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可愛かずみは野球選手が元彼?自殺した?遺書がやばい?川崎憲次郎との関係は?

1997年に自殺した可愛かずみさん。当時遺書は無く、様々な憶測が飛び交いましたが元彼は野球選手をしていた川崎憲次郎さんでした。可愛かずみさんの元彼である元野球選手の川崎憲次郎さんは現在奥さん(妻)や子供さんはいるのでしょうか。遺書は?画像とともにご紹介します。

自殺した可愛かずみの遺書は?画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?

女優の可愛かずみさんは、1997年に自ら命を絶つことでこの世を去りました。32歳でした。マンションの屋上から飛び降りた可愛かずみさんでしたが、当時遺書は見当たらずに、自殺理由についてはさまざまな憶測が飛び交ったといいます。当時人気絶頂だった可愛かずみさんに何があったのでしょうか。

自殺の遺書は?画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?『可愛かずみのデビューは日活ポルノのポスター』

可愛かずみさんのデビューは1982年の18歳のときです。それまでの可愛かずみさんは芸能界には全く興味はなかったものの、高校時代にスカウトをされたことからモデルクラブに所属することになりました。芸能界に入っていなければ、高校を卒業後は、美容師を目指して専門学校に入る予定だったといいます。
可愛かずみさんのデビューは日活の宣伝用ポスターでしたが、この話が来たときは、脱がなくてはいけないということに対して「話が違う」と感じ、断ろうとしたそうです。でも、日活の担当者が現場で叱られているのを目の当たりにした可愛かずみさんは、かわいそうに思って、しょうがなく引き受けることとなりました。

自殺の遺書は?画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?『可愛かずみの映画デビューは日活ポルノ』

昔からとてもやさしい心の持ち主だったことが伺える可愛かずみさん。このポスターがきっかけで渡辺護監督の目に止まり、日活ポルノ映画『セーラー服色情飼育』の主演の話が舞い込むことになります。でも、ポルノ映画に抵抗があった可愛かずみさんは一度「考えさせてほしい」とモデル事務所に話をしました。
でも、モデル事務所は可愛かずみさんの意向を聞き入れずに、「次のステップに繋がる」と説得をしてきたそうです。可愛かずみさんは、事務所の説得を聞き入れて、「きわどいラブシーンは撮らない」という条件の元、日活ポルノ映画の主演を努めました。
可愛かずみさんが、日活ポルノの映画に出演したのは、この映画デビュー作の一つだけでしたが、抜群のスタイルと可愛らしい顔立ちで話題を集め、注目されました。

自殺した可愛かずみの遺書は?画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?『元彼は川崎憲次郎』

可愛かずみさんは自殺する2年ほど前、当時ヤクルトスワローズに所属し、プロ野球選手をしていた川崎憲次郎さんと交際していました。二人の交際は、川崎憲次郎さんの口からもテレビやマスコミを通じて公になっていて、とても順調なものだと思われていました。川崎憲次郎さんは可愛かずみさんよりも6歳年上ということもあり可愛かずみさんもとても頼りにしていたようです。
結婚間近といわれていた可愛かずみさんと川崎憲次郎さんの交際ですが、川崎憲次郎さんが体に故障をきたしてしまい、「けがの治療に専念したい」という理由で破局することになってしまいました。可愛かずみさんは、川崎憲次郎さんと破局したことで相当ショックを受けていたそうです。年齢も30歳ということで、女性としての幸せを考えていた時期だったのかもしれません。

自殺した可愛かずみの遺書は?画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?子供はいる?『いつも安定剤を服用していた』

可愛かずみさんは、自殺する約5年前から精神安定剤を常用していたということです。芸能界では、順調に仕事は増えて人気も上昇していきましたが、デビュー作がポルノ映画ということで、世間から「ポルノ女優」と呼ばれていたことが可愛かずみさんの負担になっていたそうです。
可愛かずみさんは、「昔の仕事は自分で考えてしたことで後悔はしていない。その仕事があったから今の自分がいるのも分かっている。偏見はないけど、昔の仕事のことで人として軽く見られるのは辛い」と常々語っていたようです。
事務所から「次のステップだから」と説得されて、可愛かずみさんもなんとか納得した上でのデビュー作でしたが、そのために長年消えないレッテルが可愛かずみさんを苦しませていたのかもしれません。

自殺の遺書は?画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?子供はいる?『自傷行為もあった可愛かずみ』

可愛かずみさんは精神安定剤を川崎憲次郎さんと交際する前から服用していたようですが、川崎憲次郎さん交際するようになってからは精神的にもとても落ち着いていたといいます。でも、破局したことでまた精神のバランスを崩し、リストカットの自殺未遂を繰り返すようになったそうです。

自殺の遺書は?画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?子供はいる?『可愛かずみには婚約者がいた!』

可愛かずみさんが自殺する場所として選んだのは、当時はもう別れていた元彼の川崎憲次郎のマンションでした。でも、可愛かずみさんは自殺した翌日には、当時交際していた自動車販売会社を経営する実業家の方と正式に婚約する予定なっていて、可愛かずみさんの誕生日には入籍する予定になっていたようです。結局、可愛かずみさんの誕生日である7月9日は仏滅だったために、近い日にちの7月7日に入籍することが決まっていました。
婚約者がいる身でありながら、最期を迎える場所に川崎憲次郎さんのマンションを選んだのは、川崎憲次郎さんとの交際がとても幸せなものでその時期に戻りたいと思ったからかもしれませんね。可愛かずみさんの告別式では、棺に挙式で着る予定だったウェディングドレスがかけられたといいます。

自殺した可愛かずみ!画像は?元彼川崎憲次郎(元野球選手)の現在は?子供はいる?『遺書は?』

可愛かずみさんが自殺したとき、遺書はなかったと報道されましたが、後に父親宛のメモが残されていたことが判明しています。その父親へのメモへは、「体調と気分が良いので、パパにメモを残します」という文章からはじまり、当時親友であった女優の川上麻衣子さんへの感謝の気持ちが綴られていて、最後に「パパ 麻衣ちゃんをよろしくね」と書かれていたといいます。
このことは、川上麻衣子さんの口からもテレビ番組で明かされています。川上麻衣子さんは可愛かずみさんと同じマンションに住んでいましたが、可愛かずみさんが落ち込んでいく姿に耐えられなくなり引っ越してしまったと語っています。可愛かずみさんが最期に電話したのも川上麻衣子さんで、留守電に「麻衣ちゃん元気?忙しいの?」とメッセージが残されていたそうです。
この電話に出られなかった川上麻衣子さんは、この電話に出ていれば可愛かずみさんの自殺を止めることができたかもしれないと強く悔やんだそうです。

自殺した可愛かずみの遺書は?画像は?『元彼川崎憲次郎の現在の子供と妻は?』

川崎憲次郎さんの奥さん(妻)は、女優の堀恵子さんです。奥さん(妻)さんは、堀ちえみさんの従姉妹でもあるようです。川崎憲次郎さんは、可愛かずみさんと別れた後に、怪我から復活して現在の奥さん(妻)と出会いました。可愛かずみさんの死亡は川崎憲次郎さんにとっても衝撃の出来事だったことでしょう。それを、現在の奥さん(妻)である堀恵子さんと乗り越えてきたのでしょう。
そして、奥さん(妻)との間には子供さんもいらっしゃいます。娘さんのようですね。現在、川崎憲次郎さんは、奥さん(妻)さんと子供さんと暮らしているようです。

32歳という若さでこの世を去った可愛かずみ

可愛かずみさんの自殺は世間に大きな衝撃を与えました。32歳という若さで自ら命を絶った可愛かずみさん。死亡したときは安らかな顔をされていたというこですが、長年、想像もつかないくらいの苦しみを味わっていたのでしょう。可愛かずみさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。