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高松英郎の娘は誰?死因は事故?身長は?次女が有名?出演ドラマ・映画まとめ!

数々の映画やテレビドラマに出演する名俳優として人気を集めていた高松英郎です。2007年に帰らぬ人となってしまった高松英郎の死因は事故?高松英郎には娘がいる?映画やドラマでは存在感のある演技を見せていた高松英郎の死因、事故、娘についてまとめてみました!

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 俳優:高松英郎

高松英郎プロフィール

1929年10月24日生まれ、高知県長岡郡大篠村生まれ、本名は"武市哲郎"、芸名"高松英郎"を使って俳優として活動を行っていました。

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 デビューに至るまで

1953年にデビュー

両親が小学校教員だったという高松英郎は、生まれた高知県から幼少時に東京都杉並区に引っ越し、1947年に早稲田中学校に入学しました。
早稲田中学校を卒業した高松英郎は鎌倉アカデミア演劇科に入学し、在学中は舞踏家檜健次のもとで創作舞踊を学んでいたそうです。
その後通っていた鎌倉アカデミアの講師の推薦を受けた高松英郎は1951年に大映東京撮影所に"第5期ニューフェイス"として入社しています。
"第5期ニューフェイス"に入社した高松英郎は、1953年に"怒れ三平"に出演、恋人役を演じてスクリーンデビューを果たしました。

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の出演作品①

テレビドラマ"柔道一直線"

高松英郎のテレビドラマ代表作ともいえるのが"柔道一直線"です。
1969年に放送されていたテレビドラマ"柔道一直線"で高松英郎は車周作役を演じ、人気を集めました。

『柔道一直線』(じゅうどういっちょくせん)は、原作:梶原一騎、作画:永島慎二・斎藤ゆずるによる日本のスポーツ漫画、および、それを原作としたテレビドラマ。『週刊少年キング』(少年画報社)誌上に1967年から1971年まで連載された。全13巻。 斉藤仁ら当時少年だった柔道家の多くがこの作品のブームで柔道を始めた(後述)。柔道の知名度アップなどで当時の柔道界に果たした貢献度は大きいが、その反面「地獄車」など荒唐無稽な技が多く出てくるので増田俊也は『七帝柔道記』の中で「この作品が世間に歪んだ柔道観を持たせてしまった」と指摘している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%94%E9%81%93%E4%B8%80%E7%9B%B4%E7%B7%9A

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の出演作品②

テレビドラマ"雲のじゅうたん"

1976年に放送されていたテレビドラマ"雲のじゅうたん"に出演した高松英郎は、この作品でテレビガイド最優秀演技者賞を受賞しています。

浅茅陽子扮するヒロイン真琴が、大正・昭和時代に飛行家(操縦士)という夢に向かって奮闘する姿を伸びやかに描いている。 全話現存する最古の連続テレビ小説作品であり、また民放でも再放送された初のNHKドラマでもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E3%81%AE%E3%81%98%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%93

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の出演作品③

テレビドラマ"必殺仕置人"

1973年に放送されていたテレビドラマ"必殺仕置人"では 天神の小六役を演じていた高松英郎です。

必殺シリーズの第2作で、中村主水シリーズの第1作である(ただし主人公は念仏の鉄)。 本作は前作『必殺仕掛人』(および原作の『仕掛人・藤枝梅安』)の設定を踏まえつつも原作を持たないオリジナルで、シナリオ展開や登場人物の配置など、以後の必殺シリーズの原型となっている。同シリーズの顔となる中村主水の初登場作品でもあるが、本作品における中心人物はあくまでも念仏の鉄であり、主水が登場しない回もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%85%E6%AE%BA%E4%BB%95%E7%BD%AE%E4%BA%BA

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の出演作品④

映画"巨人と玩具"

高松英郎は1958年に公開された映画"巨人と玩具"に出演し、猛烈サラリーマンである合田竜次役を演じて注目を浴びています。

昭和32年(1957年)10月号に文藝春秋新社の文芸誌「文學界」に掲載。 昭和33年(1958年)3月に「裸の王様」(文藝春秋新社)に所蔵、単行本となる。同年6月22日に大映にて映画化され、1958年のキネマ旬報ベストテンの日本映画部門では第10位となった。 1960年には「パニック・裸の王様」で新潮社にて文庫本となり、現在も続いている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E3%81%A8%E7%8E%A9%E5%85%B7

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の出演作品⑤

映画"黄泉がえり"

2003年に公開された映画"黄泉がえり"は、草彅剛と竹内結子が出演していることでも話題となった映画でした。
映画"黄泉がえり"で高松英郎は津田春雄役を演じています。

タイトルは、死んだ人が黄泉(よみ)から帰って来るという意味[1]。熊本市およびその周辺で突如発生する、死んだはずの人が蘇ってくるという超常現象をベースに、人々の絡み合いを描く物語である。小説は『熊本日日新聞』土曜夕刊に、1999年4月10日から2000年4月1日まで連載された。作者が熊本出身・熊本在住だということもあり、作品中には熊本市内の実在の地名が数多く登場する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B3%89%E3%81%8C%E3%81%88%E3%82%8A

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の結婚相手は?

高松英郎の妻

高松英郎と結婚した女性の顔写真や詳しいプロフィールなどは公表されていないようですが、高松英郎の妻は元モデルだったということがわかっています。

テレビ番組内で結婚式をした高松英郎

高松英郎は1962年にフジテレビで放送されていた"テレビ結婚式"という番組内で挙式をおこなったことでも有名です。
"テレビ結婚式"というのは、売名行為ではない完全なる慈善結婚式で、局もちの挙式で浮いた結婚資金やスポンサーからの贈答品などはすべて恵まれない子どものための施設に寄付したとされています。

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の娘

2人の娘がいる高松英郎

高松英郎には2人の娘がいるそうで、高松英郎の妻が元モデルだったということもあるからなのか、高松英郎の次女も1980年代後半に母と同様にモデル活動をしていたそうです!

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 高松英郎の死因は?

2007年に死去した高松英郎                

数々の映画やテレビドラマに出演し名俳優として人気を集めていた高松英郎ですが、2007年に帰らぬ人となっています。

高松さんは、亡くなる前日の25日まで茨城・鹿嶋でテレビ東京ドラマ「猪熊夫婦の駐在日誌4」(放送日未定)の収録を行っていた。一段落ついたところで「気分が悪いので1度家に帰りたい」とスタッフに語り、鹿嶋から高速バスで帰京した。深夜に帰宅し就寝したが、翌26日午前6時半ごろ、寝室で亡くなっているのを家族が発見した。

http://www.asahi.com/culture/tv_radio/NIK200702280010.html

高松英郎の死因は?

高松英郎のが自宅の寝室で横になったまま動かなくなっている高松英郎の異変に気付き通報、救急車で駆けつけた救急隊員がその場で高松英郎の心臓停止を確認したとされています。
亡くなる前日まで撮影をしていたという高松英郎ですが、心筋梗塞が原因で倒れてしまったようです。
名俳優として人気を集めていた高松英郎の死には多くのファン達が悲しみの声をあげました。

【高松英郎の妻・娘は誰?次女?柔道?死因は事故?身長・出演映画やドラマは?】 仕事熱心だった高松英郎

名俳優:高松英郎

いかがでしたか?俳優としてデビューをしてからさまざまなテレビドラマや映画に出演し存在感のある演技で人気を集めていた高松英郎です。
高松英郎は2007年に帰らぬ人となってしまいましたが、高松英郎の名演技は今でも多くの人々の心に残っていることでしょう!