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高部知子の現在!元わらべ!慶応大学出身?ニャンニャン事件とは?

バラエティ番組から誕生したユニット「わらべ」の一員として注目された高部知子さんを覚えているでしょうか。高部知子さんの現在は、慶応大学を卒業したという驚くべき情報がわかりました。「わらべ」ののぞみの現在や、慶応大に通った経歴などをご紹介します。

元わらべ高部知子は慶応大学卒?現在は何してる?

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最高視聴率40%を記録したバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?(通称:欽どこ)」にお母さん役としてレギュラー出演した女優・真屋順子(まやじゅんこ)さんが2017年12月28日に死去、2018年2月15日にお別れの会が催されました。
同会には「欽どこ」ファミリーの萩本欽一さんや見栄晴さん、小堺一幾さんなどが出席して故人を偲びました。「欽どこ」ファミリーが久しぶりに集結したことが話題になりましたが、中でも注目されたのが同番組に出演していましたが、突然の降板で姿を消した「高部知子」さんの存在です。
高部知子さんは「欽どこ」から誕生したユニット「わらべ」の一員として、当時はアイドル級の人気がありましたが「ニャンニャン事件」が週刊誌で報じられ、謹慎処分を受けてしまいます。結婚を機に芸能界を引退後、大学の講師として講演しているという噂があります。高部知子さんのニャンニャン事件のいきさつなどを、画像を交えてご紹介します。

元わらべ高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【プロフィール】

高部知子(たかべともこ)さんは、1967年8月25日(現在50歳)東京・文京区に生まれました。幼少期は病弱で、読書が趣味な少女でした。

スカウト後ドラマ「ガラスのうさぎ」でデビュー

芸能プロダクション「ボンド企画(1992年に閉鎖)」にスカウトされ、芸能界にデビューします。1979年(当時12歳)公開の映画「東京大空襲ガラスのうさぎ」ではヒロインの友人として出演しますが、翌年1980年(当時13歳)8月から9月まで放送されたNHKドラマ「ガラスのうさぎ」のヒロインとして出演しました。その後も女優としてテレビドラマや映画に数多く出演しました。

「欽どこ」でブレイク

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1982年9月、高部知子さんはテレビ朝日系列のバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にレギュラー出演しました。番組は、萩本欽一さん演じる父親と真屋順子さん演じる母親、そして4人の子供たちが繰り広げるホームドラマです。高部知子さんは成長した3つ子のひとり「のぞみ」として出演しました。高部知子さんたちはオーディションで選ばれており、当時より注目の若手女優3人でした。

ドラマ「積木くずし」で不良少女を熱演

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高部知子さんは女優としても活躍、飛躍していきます。1983年2月から3月に放送、TBS系列ドラマ「積木くずし~親と子の200日戦争」にヒロイン穂高香織里を演じました。不良少女になったヒロインの葛藤を描いた小説「積木くずし」が原作であり、テレビドラマは平均視聴率36%を超える大ヒットとなりました。

高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【わらべとしての活動】

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ここからは、高部知子さんが出演した「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で結成されたユニット「わらべ」の活動をご紹介します。

バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で結成

3人は作曲家・坂本龍一さんの編曲の元、3人ユニット「わらべ」として1982年12月「めだかの兄妹」で歌手デビューをします。番組のエンディングとして同曲が使用されました。番組としても全面的に押し出して売り出された影響もあり、デビュー曲「めだかの兄妹」はオリコン年間シングルチャート第3位のロングヒットとなります。

「わらべ」メンバーは?

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「わらべ」のメンバーをご紹介します。「萩本のぞみ」を演じたのは高部知子さん、「萩本かなえ」を演じたのは「欽どこ」で芸能界デビューした「倉沢淳美」さん、そして「萩本たまえ」を演じたのは同じく芸能界デビューした「高橋真美」さんです。ちなみに3人の名前は「希望(のぞみ)」「叶え(かなえ)」「給え(たまえ)」というゴロ遊びから生まれました。

アイドル級の人気があった!

1983年12月に発売された2枚目のシングル「もしも明日が・・・。」がリリースされます。同曲はデビュー曲「めだかの兄妹」を上回る売り上げをキロ億、1984年の年間シングルチャーとでは第1位を記録するほどの大ヒットでした。当時はアイドル歌手ブームもあり、バラエティ番組から誕生したユニットでしたが、当時はアイドル級の人気がありました。

元わらべ高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【ニャンニャン事件とは?】

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高部知子さんと言えば、当時を知っている人は「ニャンニャン事件」を思い出すでしょう。歌手・女優として今後の活躍が期待されていた高部知子さんが起こしてしまった事件について画像とともにご紹介します。

週刊誌「FOCUS」でニャンニャン画像が掲載される!

ユニット「わらべ」やドラマ「積木くずし」など、人気絶頂だった1983年6月、写真週刊誌「FOCUS(2001年休刊)」裸体でベッドに横たわり、タバコを咥えて微笑む高部知子さんの写真画像が掲載(上記の画像が、当時掲載された写真画像)されてしまいます。写真画像が掲載された当時、高部知子さんは16歳だったため未成年での喫煙のみならず、性行為疑惑まで浮上してしまいます。

「ニャンニャン事件」の元祖?

芸能人の性行為を匂わせる画像を週刊誌などで掲載する時「ニャンニャン」と表記することが現在では大半ですが、この「ニャンニャン」の元祖は高部知子さんと言われています。
週刊誌「FOCUS」の編集者は、高部知子さんの性行為を匂わせる写真画像のタイトルに「ニャンニャン」を使用した理由として、高部知子さんたちのユニット「わらべ」のデビューシングル「めだかの兄弟」の曲中のフレーズであり、高部知子さんが歌った「ニャンニャン」を引用しました。タイトルに「セックス」と題するのは良くないと考え、第替えできる言葉として「ニャンニャン」を使用しました。
高部知子さんの事件から、芸能人の性行為を匂わせる記事には「ニャンニャン」が使用されるようになります。皮肉にも高部知子さんは「ニャンニャン事件」の元祖としても有名になりました。

「ニャンニャン事件」写真画像を提供したのは親友?

「ニャンニャン事件」の写真画像を、写真週刊誌「FOCUS」に提供したのは誰だったのでしょうか。調べてみると、テレビドラマ「積木くずし」でエキストラとして出演していた18歳の少年であることがわかりました。2人はドラマ共演がきっかけで交際に発展したようです。
さらに調べてみると、高部知子さんの親友が写真を提供したとも言われています。当時交際していた18歳の少年は、元々高部知子さんと親友という情報もありますが、真相は定かではありませんでした。交際相手または親友にしても、高部知子さんは身近な人物の裏切りにより芸能活動に赤信号が灯る結果になりました。

提供した人物(親友)の現在は?

写真提供した人物(交際相手、または親友)の現在について調べてみました。写真提供した人物(交際相手、または親友)は、騒動の2ヶ月後、自殺していました。写真提供した人物(交際相手、または親友)は、ドラマ「積木くずし」を放送していた放送局に写真を持ち込みましたが、上層部に写真の存在を潰されそうになります。
さらに暴走族や暴力団などから嫌がらせを受けるようになり、自衛のために週刊誌「FOCUS」に写真を持ち込みました。動機は金銭目的ではなく、「FOCUS」にも謝礼金を要求しなかったため、面白半分で持ち込んだ可能性もあります。その後も高部知子さんの親友などとの手紙や、会話の録音テープが芸能誌に掲載されるなど、報道が過熱していきます。
写真を提供した交際相手の少年はその後、ストレス性胃潰瘍で入院してしまいます。理由はどうであれ、事が大きくなったことに動揺してしまった可能性があります。少年はその後、茨城県の林道で自動車の排ガスを使い自殺してしまいます。

元わらべ高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【ニャンニャン事件で謹慎!】

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「ニャンニャン事件」を起こしてしまった高部知子さんは、大きな代償を支払うことになります。事件発覚後の高部知子さんをご紹介します。

芸能活動謹慎&高校を無期停学処分を受ける

「ニャンニャン事件」により「清純な少女」というイメージが崩れてしまった高部知子さんは、当時出演していた「欽ちゃんのどこまでやるの!?」を謹慎処分になります。さらに再放送していたドラマ「積木くずし」も放送終了、続編である映画も降板することになります。当時通っていた「私立堀越高等学校」も謹慎処分を受けます。
「欽ちゃんのどこまでやるの!?」の番組スタッフは、事件の報道が落ち着けば再び復帰させる計画でしたが、あまりにも事件の報道が過熱、さらに写真をリークした少年が自殺するなど事件が大きくなったため、「欽どこ」スタッフは「(真面目を売りにしている欽どこファミリーなのに)復帰させることはできない」と判断、降板(番組では除名)することになります。

謹慎明けに芸能活動を再開

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高部知子さんは約1年の謹慎が解け、1984年10月から12月放送、TBS系列ドラマ「転校少女Y」で芸能界復帰を果たします。高部知子さんは同ドラマでヒロイン小野田幸を演じ、奇しくも更生を決意する女子高生を演じました。

歌手としてソロデビュー

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ドラマ「転校少女Y」が放送される前月、高部知子さんは「雨の街」でソロデビューを果たします。少しずつでありますが、高部知子さんは芸能界復帰への道を歩んで言います。しかし、バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に出演することはありませんでした。

元わらべ高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【結婚して芸能界引退!その後は?】

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芸能界に復帰した高部知子さんは、芸能界に長く留まることなく引退してしまいます。芸能界引退後の高部知子さんをご紹介します。

22歳で結婚!相手は幼馴染

高部知子さんは「ニャンニャン事件」を引き起こした影響で、在学していた高校も無期停学になりました。しかし、停学処分も解けたため再び学校に通い、無事に卒業しました。女優・歌手として芸能界活動を再開していましたが、22歳で結婚します。この結婚を機に芸能界を引退します。相手は幼馴染の男性でした。

芸能界引退後は夫婦でコンビニ経営

芸能界引退後は、夫とともにコンビニエンスストアを経営します。さらに、2人の子供をもうけて幸せそのものでした。

2人の子供をもうけるが離婚

芸能界引退後、コンビニエンスストアの経営とワイドショー番組「あのひとは今」などで紹介されるなど、引退後も高部知子さんの動向が常に注目されました。幸せそのものだったはずですが、数年後に離婚してしまいます。再び再婚しますが、数年経たずに離婚してしまいます。高部知子さんは数年の間にバツが2つ付いてしまいました。

元わらべ高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【芸能界復帰!ヌード写真集を発売?】

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高部知子さんは芸能界引退後、結婚・離婚を繰り返しましたが、再び芸能界に戻りました。驚くべきことは、復帰後にヌードに挑戦したことです。高部知子さんの芸能界復帰後をご紹介します。

大胆なヌード写真集「Objet D’amour」を発売

1999年(当時32歳)、高部知子さんは芸能界に復帰します。ファンのみならず多くの人が驚いたのは、局部にピアスをつけたヌード写真集「Objet D’amour」を発売しました。

官能ビデオ「パラノイア」に出演

衝撃的なヌード写真集発売後の2年後、高部知子さんは官能ビデオ「パラノイア」に出演します。大胆な芸能界復帰をした高部知子さんでした。その後はテレビドラマや映画などに出演しましたが、目立った活動はあまりしていませんでした。

元わらべ高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【大学に行ったきっかけは?】

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芸能界復帰した翌年、高部知子さんは慶応大学に進学します。30代になって、なぜ急に大学に進学したのでしょうか。大学進学の真相についてご紹介します。

大学進学のきっかけは長女の病気?

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高部知子さんは2000年、慶応大学文学部(第1類)に入学します。進学のきっかけは、長女でした。結婚直後に出産した高部知子さんの長女は、心臓の奇形が見つかりました。病気の詳細はわかりませんでしたが、高部知子さんは長女の心臓が原因で芸能界を引退して、育児に専念することを決意したそうです。さらに、長女を育てる中で精神保健福祉の道を目指すようになりました。

慶応大学卒業後「精神保健福祉士」を目指す

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2005年に慶応大学を卒業した高部知子さんは、精神保健福祉士になるべく「東京福祉大学精神保健福祉士養成コース」を受講、2年でコースを修了しました。

「浄土宗西山深草派」に入門

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精神保健福祉士を取得した2年後、高部知子さんは2009年「浄土宗西山深草派」に入門、3年後には浄土宗教師を拝命して、講演活動も行っています。

元わらべ高部知子は慶応卒?現在は?まとめ情報【現在の活動】

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大学に進学、資格を取得した高部知子さんは、ひっそりと芸能界を再び引退しています。現在の活動についてご紹介します。

東京都認定薬物専門講師として講演

高部知子さんは「東京都認定薬物専門講師」資格を2013年に取得、現在は講師として大学などで講演活動を行っています。

浄土宗西山深草派の教師としても講演

「東京都認定薬物専門講師」として講演する一方、高部知子さんは「浄土宗西山深草派」の教師としても寺院などで講演活動を行っています。頻度は不明でしたが、仏教講師としても活動していました。

元わらべ高部知子は慶応卒!現在は講師として講演していた!

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注目の若手女優としてデビューした高部知子さんは、ユニット「わらべ」としてもデビュー、アイドル級の人気がある中で「ニャンニャン事件」が原因で芸能活動を謹慎することになります。復帰後は再び女優・歌手として活動するのかと思いきや、結婚を機に引退してしまいます。
このまま育児に専念するかと思いきや、2度の離婚を経て再び芸能界に戻りますが、ヌード写真集を発売するなどセンセーショナルな復帰が話題となりました。長女の病気が元で大学に進学、卒業後は講師として活動するなど、波乱の人生を過ごしてきました。
真屋順子さんのお別れ会で再び注目された高部知子さんは、現在は芸能界引退して講師として活動していました。過去のさまざまな事件や騒動はありましたが、現在は多くの人を指導する立場として活躍していました。