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Categoryお笑い芸人

上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?

多くの人から才能を評価されていたのに、理由も不明なままに突如引退を表明した上岡龍太郎。引退の理由は?現在は何をしている?現役の頃の沢山の伝説的なエピソードから、引退後の上岡龍太郎の現在何をやっているのかと言う所まで含めて、見ていきましょう!

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎のプロフィールは?

上岡龍太郎は1942年に生まれ、引退するまでは漫才師、タレント、司会などをして芸能界に関わっていました。
本名は小林龍太郎であり、漫才師時代は横山パンチ、伊井パンチと名乗っていた時期もあり、講談師旭堂南蛇として高座落語に出演した事もあります。最終的に自身の芸歴40にあたる、西暦2000年というキリの良い年に芸能界を引退する事になりました。
画像を見るだけで、品格と知性があるのが伝わってくる、端正な顔をしていますよね。それもそのはず、実家はとても裕福な家庭だったようです。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎と名乗るようになったいきさつは?

上岡龍太郎は芸人になる前に司会者やミュージシャンとして活動していたからか、漫才師らしからぬ「インテリ」「知的」というイメージをまとっていて、当時の他の漫才師の一般的な芸風であったとぼけたような笑いとは違う、「知性で人を笑わせる才能がある」と他にはいない珍しい才能として評されていました。
しかし自分では自分の事を、「知識のドーナツ化現象」した人だと評していたようです。それっぽい知識は沢山あるのに、中央の大事な所についてはからっぽで何も無い、という事ですね。そもそもそんな言い回しが出てくる所が、他の人には無いセンスを感じますが…。
横山ノックの誘いによって「横山パンチ」という名前で横山フックと「漫画トリオ」を結成していた事も。横山ノックは10歳年上でしたが、先輩や師匠といった立場ではなく、普通に相方として接していたようです。下は当時の画像ですね。
漫画トリオは横山ノックが1968年に参議院議員選挙に出馬するまで活動していました。それ以降は香川登枝緒につけられて「伊井パンチ」と名乗っていましたが、最終的に上岡龍太郎の名前に落ち着いたようです。ちなみに漫画トリオ解散時はほとんど仕事が無かったようです。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎時代はどうだった?

活動初期は東京の人の事を「田舎者、レベルが低い」とはなから馬鹿にして一蹴し、「絶対に東京には行かない!」という固い決意のもと、近畿圏と中京圏で自ら営業をしてレギュラー番組を獲得していました。この頃から相当に意識高いと言うか、ストイックな考え方をしていたようですね。
東京進出のきっかけとなったのは「森田一義アワー 笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのコーナーに、1984年に出演した事。漫画トリオの横山パンチは東京のテレビ局のディレクターやプロデューサーといったお偉いさんから高い人気を誇っていて、この事をきっかけに東京での仕事をお願いされるようになりました。余談ですがやはりこの時も上岡龍太郎は東京の悪口ばっかりを言っていて、お友達紹介では嫌がらせかのように奥さんへ電話をかけたそうです。
1987年に放送開始された読売テレビの「鶴瓶上岡パペポTV」が大人気を博し、日本テレビでも放送されるようになり、その結果東京でも抜群の認知度を誇る事に。
すでに全国的人気を誇っている笑福亭鶴瓶と同格にやりあう大物の貫禄を見せつけて、一気に東京でも第一線で活躍するようになったわけですね。「上岡龍太郎のもうダマされないぞ!」で東京進出の成功は決定的になり、「いままでと桁がみっつ違う」というくらい年収が上がったようです。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎の引退理由は?

1996年年末に放送された「鶴瓶上岡パペポTV」で上岡龍太郎が芸能界引退するという話になり、1997年新年早々の同番組のスペシャルで正式に表明しました。「2000年は芸能界デビュー40周年であり、きりのいい時期に芸能界は引退、別の人生を歩みたい」と言い、実際に宣言通り2000年4月に引退しました。
引退する決定的なきっかけのひとつに、テレビでとても滑舌が悪い芸人が出ていて、妻に「こんな風になってまでテレビに出るのなら、僕は引退する」と言った所、妻に「あなたもこんな風よ」と言われたから、なんて事があったようですね。たしかにこれを言われたら相当ショックですよね。笑いながせない。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎の引退後から現在は?

引退後は芸能人の友人の冠婚葬祭にでたり、ゴルフなどに誘われれば出るものの、ほとんど露出は無かったようです。2007年「横山ノックを天国へ送る会」ではコンビ時代の「横山パンチ」の名前で弔いの挨拶を述べたようです。
芸能界引退後は、貯金も随分あるので特に主立った活動はせず、趣味のゴルフやマラソンをして隠居生活のような生活を過ごしているようですね。ちなみに最初は「ゴルフはやらない」って言っていたのにいつの間にかゴルフを始め、「マラソンなんてやる訳が無い」とまでいったのに、いつのまにかマラソンが趣味になっているという、東京嫌いと同じでわりといままでの発言が覆る事がおおいようです。(笑)
引退した後はシニアプロゴルファーになるまでゴルフをやる、と言っていたようですが、さすがに引退後ずっとやっているとゴルフも飽きてきて、「引退しなければ良かった」などと愚痴をこぼしたりもしたようです。また師匠と弟子に近い間柄であり、二人とも引退している事から島田紳介とよく遊んでいるようですね。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎の伝説的なエピソードとは?

上岡龍太郎は東京に進出して人気が出るまでは、さんざん東京の悪口を言っていましたが、成功した後は「単にうらやましくて妬んでいただけだったんだろうね」と過去の自分を振り返ってばつが悪そうに言ったそうです。
島田紳介から心の師匠として慕われていて、紳介が「今までに無い漫才をやりたい」と言った事に対し、上岡龍太郎は「だったら俺が今までの漫才のパターンを全部教えるから、それ以外の事をやれ」と教えたそうです。それで紳介はヤンキーっぽい風貌のいままでにない漫才を確立したそうです。
ダウンタウンについては、ずっと「ファンなんです。漫才が大好きです」と手放しに絶賛していましたね。立川談志からは、「芸人に憧れ続け、芸人に成りきれなかった芸人」といったような評され方をされたようですが、そういったあこがれもあったのかもしれません。
「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」という決まり文句が有名ですが、なぜわざわざ芸を一流と自分で言うのか、これも芸人へのあこがれがあるからかもしれませんね。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎のレアな画像、動画は?

上岡龍太郎と言うとやはり圧倒的に巧い話術があるので、どうしても動画を紹介したくなってしまうのですが、「画像」で検索してくる人が多い事からも分かる通り、レアな画像も求められているようです。
といっても男性なので、あまり「お宝画像」のような物はありません(笑)なので若い頃の画像をいくつか張ってみましょう。
基本的に端正な顔立ちなので、若い頃は特に雰囲気がありますね。
動画でも若い頃の物があるので紹介しておきます!

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎の妻や子供、自宅は?

奥さんは「漫画トリオ」の頃からのファンだったそうですが、アタックをしたのは上岡龍太郎からであり、「君はいつか僕と結婚する」と言い続けて実際に結婚までいたったようです。ちなみに「画像を見たい!」という声も多いようですが、奥さんは一般人なのでそれらしき画像はありません。
子供は映画監督の小林聖太郎さんであり、上の画像がその方です。「毎日かあさん」などが代表作ですね。上岡龍太郎に負けず劣らず、知性を感じさせます。また自宅は大阪にあり、億どころじゃないと言われている収入から、豪邸に住んでいると思われます。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]上岡龍太郎に関する死亡の噂とは?

「上岡龍太郎」と検索を書けると、検索ワードに「死亡」とあります。「死亡」とはいかにも不吉ですね。しかしこのように死亡の噂が流れる事がときどきありますが、もちろん上岡龍太郎は死亡したりはしていません。おそらく死亡という言葉が検索ワードにでてきてしまうのは、弟子のテントさんの事のようです。
不運にも交通事故にあわれてしまい、死亡が確認されたそうです。死亡前のテントさんの才能は天才として扱われていて、コンテストに出た際、上岡龍太郎に「出てくるのが10年速かった」と言わしめるほどの才能だったようであり、その才能が発揮されずに死去されたのは本当に残念で仕方が無いです。

[上岡龍太郎の現在!引退した理由は?妻は?子供は?伝説?自宅?]まとめ

多くの人に才能を認められながらも、なぜか自身はコンプレックスが多いかのようなふるまいをしてるのが不思議な人ですね。そんな所も自分が言うように愛嬌があって、人気を博した理由かもしれません。