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高峰三枝子の息子や夫は?画像はある?人気の歌や映画は?死因はなに?
昭和の『歌う映画女優』、高峰三枝子。「純情二重奏」など、ヒット作を世に送り出し、私生活では夫の鈴木健之との間に一人息子をもうけるも、1990年に脳梗塞で帰らぬ人となった。ここでは高峰三枝子の画像や夫、息子との生活、当時の時代背景などを画像を交えて紹介したい。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:プロフィール
本名:鈴木三枝子(すずきみえこ)
生年月日:1918年12月2日
没年月日:1990年5月27日(71歳没)
出身地:東京都港区
父は筑前琵琶奏者の高峰築風、孫は元女優の高峰陽
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:18歳で女優デビュー
高峰は1936年に東洋英和女学院を卒業と同時に父・高峰築風を亡くし、一家を養うためわずか18歳で映画界入りを決意する。帝国劇場専務の紹介で松竹に入社、すぐに女優デビューを果たす。
翌年には松竹三羽烏と言われた上原謙・佐野周二・佐分利信と『婚約三羽烏』が公開されると、その美貌とキャラクターがウけ、たちまち人気女優となった。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:映画『浅草の灯』からレコードデビューへ
1937年、浅草オペラの踊り子を演じた『浅草の灯』で披露した高峰の歌声を聞いたコロムビアレコードがすぐさま歌手として高峰をスカウトする。翌年には映画『蛍の光』の主題歌でレコードデビューを果たしている。
映画『宵待草』の主題歌「宵待草」がヒットし、コロムビアは松竹と合同で音楽映画『純情二重奏』を制作する。映画と共に霧島昇とのデュエットが大ヒットし、『歌う映画女優』という代名詞を手にした。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:歌手としても大成功
女優としての活動もさることながら、1940年代に入ると歌手としての活躍も大きく躍進する。これまでは映画とのタイアップで楽曲をヒットさせてきたが、『湖畔の宿』、『南の花嫁さん』など、映画と無関係な楽曲もヒットするようになる。
特に『湖畔の宿』は曲調や歌詞が戦地で戦う前線兵士や、爆弾を積んで敵に突っ込む特攻隊の間で人気が高く、当時の首相、東條英機が高峰を東京・芝の紅葉館に招いて歌わせたこともあった。
当時来日していたビルマの高官バー・モウ長官が高峰の大ファンであり、モウ長官の強い要望により東條自ら高峰に要望し各国首脳の前で「湖畔の宿」、「南の花嫁さん」、「純情二重奏」の3曲を披露したというエピソードもある。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:1946年に結婚
高峰は1946年10月に8歳年上の実業家、鈴木健之と結婚し、息子の清貴を授かっている。しかし、結論から言うと健之氏とは1954年に離婚、以降は女手一つで清貴氏を育て上げている。
息子の清貴氏は交通人身事故や覚醒剤で逮捕されるなど、トラブルメーカーとして知られているが、原因は高峰の甘やかしと合わせ、元夫の健之氏にもあると言われている。
元夫の健之氏は戦前、銀座を縄張りにする破落戸だったらしく、慶応大学卒業後に貿易会社を営んでいた清貴氏に金銭をタカっていた。小切手を渡していた清貴氏が決済できずに覚醒剤売買に手を出したと言われている。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:映画『犬神家の一族』で受賞
1976年、高峰は『犬神家の一族』(市川崑監督)での演技が高く評価され、当年度のブルーリボン賞助演女優賞を受賞している。
石坂浩二演じる金田一耕助シリーズの代表作で、高峰はあの有名な仮面を被った「スケキヨ」の母親で犬神家長女の犬神松子をものすごい迫力で演じている。
製薬財閥・犬神家の莫大な遺産相続に関わる様々な難事件を探偵・金田一耕助が謎を解き明かすサスペンスミステリーはいまの時代に観ても充分迫力がある。市川崑監督の映像美や構成も実に素晴らしい。あの水から足だけが飛び出しているシーンが頭に浮かんできてしまう。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:大の野球ファン
高峰は生前、阪急ブレーブス(現オリックス・バッファローズ)の大ファンで当時のエース・梶本隆夫がお気に入りだったそうだ。高峰は後楽園球場に年間ボックスを確保し、ブレーブスの試合には必ず訪れていたそうだ。
『犬神家』の監督・市川崑との対談の際、巨人ファンの市川氏に対し、「私は松竹で、市川さん東宝なのにね(東宝は阪急資本で設立された企業。松竹も、当時プロ野球チームの松竹ロビンスを所有)」と、お互いが所属する会社と推している球団があべこべになっていることを笑い合ったことがあったそうだ。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:巨乳で身長は低い!?
1918年生まれの高峰は家系的に巨乳家系だったそうで、母親も妹も巨乳だったそうである。「フルムーン」のCMで豊満な胸の谷間を披露した際に、自民党参議院議員の山東明子が『シリコンを入れた年寄りの胸など観たくない』と発言したところ、高峰が『シリコンなど入れていない。母も妹も大きい。冗談じゃない。』と反論した。
後に出版した自伝でもこのシリコン疑惑についてはキッパリと否定している。CMで共演した上原謙も「シリコンなんて...」と否定的な意見を述べている。
高峰をはじめ、当時の日本の女優達は皆純日本的な体型で、身長も大体が160㎝以下だったのではないか?今でこそ170㎝、180㎝と欧米人のような体型の女性も珍しくはないが、現代の日本人女性の体型とは全く別物のような印象を受けてしまう。高峰の身長を示すデータがないのでわからないが、巨乳には違いなくとも身長は平均だったのではないのか?
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:死因は脳梗塞
1985年(昭和60年)に紫綬褒章を受章した高峰であったが、1990年4月に田園調布の自宅にて脳梗塞で倒れ、意識混濁、左半身麻痺で入院を余儀なくされる。
その後一時は意識が回復し、命の危険を脱したという報道もあったのだが、入院から約1か月後の5月25日に容体が急変、5月27日に帰らぬ人となった。意識がなくなる瞬間まで『早く仕事に復帰したい』と述べていたという。
高峰の死は当時大々的に取り上げられ、各局で多数の追悼番組が放送された。高峰の没後には勲四等宝冠章が追贈されている。
現在は孫の陽も取締役に名を連ねる(株)高峰プロモーションが版権及び肖像権等の管理、許諾をしている。
《息子、夫、身長や死因は!?写真、画像もまとめて》高峰三枝子:まとめ
その仕事ぶりや生き様など、まさに『昭和の名女優』というにふさわしい活躍を見せた高峰三枝子。演技だけではなく、その見事な歌唱力からも『歌う映画女優』という代名詞にピッタリな存在であった。
戦前、戦後のダメージを残した日本に活気を蘇らせた女優の一人であることは間違いない。彼女の歌を歌いながら散っていった特攻兵達も多くいたということから、日本を象徴する歌声であったとも言える。
今回の高峰の特集で判った事実を以下にまとめたので、参照していただきたい。
・1946年に元夫の鈴木健之と結婚、一人息子の鈴木清貴を授かったが、程なく離婚している
・息子の清貴氏は慶応大学卒、覚醒剤取締法違反で逮捕されたことがあった
・高峰は東洋英和女学院卒業後に女優デビュー、映画内で披露した歌声が話題になり、歌手としてもデビューしている
・代表作に『婚約三羽烏』『浅草の灯』『純情二重奏』『犬神家の人々』などがある
・巨乳の家系で家族にも巨乳が多い
・大の野球ファン
・死因は脳梗塞
といったところだろうか。
『歌う映画女優』の草分け的な存在として親しまれた高峰三枝子。今後高峰を超えるような日本女優が現れることを願い、改めて『昭和の名女優・高峰三枝子』のご冥福を祈りたい。