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高橋真梨子の現在総まとめ!病気による激やせの噂って本当?

2016年の紅白で激やせが心配された高橋真梨子さん。病気が原因?ストレス?そして、2017年1月6日には、金スマでご自身の壮絶な人生を語られました。激やせの理由は何だったのでしょう?また、現在はどうしているのでしょう?高橋真梨子さんの現在、画像をまとめました。

現在が気になる!高橋真梨子のプロフィール

【高橋真梨子さんのプロフィール・画像】[歌手・作詞家][本名 広瀬まり子][生年月日 1949年3月6日][出身地 広島県廿日市市][身長 155㎝][血液型 A型]1972年に中州のナイトクラブで歌っていたところを「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村にスカウトされ、脱退した前野曜子を引き継いで、二代目ボーカルとなった高橋真梨子さん。
「ペトロ&カプリシャス」として1973年には「ジョニヘイの伝言」や「五番街のマリーへ」などがロングヒットし、翌年の1974年には「第25回NHK紅白歌合戦」には「ジョニヘイの伝言」で初出場を果たしました。上は、「ペトロ&カプリシャス」の画像です。
こちらが、「ペトロ&カプリシャス」の「ジョニヘイの伝言」の画像です。

現在が気になる!高橋真梨子の名曲の数々

若い頃の高橋真梨子さんの画像です。1978年には「ペトロ&カプリシャス」を脱退した高橋真梨子さんは、ソロ歌手として活動をはじめました。そして、同年「あなたの空を翔びたい」でデビュー。1982年には、「for you・・・」をリリースしたところ「第11回東京音楽祭」で金賞を受賞し、大プレイクしました。の「for you・・・」は、のちに多数の有名アーティストにカバーされる名曲となりました。
「for you・・・」の他にも1984年にリリースされた「桃色吐息」、1992年にリリースされた「はがゆい唇」、1994年にリリースされた「遥かな人へ」などが名曲ですが、ご自身でも作詞を手がけたりと、実力派女性歌手である高橋真梨子さん。「ペトロ&カプリシャス」を脱退されたあとは、コンサートやレコーディングなどの音楽活動を重視されていたようです。

現在はどうしてる?高橋真梨子の旦那は?

高橋真梨子さんの旦那さんは、元「ペトロ&カプリシャス」のメンバーであるヘンリー広瀬さんです。旦那さんである、ヘンリー広瀬さんは高橋真梨子さんのヒット曲「桃色吐息」や「はがゆい唇」や「ごめんね・・・」などをプロデュースした方でもあります。高橋真梨子さんと旦那さんのヘンリー広瀬さんの画像です。
高橋真梨子さんと旦那さんが結婚されたのは、1993年に結婚されました。始めは、お互いに大きらいだったという、高橋真梨子さんと旦那さんのヘンリー広瀬さんですが、高橋真梨子さんが33歳のころに大失恋をした時に泣いてばかりいた高橋真梨子さんをなぐさめてくれたのが現在の旦那さんであるヘンリー広瀬さんだったといいます。
そのことがきっかけで、一緒に住みだしたという高橋真梨子さん現在の旦那さん。そして、45歳のときに結婚されたようです。現在も、恋人同士のような仲の良さで、公私ともにわたるベストバートナーに出会えたと語っています。画像からも、仲の良さが伝わってきますね。

高橋真梨子の病気は更年期障害!?

高橋真梨子さんは、更年期障害に悩まされていたといいます。高橋真梨子さんが47歳の時のコンサート中に、突然手足のしびれ、めまいに襲われて歌が歌えなくなったためコンサートを中断した過去があるそうです。そして、外出もままならなくなり、仕事が生きがいだった高橋真梨子さんは、「仕事ができなくなるんじゃないか、生きていけなくなるんじゃないか・・」と不安の日々が続いたようです。

高橋真梨子は更年期障害からうつ病を発症し激やせに!?

更年期障害が発症した高橋真梨子さんは、さらにはうつ病まで発症していまいました。まずは、やる気がなくなって、今まで一生懸命にやってきた掃除などの些細なことも手につかなくなったといいます。そのことから「何か変だな」という感覚が体のあちこちに出てきたという高橋真梨子さん。何かの原因が見当たらないのにお腹が痛くなったり、ホットフラッシュが現れたといいます。そのことから、激やせにまでつながった高橋真梨子さん。
体調が優れない日々が続いたときに、親知らずを抜いてしまってさらに体調が悪化した高橋真梨子さんは、ご飯も飲み物も喉がとおらないほどに悪化し、胃がムカムカするのに、病院で診てもらっても特に悪いところもなく、メンタル面でもイライラや倦怠感を引き起こし、うつ病の症状まで出たといいます。そうして激やせしてしまいます。画像の高橋真梨子さんはとても素敵な笑顔をされていますが、影ではとても病気などの辛い経験をされていたのですね。

高橋真梨子の父親はジャズプレイヤーだった!

高橋真梨子さんの父親は、戦後、国鉄を辞めて、シャズクラリネット奏者を目指したといいます。高橋真梨子さんの音楽好きは、父親譲りなのかもしれませんね。高橋真梨子さんの父親はジャズが盛んな福岡に移り、当時1歳の高橋真梨子さんも母親とともに移り住むことになりました。
しばらくして、広島市に移り住んだ父親は、ジャズプレイヤーとして働くことになり、そんな父親を高橋真梨子さんは尊敬し、心の支えであったといいます。

辛い過去を金スマで告白した高橋真梨子!

高橋真梨子さんは、2017年1月6日の金スマに出演し、辛い過去の経験について語りました。金スマで語ったそのこととが現在も高橋真梨子さんを苦しめているそうです。金スマでは、高橋真梨子さんの幼少期の出来事が語られましたが、ご両親は高橋真梨子さんが5歳のときに別居したそうです。そして、10歳のときに離婚したといいます。
ご両親の離婚後は、母親に引き取られた高橋真梨子さんですが、離婚後の母親は妻子ある男性を家に招き入れ、一緒に生活することにしたそうです。そのことが高橋真梨子さんを深く傷つけたと金スマでも語っていました。

金スマでは辛い過去を現在も引きずっていると告白した高橋真梨子!

離婚することになっても、高橋真梨子さんの心の支えは実の父親であったといいます。しかし、その父親は戦争の原爆症が原因で37歳の若さで他界してしまいました。心の支えであり、尊敬していた父親がなくなったことで、唯一の救いが「歌うこと」になったといいます。
離婚する前に、高橋真梨子さんの母親は不倫をしていたといいます。そして、多感なときに母親の愛情を十分に受けられなかったことを現在まで引きずっているという高橋真梨子さん。金スマでの激やせぶりが話題になりましたが、そんな壮絶な過去があったことに驚いた視聴者も多かったようです。

現在まで苦しめてしる母親の看病をしたという高橋真梨子!

幼少期の出来事が現在もトラウマとなり、病気とともに苦しめられてきた高橋真梨子さん。金スマでは、そんな壮絶な過去も軽く話されていて、高橋真梨子さんの強さを感じました。
母親から愛情を与えなれなかったことで、現在まで苦しめられてきた高橋真梨子さんですが、母親の晩年にはガンの病気が見つかったようで、4ヶ月という短い間でしたが献身的な看病をされたようです。過去のトラウマを埋めるように、母親と一緒の生活の中で一時も母親から離れなかったといいます。
母親に対して、「ああしておけばよかった」「こうしておけばよかった」という公開が多々あるようですが、現在まで苦しめられたほどのトラウマがあっても、やっぱり母親のことは愛していたのでしょうね。

現在は活動を再開している高橋真梨子!

2016年の紅白でも激やせが心配された高橋真梨子さんですが、病気に向き合い序々に仕事にも復帰しているようで、2018年にも、たくさんのコンサートを予定しているようです。一時は、更年期障害、うつ病と病気に悩まされた高橋真梨子さんでしたが、回復されてきて良かったですね。
また、あの美しい、力強い歌声を聞かせていただきたいです。コンサートが気になる人はぜひ、チェックしてみてくださいね!