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南田洋子の命日や誕生日は?若い頃の水着がセクシー!死因は病気?
女優でありながら「ミュージックフェア」の司会なども務められた南田洋子さん。76歳で亡くなってしまいましたが、誕生日や命日には彼女の生前を懐かしむ方は多いようです。そんな南田洋子さんの誕生日、命日がいつなのかや若き日の水着画像などを調べてまとめてみました。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】南田洋子
昭和の名女優である南田洋子さん。現在はお亡くなりなってはいるものの、その名は消えずに人々の心の中に残されております。生涯を通して芸能活動を行われ、賛否両論はあったものの、アルツハイマー病になったあともその姿をみることができました。
そんな南田洋子さんの死は多くの人の悲しみとなりました。それほどの人気を誇っていた南田洋子さんの誕生日や命日には、彼女の活躍が思い出されるようです。人々の心に大切なものを残された南田洋子さんが、どのようなお方であったかこれからご紹介したいと思います。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】南田洋子の歴史
南田洋子さんは東京市芝区(現東京都港区)三田出身です。米穀商の娘として誕生され、母親は日本舞踊の師匠をされていたそうです。終戦後、茨城県土浦市に移り、1949年に茨城県土浦第一高等女学校を卒業されました。16歳のときに単身で上京。1952年には文化学院を卒業されました。
上京後に水谷八重子さんに弟子入りし、1951年に大英5期ニューフェイスとして入社。そして、1952年の「美女と盗賊」で映画デビューを果たされました。1953年には若尾文子と共演した映画「十代の性典」が大ヒットを記録して、「性典スター」と呼ばれることになったそうです。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】女優、南田洋子
1955年に大英から日活に移籍されました。1957年には石原慎太郎さんの短編小説「太陽の季節」が映画化され、長門裕之さんとともに主演されました。この作品をきっかけに恋愛に発展した長門裕之さんと、1961年に結婚されることとなりました。結婚後も南田洋子さんの活動は衰えることがなく、1963年の映画「サムライの子」でブルーリボン助演女優賞、同年の映画「おかしな奴」でホワイト・ブロンズ賞女優賞を受賞されました。
1964年に長門裕之さんとともに「人間プロダクション」を設立。俳優陣を育てるとともに、ドラマ制作に乗り出すこととなりました。また、この時期から南田洋子さんはテレビドラマへの出演が多くなり、NHKの「紀ノ川」で「日本放送作家協会女性演技賞」を受賞されました。1965年には女優としての活動だけではなく、長門裕之さんと2人で「ミュージックフェア」の司会を務められることとなりました。その後、開始から16年にも及ぶ期間、出演され続けました。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】南田洋子の水着画像
南田洋子さんの水着画像をネット上で探してみたところ、水着画像があまりあげられていないことがわかりました。古い出来事でありますし、女優が本業でグラビアアイドルであったわけでもないので、仕方がないことですが、惜しい気持ちにさせられます。しかしながら、全く水着画像がなかったわけではないので、一部の水着画像をご紹介します。
もっといろんな画像があれば、南田洋子さんの美しさが伝えられるのですが、このような画像しか見当たりませんでした。南田洋子さんの水着画像をもっとみたいならば、水着姿が登場する作品を手に入れるしかないということですね。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】旦那、長門裕之
話題作「太陽の季節」以降、南田洋子さんとともに人生を歩まれた俳優、長門裕之さん。この方も2011年の5月21日にお亡くなりなっています。南田洋子さんとはテレビ番組「ミュージックフェア」やKBS京都が行っていた交通安全キャンペーン番組「かたつむり大作戦」などで共演されていました。
南田洋子さんほどの絶大な人気はなかったのですが、「かたつむり大作戦」で交通事故で両親を亡くした孤児に対し、奨学金を贈呈するという活動を行われていたことなどが、人々の心に残っているようです。そしてなにより、南田洋子さんの夫としての人生をまっとうされたことで有名な俳優さんです。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】アルツハイマー病と介護
南田洋子さんは、2004年頃から認知症の症状が表れ始め、女優業に支障をきたすようになったそうです。そのことがあったため、2006年に芸能界を引退されました。その後、専門医からアルツハイマー病と診断されました。それを知った女性週刊誌などが南田洋子さんの病状について報道をするようになりました。
2008年に夫である長門裕之さんは「徹子の部屋」にゲストで出演した際に、南田洋子さんが認知症で要介護状態であることを打ち明けられました。同年に「報道発 ドキュメンタリ宣言」の第1回放送で南田洋子さんと長門裕之さんの闘病生活の様子が放送されました。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】賛否両論
南田洋子さんがアルツハイマー病となったことを知らせ、その姿をテレビで公開した長門裕之さんに対して、賛否両論の意見が巻き起こりました。自分の配偶者がアルツハイマー病になった場合、その姿や私生活を公にしますか?できますか?という議論でありました。スポーツ紙などでは「芸能界の一部から非難の声が上がっている」ということを伝えられたようです。
確かに南田洋子さんが、アルツハイマー病後の自分の姿を世間にさらしたくないと思われていたのならば、非難の声があがっても仕方のないことだと思います。しかし、そういったものがないのならば、隠す必要はないのではないでしょうか?認知症だからといって南田洋子さんの魅力が衰えることはなく、むしろ、自身の将来を考えさせてくれる一幕であったといえるでしょう。南田洋子さんと長門裕之さんに感謝こそあれど、その行為を非難するものではないでしょう。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】南田洋子の死因
2009年の4月に南田洋子さんは意識混濁の状態となり、救急車で病院に向かわれ緊急入院されることとなりました。そのときは、死に至ることはありませんでしたが、それを感じさせるには十分な出来事でありました。前々から南田洋子さんの死を感じていた長門裕之さんは、同年の5月に著書「待ってくれ、洋子」を出版されました。
2009年の10月に南田洋子さんは自宅で倒れ、病院への搬送後、クモ膜下出血と診断されました。再入院されたあとは危篤状態が続き、意識は戻らず、そのままお亡くなりになりました。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】南田洋子の誕生日、命日
南田洋子さんの命日は10月21日でした。お亡くなりになった年は芸能人、一般人問わず、多くの人が悲しみくれることになりました。しかし、現在では南田洋子さんを懐かしむ日となっているようです。沢山の想い出を残してくれた南田洋子さんに、想いを馳せることができる大切な機会となっています。また、誕生日の3月1日も同様に南田洋子さんのことを思い出す機会となっているようです。
【南田洋子の命日、誕生日。旦那の介護、死因の病気、若い頃の水着姿】忘れられない人物
女優としての人生をまっとうし、愛すべき夫と生涯をともにした南田洋子さんは、とても素晴らしい人生を生きてこられたといえるでしょう。南田洋子さんと長門裕之さんは最期までお互いを愛したままこの世を旅立たれました。自身の人生の終わりもこのような結末であって欲しいものですね。多くの人に感動を届けた女優は、現在でも人々の心の中で息づいています。