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久我美子の今現在!夫・子供・実家は?映画は?ゴジラって?

名家として生まれ、夫も東大卒でありながら個性的な俳優という存在の久我美子。今現在の久我美子は何をやっている?過去の久我美子の生活、家柄の様子と複雑さ、そして夫を含めた芸能生活での活動を振り返りながら、今現在の久我美子に思いを馳せてみましょう。

[久我美子の今現在!夫・子供・実家は?映画は?ゴジラって?]久我美子の過去、経歴、実家は?

久我家(こが)という名字は珍しいですが、実際村上天皇を含めた村上源氏の血の流れを引いていて、元皇族から臣籍降下した華族でした。そんな高潔な血を引いている彼女が女優を始めるために芸能界の道に進んだのですから、当時はかなり騒がれたようです。
芸能界を志した理由のひとつとして、母親の影響が大きかったようです。母親は大の芝居好きだったので、子供の頃から芝居の世界に慣れ親しんでいたのでしょうね。女優になるにあたって「名家のする事ではない」と反発を受けたようです。しかし、彼女が女優を志したのは両親が商売に失敗し、多額の借金を抱えた事も大きな要因なので、話は複雑です。結局家の借金を返すためなのに、芸能活動をおこなうにあたって「久我(こが)」という姓を名乗らない事、実家を出る事が条件となりました。なので、芸名は「こが」ではなく、「くが」と読むようになっています。
その後学校を中退、「四つの恋の物語」で映画デビューを果たします。久我美子の女優業でもっとも有名なエピソードとして、当時映画ではNGとされていた、クローズアップしてのキスシーンをガラス越しにおこなった、というものがあります。名家でありながらタブーに挑戦するなんて、正直相当勇気のいる事だったと想像に難くありません。そんな勇気だけではなく、演技のほども一流だったらしく、巨匠と言われる映画監督達が、こぞって彼女を起用しました。

[久我美子の今現在!夫・子供・実家は?映画は?ゴジラって?]久我美子の結婚生活は?

1961年に同じ俳優である平田昭彦の猛アタックの前に、同業者と結婚する予定はなかったものの、負けてしまったそうです。余談ですが週刊誌の格好の話題になりそうな物なのに、当時いっさい話題にならなかったのは、平素の平田の人柄の良さゆえの事だそうです。
結婚生活は子供もふたり作り、とても幸せだったらしく、どちらもスキャンダル的な要素はいっさい出なかったようです。

[久我美子の今現在!夫・子供・実家は?映画は?ゴジラって?]久我美子の夫、平田昭彦はどんな人?

1954年に1作目のゴジラに芹沢博士役として抜擢され、特撮映画によく登場するようになりました。ウルトラマンでも岩本博士役として出演したりと、クールで知的な配役が多かったようですね。それもそのはず、本人の最終学歴が東京大学法学部政治学科卒ですからね…。なぜ俳優の道を進んだのかが不思議なくらいに高学歴です。ちなみに東大では演劇部に所属していたようなので、そこで興味を持ったのでしょう。
ちなみに芹沢博士役として無敵のゴジラを倒し、ウルトラマンの岩本博士役ではウルトラマンでさえ倒せなかった最強の怪獣、ゼットンまでをも倒したのだから、特撮ファンの間では無敵の男と呼ばれています。
1983年、ゴジラを再度映画に復活させるべく活動をおこなっていましたが、十二指腸潰瘍を発症、1984年12月に公開する新生「ゴジラ」に出演する意欲を見せてはいたものの、7月に癌性リンパ管症で死去されます。無敵の男と呼ばれていただけに、若くして死ぬのは惜しかった事でしょう…。亡き夫の意志を継ぐ形で、久我美子は「ゴジラVSビオランテ」に官房長官役で出演しました。

[久我美子の今現在!夫・子供・実家は?映画は?ゴジラって?]久我美子の現在は?

2000年に映画「川の流れのように」に出演して以降、義理の姉である三ツ矢歌子さんがなくなった時以外、表舞台にはいっさい立っていないようです。現在では芸能活動は休止、実家や子供の状況もふくめて普通の日常生活に戻ったという事でしょうか。今現在は隠居状態のような物で、私生活は特に公開されていません。

[久我美子の今現在!夫・子供・実家は?映画は?ゴジラって?]まとめ

名家に生まれながらも芸能界に入り、キスシーンなどで話題をさらいながら、演技力を含め女優として夫平田昭彦と共に時代に華を添えた久我美子。たぐいまれなる個性を持った存在だと言えるでしょう。