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沖雅也の若い頃!画像はある?マネージャーとの関係は?ドラマに出演?
若い頃に単身で上京し、俳優の道に進んだ沖雅也さん。男性マネージャーが交際相手であったと言われていますが、真相はどうなのでしょうか?ここでは沖雅也さんの若い頃の画像やマネージャーとの恋、自殺の真相や出演作品などを画像を交えて紹介していきます。
《若い頃からイケメン!?》沖雅也:プロフィール
本名:日景城児(ひかげじょうじ)
生年月日:1952年6月12日
没年月日:1983年6月28日(31歳没)
出身地:大分県別府市
身長:183㎝
《若い頃からイケメン!?》沖雅也:経歴
中学校2年生の時に両親が離婚。父親に付いていきますが、家庭内の問題により中学校卒業を待たずに家出します。全財産の10万円とバッグ一つで単身上京します。
やはり若い頃からイケメンだった!?
年齢を偽って働いていたスナックのお客さんからスカウトされ、ファッション誌のモデルになりますが、単発仕事がメインのため、生活はかなり苦しかったようです。
16歳の時に、現オスカープロモーション社長の古賀誠一さんにスカウトされ、日活映画『ある少女の告白・純潔』で銀幕デビューを果たしました。翌年にはエランドール新人賞を受賞しています。
『太陽にほえろ』や『必殺仕置人』などに出演!
主演ドラマ『サボテンとマシュマロ』で人気を博し、1972年に松竹芸能に移籍、続々と話題作に出演します。『必殺仕置人』や『太陽にほえろ』など、高視聴率ドラマに多数出演しました。
突然の自殺...
1983年、前々から躁鬱の診断が出ていた沖さんは、新宿京王プラザホテルの最上階(47階)から飛び降り自殺を図り、帰らぬ人となりました。この時、沖さんが自殺前に交際相手に残した、『おやじ、涅槃で待つ』というメモが話題になりました。
若い頃の画像を公開!!
《交際相手はマネージャー!?》沖雅也:恋人と言われたその相手はなんと!?
沖さんは1975年に父親を亡くした際に、マネージャーで交際相手でもあった日景忠男さんと養子縁組を結んでいます。日景さんは公私に渡って沖さんをサポートしてきた良き理解者だったようです。
沖さんの交際相手はマネージャーの日景忠男さん!?
日景さんは、沖さんが上京して間もない頃から生活を共にし、沖さんの『役者になる』という夢を叶えるために、プロダクション・JKプランニングを設立しています。
マネージャー・日景忠男さんが赤裸々告白!?
沖さんの自殺後、著書『真相・沖雅也』を発表しています。そこでは自身の男色趣向についてや、沖さんとの出会いから別れまでを赤裸々に綴っています。
日景忠男さんの画像
《マネージャーとは若い頃からの付き合い!?》沖雅也:日景忠男とは!?
マネージャー・日景忠男さんはどんな人!?
日景さんは台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれたハーフだったそうです。父親の実家は台湾で大きな病院を経営していて、かなり裕福な家庭で育ったそうです。
台湾の大学を卒業後には東京大学の大学院に進学したエリートでもあります。
マネージャー・日景忠男さんは生粋の男色家!?
沖さんが亡くなる前は自身の男色趣向を隠していましたが、沖さんの死後、『真相・沖雅也』を上梓した後は男色家キャラを解禁し、美少年評論家の肩書のもと、テレビのコメンテーターや、新宿2丁目で飲食店も経営しました。
1995年には『ガキ使』にも出演。”妖怪ねはん”として、美少年を襲う妖怪を熱演し、同番組のその年の「ガキデミー大賞」にて主演女優賞を受賞しました。
マネージャーの日景さん、覚せい剤と恐喝で逮捕!?
2005年、覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕されます。2008年には暴力団幹部と共謀して風俗案内店の女性社長を恐喝した疑いで逮捕され、翌年1月には覚せい剤使用・所持罪で、東京地裁から懲役1年2月(求刑懲役2年)の判決を言い渡されました。
元々C型肝炎を患っていたそうですが、さらに刑務所内で肝硬変を患い体調が悪化、2015年2月に亡くなっていたことが週刊新潮によって明かされています。
《投稿画像も公開!?》沖雅也:あの人がツイッターで赤裸々暴露!?
あの伝説のAV監督、村西とおるさんがフィリピンで日景さんに遭遇した際の光景をツイッターに投稿して話題になりました。
村西とおるさんのツイッター投稿画像
フィリピンで30年前、夜の繁華街で旧知の日影忠男氏とバッタリ。朝から「売りセン」のお店を廻って若い男の精液を飲み歩いているの、開店早々の子じゃないと濃い精液を飲めないから忙しくて大変よ、と呆けた顔。自らは選択も修正も出来ない、生まれる前からDNAに刻まれた性的趣向を求めての旅人。
— 村西とおる (@Muranishi_Toru) April 9, 2015
マネージャー・日景さんのキツめの性癖
村西さんのツイッターによると、日景さんは男性売春宿を周回して、現地の若いイケメンの精液を飲むのが日課だったそうです。新鮮な精液を飲むために早い時間から何件もハシゴしていたそうです。
現在はツイッターやSNSが普及しているのでリアルタイムでできごとを共有できてしまうので怖いですね。特にツイッターは利用者が多く、すぐに拡散されてしまうので気を付けなければいけません。
村西とおるさんの画像
バリバリのツイッターユーザー!
ツイッターを利用しているなんて村西監督も若いですね!未だ現役とは恐れ入りました!
《稀代のイケメンは同性愛者だったのか!?》沖雅也:本当は女性が好き!?
日景さんとの共同生活や、自殺時に残したメモなどから沖さん自身も同性愛者だとする意見がありますが、実は沖さんは異性愛者だと言われています。
交際相手のマネージャ—も本当はわかっていた!?
イケメンの沖さんは女性から相当モテたそうで、有名女優や外国人女性との恋の噂もあったようです。また、日景さんも女優の吉沢京子さんを沖さんの結婚相手にしたいと語っていたそうなので、沖さんがノーマルなことをわかっていて一緒にいたのだと思われます。
沖さんはどんな気持ちで日景さんの愛を受け入れていたのでしょうか?役者として成功するという夢のために耐えていたのでしょうか?メモには『涅槃で待つ』と書かれていましたが、日景さんも亡くなった今、二人は再開できたのでしょうか?
《若い頃から演技力が高かった!》沖雅也:ドラマに映画に引っ張りだこ
16歳で日活から銀幕デビューを果たした沖さんは、その甘いマスクと高い演技力を買われ、次々に話題作に出演していきました。
アクションドラマ『キーハンター』の出演を皮切りに、ドラマ『必殺シリーズ』で人気を不動のものにします。『必殺シリーズ』の影響で、当時は時代劇への出演も多かったようです。
『キーハンター』出演時の画像
ドラマ『太陽にほえろ』に出演以降はアクションドラマへの出演が多くなりました。『大追跡』や『俺たちは天使だ!』など、数々の作品に出演しています。
《若い頃から演技力が高かった!》沖雅也:『必殺仕置人』で人気が爆発!
沖さんは1972年に必殺シリーズ第2弾『必殺仕置人』の「棺桶の錠」役に抜擢されます。口数の少ない一匹狼の錠を見事に演じ、高い評価を得ました。
『必殺仕置人』出演時の画像
演技力の高さが認められ、その後の必殺シリーズ第6弾『必殺仕置屋稼業』にもレギュラー出演します。棺桶の錠から一変、冷徹な殺し屋・市松を演じ、またまた人気となりました。
《若い頃から演技力が高かった!》沖雅也:『太陽にほえろ』に出演!
必殺シリーズの人気を経て、今度は刑事ドラマ『太陽にほえろ』に出演します。1972年9月放送の第10回「ハマッ子刑事の心意気」に、神奈川県警浜崎署・久保刑事の名で石塚刑事の好敵手として初出演を果たしました。
沖さんの必殺仕置屋稼業での演技に注目した『太陽にほえろ』のプロデューサー・岡田晋吉さんにより、1976年9月、『太陽にほえろ!』(日本テレビ)のレギュラーとして城北署から七曲署に転勤した滝隆一(スコッチ刑事)役として出演し、人気が爆発します。
『太陽にほえろ』出演時の画像
1980年3月、視聴率が低迷してきた『太陽にほえろ!』に復帰します。沖さんは再登場に乗り気ではなかったのですが、東宝との関係、そして岡田プロデューサーの依頼を断ることができず、再出演する運びとなりました。
《躁鬱状態が慢性化していた!?》沖雅也:多忙、疲労困憊の末に自殺を図る
多数のレギュラー番組を抱え、かなりの過密スケジュールのなかで疲労がたまっていた沖さんは、精神的に不安定になっていたようで、1981年4月に東名高速で交通事故を起こしてしまいます。
幸い、軽傷で済みましたが、事故の怪我よりも躁鬱病が悪化の一途をたどり、肝臓炎の発症や薬の副作用になどから長期休業を余儀なくされます。
そして1983年、沖さんは新宿京王プラザの最上階からジャージ姿のままで、警備員の制止を振り切り、飛び降り自殺を遂げました。
《若い頃から波乱万丈な人生》沖雅也:まとめ
昭和のイケメン俳優、沖雅也さんについて調べてきましたが、その波乱に満ちた人生には驚愕しましたね!
今回の調査でわかったことは、
・画像からもわかる通り、若い頃からイケメン
・マネージャー兼パトロンの日景忠男さんと養子縁組を結び、交際相手でもあった。
・数々の名作ドラマに出演し、昭和の人気俳優の一人だった。
・躁鬱病に悩まされ、最後はホテルの屋上から飛び降り自殺を遂げた。
壮絶な最期を遂げた沖さんですが、亡き今も名優としてその名を語り継がれています。気になった方は沖さん出演の作品など是非ご鑑賞ください。沖さんの演技に対する情熱がきっと伝わってくるはずです。
天国で日景さんと仲良く過ごしていることを願います。