太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【太川陽介のプロフィール】
太川陽介(タガワヨウスケ)さんは1959年1月13日生まれの59歳です。本名は坪倉育生(ツボクライクオ)で、京都府中郡(現:京丹後市)に生まれました。
アイドル歌手としてデビュー
1976年(当時17歳)の時にレコードデビュー、太川陽介さんはアイドル歌手として芸能界活動をスタートさせました。デビュー当時のキャッチフレーズは「昇れ!太陽くん」で、事務所の創業者・相沢社長が決めました。
音楽番組「レッツゴーヤング」の司会として人気
太川陽介さんは1978年よりNHK若者向け音楽番組「レッツゴーヤング」の司会者に抜擢、1970年代を代表するアイドルとして活躍しました。
司会・俳優として路線変更
1990年代以降は俳優として活動、司会者としても多数の番組に出演しました。俳優として活躍するきっかけは、1989年のミュージカル「エニシング・ゴーズ」に起用されたことでした。同ミュージカルに出演以降、俳優としての頭角を現していきました。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【ルイルイとは?】
太川陽介さんについてネットで検索すると「ルイルイ」がヒットします。「ルイルイ」と太川陽介さんの関係についてご紹介します。
3枚目のレコード「Lui-Lui(ルイルイ)」
「ルイルイ」とは、太川陽介さんがアイドル歌手として活躍していた時の代表曲のことです。1977年(当時18歳)で発売した3枚目のレコード「Lui-Lui」が大ヒットし、当時を代表するアイドル歌手のひとりとなりました。
「Lui-Lui(ルイルイ)」でレコード大賞受賞
自身最大のヒットとなった「Lui-Lui」は1977年「第19回日本レコード大賞」新人賞など多数の賞を受賞しました。ちなみに「第19回日本レコード大賞」大賞は、沢田研二(通称ジュリー)の「勝手にしやがれ」でした。
「ルイルイ」ポーズが人気
明るい曲調と太川陽介さんの軽やかなステップが特徴の「Lui-Lui」ですが、「L」字マークで「ルイ・ルイ!」と叫ぶポーズが当時流行りました。いつしか「ルイルイポーズ」とも言われ、若者を中心に大人気となりました。
書籍のタイトルにも「ルイルイ」
ルイルイ仕切り術:人生も会社も路線バスの旅も成功に導く40のツボ(実用単行本)
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太川さんがその半生を綴った自分史でもあります。『レッツゴーヤング』の司会に加え『ルイルイ』の大ヒットで人気絶頂の20代前半から一転、スケジュール真っ白、どん底の「ひきこもり」時代へ。再び「役者」を目指し奮闘する20代の終わりを経て女優・藤吉久美子との結婚、そして話題沸騰の『路線バスの旅』まで。波瀾万丈の体験から著者が学んだ、明るく楽しく正直に生きるためのノウハウが、この1冊に詰まっています。
Amazonで商品をチェック2014年9月に発売した書籍「ルイルイ仕切り術:人生も会社も路線バスの旅も成功に導く40のツボ 」では、太川陽介さんの半生を綴ったエッセー本でした。同書籍でも自身の代表作「Lui-Lui」をタイトルに入れるほど、太川陽介さんの代名詞ともなりました。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【路線バスの旅でブレイク】
俳優や司会として活動してきた太川陽介さんですが、2007年より出演した旅番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に出演したことで再ブレイクを果たしました。
共演者「蛭子能収」とのコンビが話題
太川陽介さんは「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」初回より出演、漫画家でありタレントの蛭子能収さんと全国のローカル路線バスを乗り継ぐだけの番組ですが、毎回ゲストとして女性タレント(通称マドンナ)と目的地を目指す同番組は、回を重ねるごとに人気がうなぎ登りとなりました。率先する太川陽介さんと、すぐに投げ出す蛭子能収さんとのやり取りなどが人気となり、他局で放送していたバラエティ番組「めちゃめちゃイケてる!」よりも視聴率が上回ることもありました。
蛭子能収とのコンビで10年番組を支える
太川陽介さんは蛭子能収さんと番組に10年間出演しました。マイペースで奇抜な行動を取る蛭子能収さんを上手く乗せ、ゴール地点を目指すのが番組の売りとなりました。太川陽介さんは元々地形に詳しかったため、番組撮影前には現地の予習をかなりしていましたが、蛭子能収さんは特に事前予習をせず、またバスの中では居眠りをよくするなど自分のペースを崩さないスタイルはずっと変わりませんでした。
蛭子能収と揃って番組卒業を発表
2017年1月2日放送された「ローカル路線バス乗り継ぎ旅」を最後に、太川陽介さんは蛭子能収さんとともに番組を卒業しました。太川陽介さんは卒業した理由として「全国ほとんど回りつくしてしまい、面白味がなくなったから」と語っています。卒業後は番組のナレーターとして番組を支えています。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【太川陽介の実家は金持ち?】
太川陽介さんは京都府京丹後市の出身ですが、実家は金持ちというウワサがあります。太川陽介さんの実家についてご紹介します。
太川陽介の実家はつりめん屋?
太川陽介さんの実家は、京丹後で卸販売をしている会社を営んでいます。太川陽介さんは実家の家業は継がず、アイドル歌手としてデビューしたため、現在は親族の誰かが後を継いでいるようです。
実家は京都でも有数な卸問屋だった!
太川陽介さんの実家は「株式会社つぼりゅう」であり、丹後ちりめんを製造・販売しています。丹後ちりめんとは日本国内の約1/3の絹糸を消費、国内で流通する和服などに使われる絹織物の6~7割が丹後ちりめんが使用されています。日本でも有数の絹糸の産地ですが、職人の平均年齢が65歳を超えており、後継者不足が問題視されています。
太川陽介の実家はファンの巡礼地?
太川陽介さんの往年のファンの間では、実家である「株式会社つぼりゅう」に訪れる人が少なくありません。また、旅番組などで太川陽介さんを知った人も、これらをきっかけに訪れる人もいるため、太川陽介さんの実家はファンの聖地巡礼地と言っても過言ではありません。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【妻・藤吉久美子のプロフィール】
太川陽介さんの妻・藤吉久美子さんについてご紹介します。藤吉久美子(フジヨシクミコ)さんは1961年8月5日生まれの56歳です。福岡県久留米市に生まれ、大学生の時に大阪に上京しました。高校時代にモダンダンスに魅了され、大学は大阪芸術大学に進学しました。
NHK連続テレビ小説のヒロインに抜擢
大学在学中にNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)のオーディションに応募、600人以上の募集の中から見事、ヒロインの座を勝ち取ります。1982年下期放送のドラマ「よーいドン」で波乱万丈な人生を生き抜くヒロインを演じました。同ドラマに出演するために、藤吉久美子さんは大学を中退して朝ドラに挑みました。
太川陽介とは再婚だった
秋吉久美子さんは1988年、歌舞伎俳優の坂東正之助(現:四代目河原崎権十郎)さんと結婚しますが、価値観の相違や梨園に馴染めなかったことを理由に1992年に離婚しました。そして1995年に太川陽介さんと結婚、太川陽介さんは初婚でしたが藤吉久美子さんは2度目の結婚でした。
39歳で子供(息子)を出産
結婚6年目の2001年、藤吉久美子さんは39歳で第一子となる子供を出産しました。高齢出産であることから帝王切開による出産でしたが、元気な男児(息子)を生みました。
子供(息子)は野球に熱中!
藤吉久美子さんは仕事をセーブしつつ、ひとり息子を育てました。番組で子供について聞かれると、野球に熱中していることを明かすなど息子の成長ぶりに目を細めていました。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見?
太川陽介さんの妻・秋吉久美子さんが不倫していることが2017年12月14日、週刊雑誌「週刊文春」によって報じられました。秋吉久美子さんの不倫相手とは誰なのでしょうか。不倫のいきさつなどをご紹介します。
藤吉久美子がドラマプロデューサーと不倫?
藤吉久美子さんと不倫が報じられた相手は、ドラマのプロデューサーである50代の既婚男性でした。皮肉にも「路線バス」で藤吉久美子さんが不倫相手の自宅を訪れる様子や、仕事で訪れた宮崎県内のホテルから藤吉久美子さんと不倫相手の男性が出てくるところ、さらに不倫相手の男性から藤吉久美子さんがマッサージを受けていたことなどが暴露されています。発売当日、藤吉久美子さんは記者会見を開き、涙ながらに謝罪しましたが不倫関係はなかったことを明かしています。
不倫相手と太川陽介は交流があった?
藤吉久美子さんと不倫関係だった男性の名前は明らかになっていませんが、太川陽介さんと交流があったことを、太川陽介さん本人が明かしています。太川陽介さんの自宅の合い鍵を持っていたり、太川陽介さんのコンサートに同行するなど幾度となく仕事をともにする間柄だったようです。太川陽介さんは週刊誌が発売された当日に記者会見を開き「スタッフを一新する」と不倫相手との関係を切ることを明言しています。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【離婚の可能性は?】
太川陽介さんは藤吉久美子さんとの離婚について聞かれ、開口一番に「ショックだった」と明かしています。しかし、「離婚はしない」とも名言しています。
子供(息子)の親権は?
2001年に誕生した子供(息子)は、2018年で17歳になります。高校生であることを考えると、ある程度は理解していると考えられます。太川陽介さんは藤吉久美子さんとの離婚について一切考えていないことを名言しているため、子供(息子)の親権などをどうするかなど一切考えていないでしょう。子供が将来、どのような道を歩むかわかりませんが芸能界に入った場合、幾度となく両親の不倫騒動をネタにされると考えると、かわいそうとしか言いようがありません。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【藤吉久美子の現在】
不倫報道が報じられた藤吉久美子さんの2018年現在の活動についてご紹介します。
バス旅番組に出演
藤吉久美子さんは2018年3月18日放送の旅番組「路線バスで寄り道の旅SP」に出演、久々のテレビ復帰番組となりました。同番組は奇しくも太川陽介さんが出演していた「路線バス乗り継ぎの旅」のライバル番組でありますが、出演者に徳光和夫さんがいたことなどが出演するきっかけとなりました。
久々に歌を披露?
藤吉久美子さんは不倫報道後、関係修復と太川陽介さんの音楽活動再開のため、一緒にカラオケで練習しています。その中で石川さゆりさんの「天城越え」を練習、番組内でスナックに立ち寄った際に披露しています。しかし、徳光和夫さんから「不倫の歌を歌うなんて」と揶揄されてしまい、動揺するシーンがありました。
太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見【太川陽介の現在】
妻・藤吉久美子さんの不倫報道後の太川陽介さんの現在の活動についてご紹介します。
個人事務所を閉鎖!
太川陽介さんは2016年、個人事務所「オフィスソニード」を立ち上げましたが、2018年1月に事務所を閉鎖してしまいます。同事務所は音楽活動に専念するために開設しましたが、音楽活動には藤吉久美子さんの不倫相手であるA氏も携わっており、けじめとして事務所を閉鎖したと言われています。
音楽活動復帰に意欲
個人事務所を閉鎖したことで、音楽活動が経たれてしまったかと思われていますが、太川陽介さんは現在もカラオケに通うなどして歌手活動再開に意欲的です。
僕が去年、ステージで2時間歌ったら声がしんどかった。耳鼻咽喉科に行ったら週に2回、1時間歌えば元の声帯に戻ると言われて……。僕は沢田(研二)さんメドレーで、彼女はユーミン。彼女も歌を取られたら可哀想だし、またいつかライブをという気持ちは持っています。前のように大きくはやらないで、聴きたい人だけが来るシンプルな形なら、僕もいいと思っています
http://bunshun.jp/articles/-/7201?page=2太川陽介の妻(嫁)が不倫で会見の真相
太川陽介さんはアイドル歌手としてデビューした後、俳優や司会として現在活躍しています。また再ブレイクのきっかけとなった「ローカル路線バス乗り継ぎ旅」では、蛭子能収さんとのコンビで人気を博し、新たな境地を開拓しました。1995年に結婚した藤吉久美子さんとの間には、2001年に第一子となる男児が生まれ、おしどり夫婦として有名でした。
しかし、2017年12月に藤吉久美子さんの不倫報道があり、離婚危機も囁かれましたが太川陽介さんは離婚しないことを明言しています。不倫報道から5ヶ月経ちますが、藤吉久美子さんはテレビに復帰、太川陽介さんも旅番組を中心に番組に出演する一方、歌手活動再開に向けて始動しています。太川陽介さんの活躍とともに、藤吉久美子さんの活躍にも注目しましょう。