことで現行犯逮捕されています。麻薬を下着に入れていたことに対し「気づいたら入っていた」としらを切り、逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」、「なぜ、私どもの手にコカインがあったかしりたい」などと述べていたようです。
1996年に下咽頭癌を発病し、抗がん剤と放射線の治療を行いました。入院中は外出を繰り返し、寿司や酒を楽しみ、平然とタバコをふかしていたそう。その後の記者会見では「タバコはやめた」といいながら豪快に喫煙する姿を見せました。しかし、そのときタバコをやめていたことは事実であったようで、喫煙は勝新太郎さんなりの豪快な人物を演じていただけのようです。
晩年はトライデントシュガーレスガムのCMや、死の前年には「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」にも出演しました。勝新太郎さんの最後の舞台は大阪新歌舞伎座で中村玉緒と夫婦役を演じた「夫婦善哉」だそうです。
1997年の6月に入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院において下咽頭癌でお亡くなりになりました。没年は65歳。葬儀は1997年の東京都中央区築地の築地本願寺にて行われ、約11000人が参列しました。ファンたちからは「勝ちゃんありがとう」といって見送られたようです。2000年の「キネマ旬報」の「20世紀の映画スター・男優編」では日本男優の7位となりました。時代を彩った豪快な俳優は歴史となったのです。
勝新太郎さんの人生は浮き沈みが激しく、みている側としては豪快で楽しいと思えるものでした。そのようにみえたのは、勝新太郎さんの新しいことへ挑む気持ちと衆人に対してのパフォーマンス精神によるものではないでしょうか。麻薬関連の事件だけではなく、ギャンブルや女遊びなども、周りの人を楽しませたいという発想から来ているものもあったのではないでしょうか。
悪役や人斬りを演じる勝新太郎さんが豪遊する理由は「酒も、女も、ギャンブルもしないでは誰も振り向いてはくれないだろう」、「リアルがそこにはないだろう」と真剣に考えた結果なんだと思います。そうでなくては、女優である中村玉緒さんが最期まで愛し続けることはなかったでしょう。カジノテーブルで他の人とは大きく異なるチップの山を積む勝新太郎さんは、そのときも豪快な人を演じていたのでしょう。
人生の全てがギャンブルであった勝新太郎さんの残した作品の数々は、今も人々のこころを打ち続けています。それは、勝新太郎さん亡きあとも、ビートたけしさんが「座頭市」を演じたことでもわかるはずです。「座頭市」で得られた興奮は「座頭市」でしか味わうことができないのです。
引用: https://www.instagram.com/p/BWxkgPkAITk/?tagged=%E5%8B%9D%E6%96%B0%E5%A4%AA%E9%83%8E
ビートたけしさんだけではなく、「座頭市」を作りたい人は沢山いるようです。これからも「座頭市」は多くの作品を生み出すことになるでしょう。これを勝新太郎さんがみればどのような反応をするのでしょうか?生き方は違えど、勝新太郎さんと想いをともにする人々には、「座頭市」のこころが息づいているでしょう。
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://www.instagram.com/p/BgUpM-pF_ao/?hl=ja&tagged=%E5%8B%9D%E6%96%B0%E5%A4%AA%E9%83%8E