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2019年に死去した芸能人まとめ【随時更新】

ニュースを見ていると様々な情報が報道されていますが、中でも印象に残るのは有名人の訃報ではないでしょうか。まだ2019年になって間もないですが、有名人の訃報は次々と報道されています。2019年に亡くなった有名人を調べました。

2019年に死去した芸能人

兼高かおる

兼高かおる(かねたかかおる)さんは1928年2月29日生まれのジャーナリスト(ツーリストライター)です。兼高かおるさんは日本旅行作家協会名誉会長でもあります。兼高かおるさんは兵庫県神戸市の生まれで、す。
兼高かおるさんは1946年、香蘭女学校を卒業後、1954年にロサンゼルスに市立大学に留学、ジャーナリストとしてジャパンタイムズなどで活躍をしました。兼高かおるさんは特に海外取材が多く、150か国以上に渡航したと言われています。
兼高かおるさんは1959年から1990年まで、TBS系列の番組「兼高かおる世界の旅」でナレーターをしていました。この番組に関しては、ディレクター、プロデューサーとしての仕事もこなしています。
兼高かおるさんは海外への取材が多く、距離としては地球を180周もした計算になると言われています。1986年から2006年までは横浜人形の家の館長も務めていました。2019年1月5日に亡くなっています。90歳でした。

佐々木すみ江

佐々木すみ江(ささきすみえ)さんは1928年6月22日生まれの女優、声優です。佐々木すみ江さんの本名は青木すみ江さんで、旧姓が佐々木です。佐々木すみ江さんは東京都の出身で、アルファエージェンシーに所属していました。
佐々木すみ江さんは既婚者で、夫はジャーナリストで産経新聞編集局長、筑波大学名助教授も務めた事がある青木彰さんです。佐々木すみ江さんは日本女子大学家政学科卒業、劇団民藝養成所1期生でもあります。
佐々木すみ江さんは1951年、劇団民藝の結成から参加しています。佐々木すみ江さんの初舞台は「その妹」で、その後多くの作品に出演をしました。佐々木すみ江さんの身長は160センチですが当時は女性としては長身で、目鼻立ちもくっきりしていました。そのため佐々木すみ江さんは「和製ソフィア・ローレン」と称されていました。
佐々木すみ江さんは1971年に対立により劇団を退団、その後はテレビ女優として「ふぞろいの林檎たち」に出演するなど、数多くの作品に出演しました。脇役がほとんどでしたが、存在感のある演技で名脇役として人気を集めました。
佐々木すみ江さんは2019年まで精力的に作品への出演など活動をしていました。しかし2019年2月17日に自宅で倒れ、東京都内の病院に緊急搬送、その後肺炎のため死去しています。90歳でした。

天地総子

天地総子(あまちふさこ)さんは1941年1月3日生まれの歌手です。天地総子さんは歌手としての活動以外にも、声優、女優としても活動をしていました。天地総子さんは茨城県古河市の出身で、プロダクションフーコに所属、代表を務めていました。
天地総子さんは国立音楽大学付属高等学校を卒業しています。天地総子さんの父親はピアニスト、ピアノ教師の天地真佐雄さんです。そのため天地総子さんは幼い頃から音楽に接する生活をしていたようです。
天地総子さんは歌手として、童謡など子供向けの歌から、大人向けの歌まで幅広く歌い上げる実力派の歌手として人気を得ていました。天地総子さんはコマーシャル向けの歌を歌う事が多く、コマソンの女王とも称されていました。
天地総子さんは2007年には歌の仕事をまとめたアルバム「天地総子大全~フーコのコマソン・パラダイス」をリリースしています。意外な事ですが、これが天地総子さんにとって初のアルバムでした。天地総子さんは既婚者ですが、一般人のため詳細は明らかになっていません。天地総子さんは2019年1月6日、塞栓性脳梗塞のため茨城県の病院で死去しました。

笑福亭松之助

笑福亭松之助(しょうふくていまつのすけ)さんは1925年8月6日生まれの落語家です。笑福亭松之助さんは落語家としての活動以外にも、放送タレント、俳優としても活動をしていました。笑福亭松之助さんの本名は明石 徳三です。
笑福亭松之助さんは兵庫県神戸市の出身で、吉本興業に所属していました。笑福亭松之助さんと言えば、タレントとして活躍をする明石家さんまさんの師匠として有名ですよね。笑福亭松之助さんは落語家としては、関西を拠点に上方落語を演じていました。血液型はAB型で、まっちゃんの愛称でファンからは親しまれていました。
笑福亭松之助さんは幼い事から寄席や映画館、芝居小屋に親しみをもっていたようです。漫才師にあこがれを持っている時期もあり、横山エンタツ・花菱アチャコにあこがれていたようです。しかし小学生の頃、同級生の家にあった落語のレコードを聴いた事がきっかけで落語に夢中になったようです。
笑福亭松之助さんは戦争を経験し様々な仕事を経た後、本格的に落語家を目指すようになりました。笑福亭松之助さんは落語家として人気を得ていましたが、2019年2月22日に亡くなっています。93歳でした。

市原悦子

市原悦子(いしはらえつこ)さんは1936年1月24日生まれの女優、声優です。市原悦子さんの本名は塩見悦子(しおみえつこ)です。市原悦子さんは千葉県千葉市の出身で、ワンダー・プロダクションに所属していました。市原悦子さんは既婚者で、夫は舞台演出家の塩見哲さんです。
引用:https://www.instagram.com/p/BslYMV8jn6d/
市原悦子さんは銀行員の父親を持つ家庭に生まれました。千葉市立末広中学校、千葉県立千葉大石高等学校を卒業、学生時代は演劇部で活躍していました。学生時代、伊藤貞助作の「村一番の大欅」で県大会に出場し、個人演技賞を受賞した経歴も持っています。
引用:https://www.instagram.com/p/Bsm70WeHqMv/
市原悦子さんは高校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修に入学しました。市原悦子さんは父親からのアドバイスもあり銀行への就職を決めていましたが、演劇への思いが断ち切れずに俳優座養成所に6期生として入所しています。
引用:https://www.instagram.com/p/BuMxQ8-BX1u/
市原悦子さんは1957年に俳優座に入団、その後女優として数多くの作品に出演しました。市原悦子さんは1961年に結婚をしていますが子供には恵まれなかったようです。しかひおしどり夫婦として人気を得ていました。市原悦子さんは2017年頃から体調を崩しがちになり、2018年に一度復帰しましたが、その後再び入院、2019年1月12日に心不全のため亡くなりました。82歳でした。

内田正人

内田正人(うちだまさと)さんは1936年10月29日生まれのミュージシャンです。内田正人さんは歌手、音楽家、作詞家、作曲家、詩人として活躍をしていました。内田正人さんはザ・キング・トーンズの創設メンバーの一人でリーダー、リードテナーでもあります。内田正人さんはリーダーの愛称でファンから親しまれていました。
内田正人さんは神奈川県横浜市の出身で、日本大学中学校、日本大学高等学校、日本大学と進み、学生時代からアカペラ、コーラス、合唱、ドゥーワップ、ニューミュージックなど、さまざまな音楽に親しんできました。
内田正人さんは1960年、音楽友達と共にザ・キング・トーンズを結成、そのバンドの中心メンバーとして活躍をしました。内田正人さんは2969年、グッド・ナイト・ベイビーのスマッシュヒットを放った事が、知名度を上げるきっかけとなりました。
内田正人さんは紅白歌合戦やフジロックフェスティバス、日本有線大賞などへの出演経験も持っています。内田正人さんは2004年に脳梗塞で倒れ、約1年間のリハビリ後、2005年のフジロックフェスティバルですっき、2007年まで出場していました。内田正人さんは2019年2月15日に死去しています。82歳でした。

寺田嘉代

寺田嘉代(てらだかよ)さんは1963年1月8日生まれの歌手です。寺田嘉代さんは1988年に双子の姉の寺田千代さんの歌手ユニット・ドリーミングを結成、活動をしていました。寺田嘉代さんは姉と共に国立音楽大学の声楽科を卒業しています。
寺田嘉代さんとその姉は高校も同じだったようで。宮崎女子高校(現在の宮崎学園高校)が出身と言われています。仲の良い姉妹だった事がわかりますよね。高校時代は合唱部に所属していたと言われています。
寺田嘉代さんも姉も元々はオペラ歌手を目指していたようです。しかしその後方向を変え、1988年に歌手デビューを果たしました。寺田嘉代さんと言えば、ドリーミングで歌っていた「アンパンマンのマーチ」が有名ですよね。
寺田嘉代さんはドリーミングを結成後、30年にわたって活動をしました。「勇気りんりん」や「アンパンマンたいそう」など、誰もが聞いた事のある歌を多数歌っています。しかし2019年1月31日に亡くなりました。58歳でした。

有本欽隆

有本欽隆(ありもとよしたか)さんは1940年2月11日生まれの俳優です。有本欽隆さんは俳優としての活動以外にも、声優、ナレーターとしても活動をしていました。有本欽隆さんは鳥取県の出身で、平野企画に所属していました。
有本欽隆さんは中学生の頃から映画スターに憧れ、映画スターになる事を夢見ていました。しかし中学、高校時代は演劇部が学校にあったにも関わらず、演劇部には所属していなかったようです。
有本欽隆さんは東京に出て芝居をやりたいと思っていた頃、友達から劇団の結成に誘われ、ようやく演劇の世界へと足を踏み入れました。有本欽隆さんは他のメンバーと共に劇団薔薇座を創立し、そこへ所属しました。
薔薇座で様々な舞台を経験、俳優として活動をしていました。有本欽隆さんはふきかえでは、海外ドラマ「クリミナル・マインドFBI行動分析課」のジェイソン・ギデオン役で知られています。俳優としては、クリストファー・ウォーケンや、ジェレミー・アイアンズを担当していました。有本欽隆さんは2019年2月1日、食道がんのため死去しています。78歳でした。

佐藤純彌

佐藤純彌(さとうじゅんや)さんは2932年11月6日生まれの映画監督、脚本化です。
ミスター超大作とも言われていました。
佐藤純彌さんは東京都出身、戦争時代は山形県に疎開していました。
意外ですが、魔法使いサリーの脚本も担当しています。

冷泉公裕

冷泉公裕(れいぜいきみひろ)さんは1947年2月9日生まれの俳優です。冷泉公裕さんは俳優として以外にも、声優、歌手、演出家としての顔ももっていました。冷泉公裕さんは東京都の出身で、エフ・エム・ジーに所属していました。
冷泉公裕さんは東京都立第五商業高等学校を卒業しています。その後は文学座演劇研究所を経て、正式に劇団文学座に入団しました。冷泉公裕さんは舞台俳優としてだけではなく、テレビ俳優としても活動していたため、知名度は高いです。
冷泉公裕さんは1996年に文学座を退団。その後は舞台演出家としても活動をしました。また冷泉公裕さんは美声を生かし、声優や音楽活動も積極的に行っていた事でも有名とな方です。
テレビドラマなどに出て活躍をしていた冷泉公裕さんですが、体調を崩しがちなのか活動も少なくなり、体調不良の噂も流れていました。冷泉公裕さんは2019年1月9日、東京都の病院で心不全のため亡くなっています。71歳でした。

まとめ

みなさん、素晴らしい活動をしていた方たちばかりです。ご冥福をお祈りいたします。