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入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?華族?楊貴妃?

入江たか子さんといえば華族出身の「銀幕の女王」とも言われた女優さんです。入江たか子さんの写真はあるのでしょうか。身長は何センチだったのでしょうか。晩年の出演映画は何があったのでしょうか。今回は、入江たか子さんの写真や身長、晩年の出演映画を調べてみました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】プロフイール

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入江たか子(いりえたかこ)さんは、1911年2月7日生まれの女優さんです。本名は、東坊城英子(ひがしぼうじょう・ひでこ)さんといいます。1995年1月12日に亡くなられました。
兄は、俳優・東坊城恭長さん、娘は、女優・入江若葉さんです。

兄・東坊城 恭長さん

引用:https://pbs.twimg.com/media/Dfjb23HWsAE35HP.jpg
兄の東坊城恭長(ひがしぼうじょう・やすなが)さんは、1904年9月9日生まれの俳優さんです。兄の東坊城恭長さんは、華族である正三位勲三等子爵、貴族院議員東坊城徳長さんの三男です。兄・東坊城恭長さんは、後に監督・脚本家として活躍します。兄・東坊城恭長さんは、1944年9月22日亡くなりました。

娘・入江若葉さん

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娘の入江若葉(いりえわかば)さんは、1943年5月12日生まれの女優さんです。娘の本名は、小林若葉(こばやしわかば)さん、旧姓は、田村といいます。娘・入江若葉さんは、アン・ヌフに所属しています。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】出身は華族

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入江たか子さんは、現在の新宿区(東京市四谷区)に生まれます。華族である東坊城家の出身です。父の東坊城徳長さんは子爵で貴族院議員でした。入江たか子さんは華族の東坊城家の三女として生まれます。
1922年、華族である東坊城家の投手である父が亡くなり生活に困窮しましたが、文化学院中学部へ入学しました。油絵を習っていましたが、関東大震災で家が半壊し、手放さなければならなくなりました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】結婚

入江たか子さんは、日活の俳優・田村道美さんと結婚します。田村道美さんが自分の人気を考えて結婚を公表せずに、籍も入れない別居生活という結婚生活でした。
入江たか子さんと田村道美さんは、結婚10年後に娘が生まれ、籍をいれました。このときの娘が、女優の・入江若葉さんです。
田村道美さんは、後に、入江たか子さんのマネージャー兼プロデューサーとなりました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】映画デビュー

入江たか子さんは、1927年に文化学院を卒業した後、日活京都撮影所の俳優、兄・東坊城恭長さんを頼って京都に移り、兄の友人で「エラン・ヴィタール小劇場」の主宰者・野淵昶さんに請われて女優として新劇の舞台に立ちます。
1927年、入江たか子さんは、新劇の舞台を観ていた内田吐夢さんの目に留まり、内田吐夢さんの勧めに従い日活に入社します。
1927年、内田吐夢監督の『けちんぼ長者』で映画デビューします。華族出身の入江たか子さんの、映画界デビューは、世間を賑わせました。
引用:https://pbs.twimg.com/media/C06itqcUAAAE3xf.jpg
入江たか子さんは、『激流』、『生ける人形』、『東京行進曲』などに主演し、日活現代劇人気ナンバー1女優になりました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】時代劇へ進出

1931年、入江たか子さんは、稲垣浩監督の『元禄十三年』片岡千恵蔵さんの相手役で時代劇に出演しました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】入江ぷろ

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1932年に、「新興キネマ」と提携して映画製作会社入江ぷろだくしょんを創立しました。女優の独立プロも現代劇の独立プロも「入江ぷろだくしょん」が初めてでした。
引用:https://pbs.twimg.com/media/C4Ea7BKVMAEYuzG.jpg
「入江ぷろ」第1作は、溝口健二監督、入江たか子さんと中野英治さんの共演による『満蒙建国の黎明』でした。
1937年に吉屋信子さんの人気小説を映画化した『良人の貞操』を最後に、「入江ぷろだくしょん」は解散しました。その後は、東宝と契約しました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】『滝の白糸』

1933年に、泉鏡花さんの名作『滝の白糸』を溝口健二監督で撮影して、大好評になります。溝口健二さんは、入江ぷろだくしょん作品の監督ということが屈辱だったために、実体のない名前だけの「溝口プロダクション」という名前を強引に、入江ぷろだくしょんの横に列記させてもらい体面を保ちました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】『月よりの使者』

入江たか子さんは、久米正雄さん原作の『月よりの使者』で、サナトリウム(療養所)に勤務する美しいの看護師を演じました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】『白鷺』

入江たか子さんは、1941年島津保次郎監督のに出演し、美妓の役を演じました。その時、セリフで言った「流れて動いて生きる、それが女というものでしょうか」という言葉は話題になりました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】病気

戦時下で兄3人が亡くなり、仕事に対する情熱も冷めかけてしまい、戦後は病気がちとなります。それに伴い、主役の仕事も減っていきます。

バセドウ病

1950年には、バセドウ病の宣告を受けます。無理をして仕事をしながら入院費を工面し、1951年末に、大手術を受けて命を取り留めます。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】「化け猫女優」

引用:https://pbs.twimg.com/media/C06iueWUAAETPL2.jpg
1953年、大映京都で荒川良平監督の『怪談佐賀屋敷』に主演します。入江たか子さんの迫真の演技が受けて映画は大当たりします。その後、入江たか子さんには、次々と化け猫役が舞い込んできます。しかし「化け猫女優」のレッテルを貼られてしまいます。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】引退

1959年、入江たか子さんは、芸能界に見切りをつけて、銀座に「バー・いりえ」を開き、実業界に転身します。その後は、娘の女優・入江若葉さんの夫の店である有楽町のとんかつ店を手伝いながら余生を過ごしました。

「椿三十郎」

引用:https://pbs.twimg.com/media/Di3pwgqVsAELZLM.jpg
1962年、黒澤明監督に請われて「椿三十郎」に出演しました。

『病院坂の首縊りの家』

市川崑監督の『病院坂の首縊りの家』に出演しました。

『廃市』

大林宣彦監督の『廃市』に出演しました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】楊貴妃

入江たか子さんは、1955年に、溝口健二監督の『楊貴妃』に出演しました。溝口健二さんは、『滝の白糸』で入江たか子さんに反感を持っていたために、『楊貴妃』を撮影中には、入江たか子さんの演技に執拗な駄目出しをしました。そのうえ「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」と『楊貴妃』のスタッフ一同の面前で口汚く罵倒するという嫌がらせをしました。
引用:https://twitter.com/oldpicture1900/status/897669809508364289
『楊貴妃』撮影中の溝口健二監督からの執拗ないじめに耐えきれなかった入江たか子さんは降板します。『楊貴妃』を降板した後は、女優として満足な役が与えられなくなってしまいました。
新藤兼人監督がおさめた『ある映画監督の生涯』というドキュメンタリーフィルムには、『楊貴妃』撮影中の出来事もおさめられています。

自分の得意分野(祇園、遊女)を扱った作品では、小道具やセット、演出にいたるまで比較的短時間でスパッと決める溝口であったが、不得意分野(楊貴妃)における溝口のあたふたぶりは、まるで子供のようだったと語る増村保造へのインタビューは印象に残る。『楊貴妃』の撮影中、途中降板させられた入江たか子は新藤の質問にまともに答えられないほどショックを受けていた様子がフィルムから伝わってくる。増村によれば、演出がなかなか決まらずイライラした溝口のとばっちり以外の何物でもないらしい。

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF-DVD-%E5%85%A5%E6%B1%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E5%AD%90/dp/B00005MIFW

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】時をかける少女

引用:https://pbs.twimg.com/media/CW_YGuuUAAATne8.jpg
『時をかける少女』は、1983年7月16日に公開された大林宣彦監督の作品です。『時をかける少女』は、原田知世さん初主演の作品としても注目を集めました。筒井康隆さんのSF小説『時をかける少女』の最初の映画化作品でもあります。
『時をかける少女』は、大林宣彦監督の「尾道三部作」の2作目として、ロケの多くを広島県尾道市で行っています。『時をかける少女』で、主演の原田知世さんは、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
『時をかける少女』は、原田知世三演じる芳山和子が、実験室でラベンダーのような匂いのする薬品を嗅いでからタイムリープとテレポーテーションによる不思議な体験をするようになるというストーリーです。
『時をかける少女』の主人公・芳山和子の母親・芳山紀子役で入江たか子さんの娘・入江若葉さんが出演しています。
『時をかける少女』の主人公・芳山和子のクラスメイト役の深町一夫の祖父・深町正治、祖母・深町たつ役で、俳優の上原謙さんと入江たか子さんが特別出演しました。そして、仲の良い夫婦役を演じました。

【入江たか子の写真まとめ!身長は?晩年の出演映画?】ご冥福を祈ります

引用:https://twitter.com/1632bdkrst/status/890081511214592001
入江たか子さんは、1995年1月12日、肺炎のため死亡しました。
華族出身の気品ある美貌と近代的なプロポーションで大スターとなり、「銀幕の女王」「日本嬢(ミス・ニッポン)」などと称えられた入江たか子さんと共演することは、第二次大戦前・戦中の男性俳優にとって、役者冥利に尽きる最高の栄誉だったということです。入江たか子さんのご冥福をお祈りいたします。