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宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?母親との関係は平気?

女優として活躍中の宮沢りえさんはハーフに見えませんが、実は父親がオランダが出身地のオランダ人男性で、ハーフです。更に異父兄弟、異母兄弟がいて、複雑な家族構成です。今回は宮沢りえさんの父親をはじめ家族構成について紹介します。

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】基本プロフィール

家族構成を紹介する前にまずは宮沢りえさんについて紹介します。宮沢りえさんはご存じの通り日本の女優です。生年月日は1973年4月6日で、出身地は東京都練馬区。血液型はB型で、身長は167cmです。事務所はエムツー企画に所属しています。

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】「三井のリハウス」でブレイク

母親である宮沢光子さんがオランダ人男性と婚約し、生まれたばかりの宮沢りえさんを日本に置いてオランダ人男性の出身地であるオランダに移住しますが、離婚したため日本に帰国します。宮沢光子さんは、久しぶりに宮沢りえさんと対面することになりますが、宮沢りえさんがとても可愛らしく、更に周囲のプッシュもあったため、芸能界にデビューさせることにしました。
宮沢光子さんは娘をデビューさせるため、芸能界の実力者が集まる東京・六本木の飲食店に出入りし、宮沢りえさんを芸能関係者に売り込んだそうです。その後、そうした活動が功を奏して、1985年小学6年生の時に、明星食品「チャルメラ」のCMで芸能界デビューを果し、その後は雑誌「週刊セブンティーン」の表紙モデルとなりました。
芸能界デビューを果たした宮沢りえさんが、ブレイクしたきっかけは1987年に放送された「三井のリハウス」のCMです。「三井のリハウス」をPRする初代“リハウスガール“に選ばれた宮沢りえさんは、このCMで、清楚なお嬢様である白鳥麗子”役を演じたことで人気に火が着き、トップアイドルの一人になりました。ブレイクした当時の写真を見てみるととても美しいので、ブレイクしたのも納得です!

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】「ぼくらの七日間戦争」で女優デビュー

女優デビュー作は、1988年に公開された映画「ぼくらの七日間戦争」。この映画は1985年4月に出版された宗田理さんの同名小説が原作で、宮沢りえさんを主演に迎え、厳しい校則や親からのお小言に嫌気がさした11人の中学1年生たちが、廃工場に立てこもって大人たちに宣戦布告する姿を描いた作品。宮沢りえさんは主演を務め、学級委員で人望と統率力もあり、快活な性格の中山ひとみ役を演じています。宮沢りえさんはこの映画の演技で日本アカデミー賞新人賞を受賞しました。
この映画の宮沢りえさんについてTwitterで検索すると好意的な意見が多く見られました。その中でも特にアイドルとして全盛期を迎えていた宮沢りえさんが可愛らしいという意見が多いです。宮沢りえさんの可愛らしさが映画の見どころになっていて、内容も面白いので、ぜひご覧ください!

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】写真集が大ヒット

CMでは清楚なお嬢様を演じ人気に火が着きますが、宮沢りえさんのふんどし姿を納めた「ふんどしカレンダー」、そしてヌードを納めた「Santa Fe、サンタフェ」を発表することになります。特に話題になった写真集「Santa Fe、サンタフェ」は、写真界の巨匠・篠山紀信さんがカメラマンを務め、アメリカのニューメキシコ州サンタフェ市を舞台に撮影された、宮沢りえさんのヌードが納められた作品です。
当時、若手人気アイドルのヌードということもあって写真集は155万部を突破する大ベストセラーを記録し、社会現象を巻き起こしました。この売上は写真集で歴代No.1で、この記録は未だに破られていません。もちろんこれらの作品は宮沢りえさんの意思ではなく、母親の宮沢光子さんの意思です。娘のヌード写真を撮らすなんて毒親と言えそうです。

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】歌手デビューもしていた!

宮沢りえさんは歌手デビューを果たしていて、デビュー曲は小室哲哉さん作曲の「ドリームラッシュ」です。この曲は音楽番組「ザ・ベストテン」の最終回にランクインしています。翌年の1999年には、セカンドシングル「NO TITLIST」がオリコン最高1位を獲得。
同年「第41回NHK紅白歌合戦」に初出場、紅白初の中継出演を果しました。宮沢りえさんの曲ですが、はっきり言うと歌が上手いとは言えませんが、歌声は宮沢りえさんらしく優しく、透明感があって良いです。Amazonなどで販売していますので、ぜひチェックしてください!

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】「たそがれ清兵」で女優として開花

日本アカデミー賞新人賞を受賞すると、その後は数々の話題作に出演していますが、女優としての評価を確固たるものにしたのは「たそがれ清兵衛」です。
この映画は、「寅さんシリーズ」で知られる巨匠・山田洋次さんが監督し、時代小説の大家・藤沢周平の短編「たそがれ清兵衛」と「竹光始末」「祝い人助八」をベースに、幕末を舞台に妻に先立たれ、2人の子供と認知症を患った母親を1人で支える下級武士の井口清兵衛の日々の暮らしを描いています。
宮沢りえさんはこの映画で、幼なじみの朋江役を演じました。Twitterを調べると好意的な意見が多く、おしとやかな演技と美しい姿が高く評価されたようです。宮沢りえさんはもちろんのこと作品自体が素晴らしいので、ぜひご覧ください!

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】オランダのハーフ!

ここからは家族構成について紹介して行きます。宮沢りえさんの家族構成ですが、かなり複雑です。家族構成はまず実の両親に、異母兄弟、異父兄弟がいます。宮沢りえさんは出身地が東京ですが、オランダ人とのハーフです。母親である宮沢光子さんと出身地がオランダのオランダ人男性との間に生まれました。宮沢りえさんにはオランダ名もあって、雑誌のインタビューで「リー・マム」だと答えてました。「リー」はleeeとeが3つとのことです。
宮沢光子さんとオランダ人の父親との馴れ初めですが、宮沢光子さんが六本木でクラブホステスだった頃に、船乗りだったオランダ人の父親と出会ったそうです。その後、結婚し、宮沢りえさんが誕生しますが、父親は自身の出身地であるオランダに帰国。更に宮沢光子さんも自分の父親に宮沢りえさんを預けて、オランダ人の夫の後を追ってオランダに行ってしまいました。
そのため宮沢りえさんは、祖父母や親せきの子どもたちと一緒に育てられることになったそうです。この時、祖母に大切にしてもらったそうですが、対談番組で宮沢りえさんは当時を振り返り、自身を置いて夫を追ったものの宮沢光子さんと一緒に暮すことを夢みる少女だったと話しています。子供を日本に置いて、オランダに行った夫を追うなんてすごいです。宮沢光子さんはヌード写真集を撮らせたこともそうですが、乱暴に見えます。

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】オランダ人の父親

宮沢りえさんの父親の出身地であるオランダで夫婦生活をスタートさせた両親ですが、夫婦生活はわずか4カ月で終わりを迎えます。離婚した原因ですが、オランダ人の父親の家族から反対があったようです。生まれたばかりの宮沢りえさんを預けてしまったため、反対されたと言われています。夫と離婚した宮沢光子さんは日本に帰国し、宮沢りえさんの元に帰ってきます。
日本で育てられていた宮沢りえさんは両親の離婚後、オランダに住む父親とは全く交流がなかったそうです。宮沢りえさんが大人気アイドルとなった時、テレビ番組にオランダ人の父親が出演したことがあるのですが、娘の宮沢りえさんの姿を見て「りえママそっくり、特に目元が」と言っていたそうです。
表向きは“一人っ子”と公表されていましたが、宮沢りえさんには兄弟がいます。オランダ人の父親は再婚しているようで、娘が生まれていて、宮沢りえさんには腹違いの妹ということになります。その妹は金髪の宮沢りえさんといった感じで、顔がそっくりみたいです。

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】異父兄弟がいた!

宮沢りえさんには弟もいます。弟さんは父親が違い、宮沢光子さんが宮沢りえさんの実父であるオランダ人の夫と別れた後に再婚したピアニストの男性との間に生まれました。宮沢光子さんが、生活のためにモデルをやりつつ働いていた銀座のクラブで、弟の実父がピアノを弾いていて、そこから結婚に至ったそうです。
しかし出産後すぐに離婚し、宮沢光子さんは、宮沢りえさんを連れて家を出てしまったため、それ以来、宮沢りえさんと弟さんは音信不通になっているとか。宮沢光子さんは弟の実夫とは離婚後も電話で連絡を取り合っていたそうですが、決して嘔吐には連絡しなかったそうです。この事実は弟さんが20歳の時に初めて知ったそうで、それまでは父親のことを兄、また祖父母のことを両親と信じきっていたとか。
そしていまでも宮沢りえりえさんとの再会は果たせていないそうです。弟さんが、宮沢りえさんの舞台を観劇した際、関係者に再会を希望する手紙を手渡したそうですが、結局は宮沢りえさんは連絡しなかったとか。複雑な家族構成なので、宮沢りえさんとしては会いにくいのかも知れません。ヌード写真集、家族構成など宮沢りえさんは色々なものを背負わされて大変です。

【宮沢りえの父親はオランダ人でハーフ?】まとめ

子供の頃に母親がオランダ人男性の出身地であるオランダに行ってしまい、母親にヌード写真集を撮らされるだけではなく、家族構成も複雑で大変だったと思いますが、へこたれず凜とした美しさを保っているなんてすごいです。宮沢りえさんは美貌だけじゃなく内面も美しい女優です!